叔父と姪とその娘と気の毒な父親 [映画ワ]

『私の叔父さん』

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あまりこういうことはしないんだが、映画を見た後に、連城三紀彦の原作を読んでみようと思い、単行本を買った。映画の描写では曖昧に感じられた部分が、実際原作ではどのように書かれているのか、確かめてみたかったのだ。


映画で高橋克典演じる主人公は、45才で独身の人気カメラマン構冶。郷里の下関の姉から、姪孫の夕美子が大学受験で上京するんで、部屋に泊めてやってくれと言われる。その夕美子からだしぬけに
「叔父さん、私の母さんのこと、愛してたでしょう?」
と言われ困惑する。その言葉の根拠がわからない。

構冶は19年前、姪孫と同じように上京し、自分の部屋で1ヶ月過ごしていった姪の夕季子との日々を回想する。

構冶と姉は17も歳が離れていたので、姉の娘である夕季子とは、「叔父」と「姪」の関係でありながら、6つしか違わず、小さな時分には兄妹のようにして育った間柄だった。
姉は夫が病死した後、ひとりで喫茶店を切り盛りしてたため、構冶が幼い夕季子の世話をしていた。
夕季子は「兄ちゃん」と呼んで、誰よりも懐いていた。

構冶が東京に出た後は疎遠になってたが、7年ぶりに不意に構冶を訪ねてきた夕季子は、19才の美しい女子大生になっていた。当時まだ駆け出しだった構冶は、有名なカメラマンの助手をしてたが、現場では無能扱いされ、その鬱憤をバーのホステスとの遊びで紛らわすような日々を送っていた。女性関係は賑やかだが、まともな恋愛はしてなかった。

夏休みを利用して「東京に遊びにきた」と言う夕季子は、言葉と裏腹に、構冶の部屋から外出することもなく、「兄ちゃん」の身の周りの世話を焼くばかりだ。自分と構冶の洗濯した下着を一緒に干して
「大家に同棲してると勘違いされるからやめろ」と言うんだが、意に介さない。
夏休みも終わりに近づくのに帰るそぶりを見せない夕季子。
構冶は姪の想いを感じ取ってないわけではなかった。
美しく成長して、今同じ屋根の下で寝泊りしてる。
自分の中にも夕季子と同じ気持ちがあるのかもしれない。だがそれは封印すべきもので、口に出すことではない。夕季子の何気ない言葉の端々から、それが伝わってくるから尚更だった。

夕季子は下関に帰る前の晩に、構冶を訪ねてきたバーのホステスとともに、酒を飲み、彼女が帰ったあと、堰を切るように、想いを構冶にぶつけた。だが構冶はそれを受け止めることはできなかった。

翌朝、駅まで見送りに行く道すがら、夕季子は
「実は郷里に結婚する相手がいる」と思わぬ言葉を発した。
「だから昨日言ったことは全部嘘だから」

その言葉通り、ほどなく夕季子から、結婚式の案内状が届いた。
相手は構冶と同じ年かさの、近所で水道屋を営んでる男で、風采の上がらない感じがした。
夕季子の純白のウェデングドレスの眩しさを、酒で紛らわそうと、したたかに酔ってしまった構冶は、新郎に握手しようとして、咄嗟に殴りかかってしまう。自分でもなぜそんな真似をしたのか。


それから半年くらい経って、夕季子から電話が入った。夫が店を構える資金が足りず、内緒でお金を貸してほしいと。構冶は仕事ぶりを認められるようになっており、用立てることを快諾した。

東京にやってきた夕季子は赤ん坊を抱えていた。喫茶店で会い、その別れ際に
「記念に写真を撮ってほしい」
と言う。レンズを向けるが、なぜかおどけた表情ばかりする。
「これでいいの」と5枚の写真を撮ってもらった。

写真を現像して、後日夕季子宛てに送り、構冶は焼き増しした5枚を、自宅の本棚の、島崎藤村の詩集の1ページに忍ばせた。
「きみがさやけき めのいろも」
「きみくれなゐの くちびるも」
「きみがみどりの くろかみも」
「またいつかみん このわかれ」
夕季子はその写真を撮った2ヶ月後に、交通事故に遭い、赤ん坊の夕美子を残して逝ってしまった。


構冶が45才の今に至るまで独身でいるのも、恋愛が長続きしないのも、藤村の詩集に挟んだ写真を捨てられないのも、その気持ちは自分が一番よくわかっていた。
だからこそ姪孫の夕美子の言葉の根拠が気になった。
さらに、下関に帰った夕美子は構冶を振り回すことに。
夕美子は妊娠していて「相手は叔父さんだ」と言ってる。
夕美子の父親は真に受けてない様子だが、姉は構冶が女にだらしない生活を送ってることを知ってる。万が一を疑ってるようだ。

下関に帰り、姉と夕美子の父親の前に座った構冶に、夕美子は
「叔父さんは母さんと想いを遂げられなかったから、私を代わりにしたんだ」と。

そして構冶が、自分の母親を愛していたという証拠にと、あの5枚の写真をテーブルに並べた。
写真の中にメッセージがあるという。それは構冶が今まで思ってもみなかったことだった。


映画でも原作の小説でも、あらすじに沿った会話のひとつひとつが含みを持たせるセリフになってる。それを書いてしまうとつまらなくなるので書かないが、原作を読んで補完できた部分がけっこうあった。
映画で曖昧に感じたのは、構冶の夕季子に対する想いの部分だ。原作では二人の幼い頃のエピソードが簡潔に描かれてるが、それによって、兄妹のように育った二人の結びつきがわかるようにはなってる。
あと構冶がなぜまともな恋愛ができずに、刹那的に女性と関係を持つのかという、それが姪への叶わなかった想いへとつながる描写が、映画には足りない。

夕季子を演じる寺島咲は、まっすぐな清潔感があっていいと思うのだが、映画ではその夕季子が一方的に突っ走ってしまってる印象を受ける。
構冶は「巻き込まれて困った」みたいな。実際、親子二代に巻き込まれてるんだが。


5枚の写真に関しては、これは映画という「目で見れる」ものの強さが発揮されるね。
一目瞭然というか。ここは俺も唸ったとこだ。
だが構冶はその写真を受けて、姉と夕美子の父親の前で、姪孫の夕美子に対して「けじめ」をつける発言をするんだが、俺は他に客が一人しかいなかった新宿の映画館で、
「マジか」と口に出してしまった。

ここに至って、俺は主人公の構冶より、夕美子の父親に感情移入せざるを得ない。
だって、彼は夕季子と結婚するにあたって、婿養子に入ってるわけよ。でもって結婚して娘が産まれて、間もなく嫁に死なれてしまう。
構冶の姉がそばに居たとはいえ、男手で娘を育て上げて、その娘から
「母さんは叔父さんが実は好きだった」などと言われ、その上、自分は叔父さんの子を宿してるとも言われ。そこにダメ押し的な構冶の決断て…。
こつこつと水道屋を営んできたこのオヤジの扱いはどうよ。
映画では鶴見辰吾が演じてるが、小説ではもっと風采上がんない感じの人だよね。徳井優みたいな。

しかし詰まる所、俺の中に「こういうシチュ萌え」がないという、その確認にはなった。
俺にも姪はいるし、ガキの頃は家を行き来して遊んだりもしたが、中学の頃以降は疎遠となってるし。
大体ブサイクな俺が高橋克典に我が身を重ねるなんてできないしね。想いを溜め込んで、裏腹な言葉ばかり吐いて、一歩踏みこむことができずに、恋を逃したという経験なら、そりゃああるけど。


この映画を見ようかなと思ったのは、高橋克典と細野辰興監督の組み合わせだったからだ。
10年前の『竜二 Forever』は、俺にとっては「映画作りの映画」の中でも傑作だと思ってるのだ。

それからこの2月にNHKで放映された単発ドラマ『家で死ぬということ』での高橋克典の演技が良かったということもある。この映画での夕美子の父親のような、大人しい夫の役なのだ。

家で死ぬということ.jpg

妻の母親が白川郷で独り暮らしをしてるが、末期のガンを宣告される。会社で閑職に追いやられ、家でも妻の前で肩身が狭い夫の純一は、娘に代わって義母を東京の病院に入ってもらうよう、次男を伴って説得に行くという内容。

義母は家から頑として動こうとせず、純一は身の回りの世話をする内、村の人々とも打ち解けていく。足腰が利かなくなり、村の老人ホームに移ることになるが、あれだけ気丈に振舞っていた義母が、ホームのベッドで心細げにしてる。純一はベッドの傍らで自分の手と義母の手を紐で結ぶ。

翌朝、義母は自分で身支度をして、ベッドに正座してた。
「そうですね、お義母さん。家に帰りましょう」
高橋克典のこのセリフがよかった。

義母と純一の妻は、若い頃に仲違いしたままだった。義母が危篤となり、電話を入れても、まだ仕事がどうこう言ってる妻を
「お前の母親が死ぬんだぞ。親の死に目に会うことより大事な用事なんてあるか!」
「いいから早く来い!」
このセリフは迫力が篭ってた。

この『私の叔父さん』で高橋克典は、45才の現在と、26才の若い時代を演じ分けてるが、先に書いたが、主人公に思い入れるにはカッコよすぎるんだよ。高橋克典みたいな叔父さんが相手ならば、そういう間違いも起こるかもなという、その意味での説得力はあるけど。

だが映画が期待はずれだったということではなく、原作を読んだことで、場面の背景が補完されて、もう一度見たら深みが増すかもなと感じてる。俺のように映画を見た後に原作を読んでみようと思う人間がいれば、それはそれで、映画化の意義はあったということだろう。

2012年4月25日

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砂ぼうず

はじめまして、砂ぼうずと申します。
他のブログでは触れないような懐かしい作品のレヴューが好きで、いつも楽しく拝見させていただいています。
大きなお世話かもしれませんが、過去記事を見るときにタグやカテゴリーがないので辿るのに苦労しています。できたら何か付けていただければありがたいです。駄文失礼いたしました。


by 砂ぼうず (2012-04-24 20:17) 

jovan兄

砂ぼうず様。

コメントいただきありがとうございます。古い映画の文章に関心持って読んでもらえてると思うと張り合いがでます。
ご指摘の件ですが、カテゴリーの「映画五十音別」くらいはすべきですよね。ブログ素人なんでタグのつけ方とかよくわかってないんですよ。すみません。
カテゴリー分けは数日中に行いますので、宜しくお願いいたします。
by jovan兄 (2012-04-25 01:17) 

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