幸か不幸かアカデミー賞 [映画ア行]

『アーティスト』

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フランス映画初の「アカデミー作品賞」を受賞するという快挙。快挙であることは幸福なことに違いないのだが、なにか思いもかけぬ高い下駄を履かされてしまったという気分でもあるんじゃないか?
この冠がついたということは「よっぽどの感動作なんだろうな」と見る前から勝手に期待される。
過大評価という烙印を押されてしまう懸念もあるな。
監督のミシェル・アザナヴィシウスは思うだろう。
「ちがうんだよお!まずはOSS117を見といてくれよお!」とね。

『OSS117 私を愛したカフェ・オーレ』の延長線上にこの映画はある。
映画作りの姿勢が一貫してるのだ。

『OSS117』はもう1作撮ってるそうだが、俺は知らなかった。
このシリーズは1960年代の「スパイ映画」のルックを細部まで再現してやろうという、マニアックなアクション・コメディだった。
作りはマニアックなのに、ギャグはけっこうベタという、「屈折してて無邪気」という、一筋縄でいかない楽しませ方を芸風とする監督なのだ。


この『アーティスト』もサイレント映画のスターだったジョージが、トーキーの訪れと共にその座を追われ、入れ替わるように、新人女優ペピーが、「音の入った映画」のスターの座へ駆け上っていくという物語を、「サイレント映画」の作りで見せてる。

この手法を取り入れた映画は、他にもあって、メル・ブルックスのその名も『サイレント・ムービー』、アキ・カウリスマキ監督の『白い花びら』、日本では林海象監督の『夢みるように眠りたい』などがそうだ。
ローワン・アトキンソンの『Mr.ビーン』シリーズとかね。

『アーティスト』の場合は単にサイレント映画にしたということでなく、手法そのものを再現して、「サイレント映画」への愛惜を綴ってるというのがユニークなのだ。
映画好きなら数々の元ネタに気づくだろうが、別にそんなこと知らなくても、物語として楽しめる。

『OSS117』の場合は物語自体が「どこまで本気でどっからシャレなのか」見てる方は判然としない気分にさせられるんだが、そのどっか煙に巻くような姿勢は薄れ、『アーティスト』では物語そのものの力で、人の心を動かしたいという監督の思いを感じる。

フランス人の監督が、映画の都ハリウッドの撮影所で、自分の思いを込めた映画を撮る。
なんのてらいもなく、憧れが表明されていて、その「無邪気さ」に、ハリウッドの映画人も虚をつかれたのか。
結末もああくれば、そりゃあ嬉しくなってオスカーの一つも「いいからもってきなさい」って心持ちにもなったんじゃないか?それにアメリカ人は犬好きだから、あのアギーのアシストは大きいね。


監督本人も評価に自信はあっただろうが、まさかアカデミー賞なんていうほど話がデカくなるとは想像外だったろう。
不幸とまではいわないが、本当はこの映画はミニシアター数館で静かに封切られて、見に行った人が
「いやあ、いい映画見つけちゃったよ!」
と周りに話すうちに、水に波紋が広がるように良さが浸透して、ロングランにつながる、そんな
「愛すべき小品」の名に相応しいと思うんだがな。


スターの階段を転げ落ちて行くジョージと、駆け上がって行くペピーが「階段」で再会するとか、ベタも赤面するほどのベタぶりだが、一方で本質を捉えた描写もある。

ジョージが部屋にかかったスクリーンにフィルムを映写しようとするが、なにも映らない。光だけが当たるスクリーンに、落ちぶれた自分のシルエットだけが映ってる。映画は光と影「だけで」できてる。スターと持て囃されてた自分は所詮「影」でしかなかったと思い知るのだ。
ここはジョージの失意の日々を描くシークェンスでも特に印象に残る場面だった。

ジョージはトーキーに転換してから途端に人気がなくなるという設定だが、彼がトーキーに順応できないという描写がないのは残念。実際にサイレント期のスターで、トーキーに順応できなかった役者は、声が良くないなどの問題があった。
あるいは、この映画の中でペピーが言及してるが、身振りや表情を大げさに見せるサイレント演技を払拭できなかったなど。
ジョージはトーキーにトライして酷評されたわけじゃなく、プライドとしてサイレント映画にこだわり続けた。
だが駄目となればトーキーを試そうという気持ちくらいは抱いていいはずだ。
ジョン・グッドマン演じる、映画会社の社長も、「一度トーキーを試してみろよ」とか言ってもいいだろ。

ペピーはエキストラ募集でスタジオに来ていて、偶然ジョージの目にとまり、ダンスシーンの相手役に抜擢される。彼女のキャリアを導いてくれたのはジョージだったので、ペピーはジョージの苦境になんとか力になろうとするが、その思いはきちんと伝わらない。
よかれと思ってすることが、よけいにジョージのプライドを引き裂くことに。

ジョージは無給になっても彼の運転手を続ける年輩のクリフトンから
「プライドはお捨てなさい。彼女は善良な人です」
と諭されてる(サイレントだからセリフは字幕)。

クリフトンを演じるのはジェームズ・クロムウェル。『ベイヴ』での無口な農場主がよかったが、この映画の寡黙な(サイレントだけに)運転手もとても良かった。
ジョージが「もう俺にはかかわるな」という思いで、クリフトンにクビを言い渡し、給料代わりに自分の車をやるんだが、アパートの下の道路に車を停めたまま、運転手の格好でいつまでも佇んでいる。
この映画で一番の泣ける場面だったな俺としたら。


ペピーを演じたベレニス・ベジョは、細身で手足が長い、そのシルエットが、バズビー・バークレーのミュージカル映画の踊り子のようで、まさにあの時代の女優というムード。

そしてジョージ・ヴァレンティンを演じるジャン・デュジャルダンは、ベレニス・ベジョとともに、『OSS117』以来のミシェル・アザナヴィシウス監督作品の顔。アメリカ人にはこの映画で初めて見る役者だろう。
その笑顔の屈託のなさや、ユーモラスな動作、ダンスの上手さなど、「フランスにこんなイケメンがいたのか!」と驚いたんじゃないか?


俺が驚いたのは、作品・監督賞はともかく、彼がアカデミー主演男優賞を獲得したこと。
英語圏以外の男優としては1998年のロベルト・ベニーニ以来のことだ。
俺は「この人は強運の持ち主だな」と思うのは、今年のアカデミー賞には、ダニエル・デイ=ルイスもショーン・ペンも候補に上がってなかったということだ。他の候補も決め手に欠けてた。
ライアン・ゴズリングやマイケル・ファスヴェンダーが選から漏れたのが不思議なほどだ。

ハリウッドの住人は、この見知らぬフランス人の「チャーム」に票を投じたんだろう。
そして映画そのものも「チャーミング」だったのだ。

しかしアカデミー賞までいっちゃうと、次の作品はプレッシャーだろうなあ。
むしろ趣味全開でかまわず進んでもらいたいと願ってるよ。

2012年4月10日

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