少年の機敏さが悲しいダルデンヌ兄弟の新作 [映画サ行]

『少年と自転車』

img3313.jpg

ダルデンヌ兄弟の映画の少年や少女たちは滅多に笑わない。この映画の少年シリルも同じだ。
もうすぐ12才になるが、父親はシリルを児童養護施設に預け、アパートを引き払い、姿を消した。

シリルは動作が素早い。隙あらば施設を逃げ出そうとする。
つかまえようとしても、必死ですり抜けようと試みる。
シリルはきっと自分がモタモタしてたから、父親に施設に預けられ、置いてきぼりにされたと思ってるんだろう。
だからどんな局面でも身体が即反応できるように、身構えて緊張してるのだ。
人間になついてない野良猫や、野生の鳥のようだ。

年齢からいえば、もう自我が発達する時期なんだが、シリルの頭の中には父親のことしかない。
施設から学校に通わされてるが、そこでも抜け出して、バスを乗り継ぎ、父親と暮らしたアパートへ。

行き先を察した施設の職員が補導しに来るが、シリルは逃げ込んだ診療所にいた女性に、思わずしがみ付いた。女性が痛みに顔を歪ませるほど強く。
シリルは管理人に、空となった部屋を見せてもらい、父親に買ってもらった自転車もないことに落胆し、施設に連れ戻された。

後日、診療所にいた女性が施設のシリルを訪ねてくる。彼女の車には自転車が積まれていた。
それを見たシリルは、初めて少年らしい表情を見せた。
彼女は美容院を経営するサマンサといい、シリルの自転車の買い主を探し当て、買い戻したと言った。
シリルは「そいつは盗んだんだ」と決めつけた。父親が僕の自転車を売るはずない。
シリルはサマンサに、週末だけ里親になってほしいと懇願し、彼女も受け入れる。

自転車の持ち主は、ガソリンスタンドの張り紙を見て連絡し、自転車を譲り受けたと。
週末サマンサの美容院へ向かう途中、そのスタンドに寄ると、まだ張り紙が。
「バイクと自転車売ります」とあり、シリルの父親の名前があった。


父親の新しい住所をサマンサと共に訪ねると、見知らぬ女性がドアを開け、父親はレストランで仕込み中だと言う。二人が訪ねると、シリルの父親は少し動揺してる様子だった。
親子は厨房の中で、久々に話しをするが、父親の口は重い。

ケータイに連絡すると約束を取り付けたシリルがドアを出ると、父親はサマンサを呼ぶ。
「母親が倒れてしまって、もうあの子のことは重荷なんだ」
「子供がいると仕事口が見つからない」
手前勝手な理由をつけ
「もう会わないと伝えてくれないか?」
サマンサは「自分で言ったら?」とシリルを呼ぶ。

実の父親から無情な言葉を告げられたシリルは、帰りの車の助手席で不意に暴れ出し、サマンサは強く抱きとめた。
サマンサには彼氏がいたが、シリルには手を焼いた。
「俺とこの子とどっちを取るんだ?」
問い詰められたサマンサは、シリルと答え、彼氏は去って行った。

サマンサのもとで週末を穏やかに過ごしていたシリルだったが、町で自転車を盗まれた。
盗んだ少年をどこまでも追いかけ、森に追い詰めた。すると少年の仲間に囲まれた。シリルはそれでも少年に掴みかかり、リーダー格のウェスから、その根性を認められる。
ウェスはシリルのことを「ブル」と呼び、自宅に案内した。自宅には寝たきりの母親がいて、ウェスは一人で面倒を見てるようだった。
プレステ3で遊んで、シリルはすっかり打ち解けた。パンクした自転車の修理代も払ってくれた。

だが帰り際の通りで、二人を見つけたサマンサに、すごい剣幕で叱責される。
「あの男はクスリの売人なのよ!」
サマンサは、ウェスには二度と会うなと言った。

シリルには初めて、友達つきあいをしてくれた相手だった。翌日も二人は会っていた。
だがウェスの目的は、この怖いもの知らずの少年を、犯罪に加担させることだった。


監督のダルデンヌ兄弟はベルギー人で、映画もベルギーの町が舞台だが、これは世界中どこの町にでもあるだろう物語だ。日本にもシリルのような境遇に置かれた少年はいるだろう。
昨日コメントした『別離』と同じく、描かれてることは普遍的なテーマだ。

マイク・リー監督が、「会話」から人間を見つめるように、ダルデンヌ兄弟は「行動」を通して人間を見つめる。
なので画面も寡黙なのだが、今回の映画は、少年が自転車のペダルを軽快に漕いで移動する場面が何度も挟まれるので、映画のフットワークもいつもより軽く感じられる。少年シリルの機敏さも一役買ってる。

シリルのような少年が犯罪に手を染める例は多いだろう。そんな時に
「だが同じ境遇でも、真っ当に人生を歩んでる人間だって沢山いる」
と言う人もいる。それはそうだろうが、シリルは、たった一人の肉親の父親から
「もう会いたくない」と、面と向かって言われてるのだ。
このような事でなくとも、子供時代に親のネグレクト(育児放棄)に遭った子の辛さは如何ばかりか。

愛情をかけられず、関心を持たれることもなく、家の中で居場所もない。
大抵の子供は親から程度の差こそあれ、愛情をかけられて育ち、大人になってるだろうが、もし自分の子供時代が、シリルのようだったらと、想像することはないだろうか?
というより、ありったけの想像力を働かせて、そういう子供の身に自分を置き換えてみる、くらいのことは試みてみるべきと思うが。俺だったら耐えられないかもしれない。


ダルデンヌ兄弟の映画には珍しく、フランスの人気女優セシル・ドゥ・フランスが演じてるサマンサの存在は、この映画でも慈雨のように優しい。

シリルは犯罪に加担したことがもとで、映画の終盤に思わぬ危機に遭遇するんだが
「このまま終わったら、ちょっと無慈悲に過ぎるよなあ」
と思ってたんで、あの展開は俺にはアリだった。

2012年4月9日

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。