イタリア映画祭2012『ローマ法王の休日』 [イタリア映画祭2012]

『ローマ法王の休日』

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法王の崩御に伴い、思いもかけず新ローマ法王に選ばれてしまった枢機卿が、その重圧に耐え切れず、民衆へのお披露目を前に、ローマ市内へ逃亡してしまうという、ナンニ・モレッティ監督最新作。


ローマ法王を題材にした映画は過去に何本かある。

1968年の『栄光の座』は、大飢饉で周辺国に侵攻も辞さないという中国に対し、法王の崩御で新たにその座に就いた、ウクライナ人の元大司教が、バチカンが蓄えたすべての財産を、世界の飢餓への寄金として差し出す決定をし、戦争を回避するという、一種の近未来SFだった。
ローマ法王を演じたのはアンソニー・クイン。

1990年の『法王さまご用心!』は、やはり法王が崩御し、バチカン教会の財務係が私腹を肥やすため、都合のいい人間を新法王に立てようと画策するが、手違いから孤児院の司祭が選ばれてしまう。
教会の腐敗を暴こうと奮闘する司祭に、ブルドッグみたいな面相のロビー・コルトレーンが扮するコメディ。

1985年の『法王の旅』は劇場未公開で、ビデオリリースのみ。新法王に選ばれたばかりのレオ司祭が、これも手違いで、バチカン法王庁から閉め出されてしまう。

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彼は身分を隠して庶民の生活を体験しながら旅を続け、貧しい暮らしにあえぐ寒村で、土地の教会の再建に力を尽くす。
『戦場のメリー・クリスマス』など、実直な人柄が滲みでる演技が持ち味のトム・コンティが法王を演じていて、現実離れしてそうな話にも説得力を与えてた。


この『ローマ法王の休日』で、新法王に選ばれる枢機卿メルヴィルを演じるのは、フランスの名優ミシェル・ピコリ。バチカンのシスティーナ礼拝堂に集められた各国の枢機卿たちによる、コンクラーヴェ(根比べと読めるのが可笑しい)という選挙の様子がまず描かれる。
8人に絞られた候補たちに、枢機卿全員が投票していくわけだが、実は法王になりたい人間などいないのだ。投票用紙に名前を書きながら
「主よ、どうか私が選ばれませんように…」と心で手を合わせてる。

メルヴィルは最初の内は1票も読み上げられず、気楽に構えていたが、後半どんどん票が入り、気づいたら新法王に。すでに聖ペドロ広場は、新法王の演説を待つ民衆で溢れ返ってる。
メルヴィルは「無理だあー!」と叫んで、奥の部屋に逃げ去ってしまう。
事務局広報のシュトールは、とりあえず演説の場は引き伸ばし、メルヴィルの気分を楽にさせようと、心理カウンセラーを呼ぶ。だがカウンセラーは大勢の枢機卿が見守る前でカウンセリングなどできないという。
「だいたい聖書にはウツの所見ばかり見られる」と言って顰蹙を買う。

シュトールは、メルヴィルに気分転換を兼ねて、やはりローマで精神分析医として開業してる、心理カウンセラーの妻の下で診てもらうことにする。
護衛を伴ってバチカンの法王庁から、ローマ市内に出たメルヴィル。
精神分析医には身分を偽り「私は役者だ」と言った。
車で待つシュトールのもとに戻ってきたメルヴィルは「保育障害だといわれたよ」と。
そして再びバチカンに戻ろうとした時、メルヴィルはシュトールや護衛たちの隙を見て、その場から逃げ去ってしまう。

「外に連れ出した私の判断が間違いだった」
事務局広報は頭を抱えたが、この事態はバチカンに集まった枢機卿たちもまだ知らない。奥の部屋で塞ぎこんでるという事にしておいた。

心理カウンセラーは何を思ったか、各国から集まってる枢機卿たちに、バレーボールをさせようと、ワールドカップよろしく、国別に分けたりしてる。中庭に土を入れ、コートを突貫で作った。
「法王が部屋から中庭の試合の様子を目にすれば、きっと元気も湧いてくる」
シュトールは新法王に体形が似てる護衛を呼び、部屋にいるようにシルエットを見せるよう指示した。
「元気だよ」とカーテンを振ってみせろと。
枢機卿たちはすっかり乗せられ、バレーボールに興じていく。


メルヴィルはローマの町で、路面電車に乗り、あてどもなく歩き、一人でホテルに部屋を取った。
部屋の外が騒がしくドアを開けてみると、男が喚き立てている。だがその内容はメルヴィルはすぐにわかった。
男はチェーホフの戯曲『かもめ』のセリフを諳んじてたのだ。
メルヴィルは思わず男の後を追い、セリフの先を言った。
「なんで俺のセリフを言う!」男は怒ってたが、やがて外に待っていた病院の車で運ばれて行った。

メルヴィルの妹はチェーホフの『かもめ』を舞台で演じてたのだ。そしてメルヴィル自身も、若い頃には役者を目指していた。精神分析医に「役者だ」と言ったのは、当てずっぽうという訳でもなかった。

「大切なのは名誉でもなければ成功でもなく、また私がかつて夢見ていたようなものでもなくて、ただ一つ、耐え忍ぶ力なのよ。私は信じているからつらいこともないし、自分の使命を思えば人生もこわくないわ。」
「僕には信じるものもなく、何が自分の使命なのかもわからずにいるんだ。」

『かもめ』の登場人物たちのセリフは、今のメルヴィルの心情に痛いほど響いてきた。
どうしても聖ペドロ広場の前の、あのバルコニーに立つ決心がつかない。メルヴィルは事務局広報のシュトールに電話をかけた。


思えばナンニ・モレッティの日本での最初の劇場公開作で、1985年作『ジュリオの当惑』では、主人公は離島からローマ郊外の教会に赴任した若い神父だった。
キリスト教徒の信仰の最前線にいる、町の教会の神父から、ついに世界数億の信者の敬愛を一身に集める法王を描くに至ったわけだ。

この映画の結末のつけ方はちょっと衝撃的と言っていいもので、「もう、どうすりゃいいんだよ…」と途方に暮れるような、現在のイタリア社会を映してるといえるのかもしれない。


俺も以前から、ローマ法王はどんな人がなれるもんなのか、興味はあった。
「法王になるべく生まれるわけではなく、法王に選ばれるのだ」ということだろうが、やはり日本でいう「徳を積む」ということをしてきた人が、教会の世界で名を高めていって、この映画のような8人の候補の一人となるのか。
政治的な手腕も必要な気もするが、どうなんだ?
主人公のメルヴィルにしても、8人の候補に上がってるということは、法王なんて想像もしえなかった、ということでもないんじゃないか?
それとも辞退するということは可能なのか?実際そういう人が過去にいたんだろうか?
そのへんの裏話を知ってると、なお面白く見れるのかも知れないな。

ミシェル・ピコリが、ずっと信仰の世界に生きてきたがゆえのナイーヴさというか、ちょっとダダをこねてるように見える壮年の男を演じて、さすがにうまいとは思う。
モレッティも心理カウンセラー役で出てるが、彼の映画は彼が主役で、私小説的に展開されるものの方が俺の好みなんで、今回はその面白さは味わえなかった。

バレーボールのくだりに時間を結構割いていて、もう少しローマ市内に出た新法王が、市民にバチカンがどう思われてるか、とかいろんな体験を通して、自らの決断に繋げて行く展開が見たかった。
まあそっちの展開はモレッティ的には「ありきたり」ってことになるんだろうが。

2012年5月1日

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