イタリア映画祭2012『海と大陸』 [イタリア映画祭2012]

『海と大陸』

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エマヌエーレ・クリアーゼという監督の過去の作品はこれまでに「イタリア映画祭」で上映されてるそうだが、俺は初めて見る。88分というタイトな上映時間の中で、語りたいこと、撮りたい画が明確に構築されてる、とてもクレバーな監督という印象を持った。
撮影監督ファビオ・チャンケッティによる、シチリアの離島の、鋭角的な景観を切り取るカメラにも目を奪われる。

リノーザという小さな島が舞台となってて、地図で確認してみると、シチリア島と、北アフリカ・チュニジアとの、ちょうど中間くらいの地中海上にある。ここに描かれる物語は、この地理的要因による所が大きい。


フィリッポはこの島で、母親ジュリエッタと、漁師の祖父エルネストと暮らしている。父親は漁で死んだ。フィリッポは祖父エルネストの船に乗り、漁師を継ごうと思ってるが、20才にしてはどこか幼さが残ってる。
叔父のニーノは自分に預けろと言うが、ジュリエッタは聞かない。夫を亡くしたこともあり、息子のフィリッポが支えになってる。ジュリエッタが「子離れ」できないことが、フィリッポを一人前の男にすることを阻んでるようでもある。

暮らし向きも厳しい。昔のように魚は網にかからない。祖父の船は老朽化して、修繕費が高くつく。
ジュリエッタは決断する。夏の間はこの家を民宿として観光客に貸し出し、閑散とする冬場は、島を出て「出稼ぎ」をしようと。フィリッポにとっても、この島では将来がない。
祖父エルネストには船を降りてほしいと話す。漁船を廃船にすると、イタリア政府から補助金が出るのだ。
祖父も同意せざるを得なかった。冬前には廃業すると言った。


数日後、いつものように、叔父の漁船で海に出たフィリッポ。漁の最中、洋上に難民船のような船が見えた。
その手前には船から海に飛び降りたとおぼしき大勢の人間が、海上を漂っている。近づいた漁船に気づき、必死で泳いで向かってくる。フィリッポは祖父に知らせ、祖父はその姿を確認すると、保安部に連絡を入れた。
イタリアの法律では、難民を目撃しても、救助はせず、警察に通報せよとなってる。難民船は海上警察が抑えるだろう。だが目の前で船に助けを求めてるアフリカ人たちを見殺しにはできない。

祖父は「海で漂流する者を助けるのは漁師の掟だ」と、ためらうことなく、彼らを船に上げる。

船が港に着くやいなや、アフリカ人たちは散り散りに走り去った。離島で行き場もないんだが。
船には身重の女性と、寄り添う息子が残された。祖父とフィリッポは人目を避けながら、彼らを家に入れた。
母屋は観光客の男女3人に貸している。フィリッポと母親は、わきのガレージを生活の場に整えていた。
ジュリエッタは「匿ってるのが知れたら、私たちも罪に問われるのよ!」
と祖父をなじったが、もう女性のお腹の子は今にも生まれそうだった。
ほどなくガレージの中で、お産をした。

観光シーズンの間、漁船をクルーズに使って稼ぐつもりの、祖父とフィリッポだったが、宿泊客の3人を船に乗せる直前、警察官が港にやってくる。港から逃げた難民たちは捕えられ、祖父は幇助したとされ、漁船を差し押さえられてしまう。

漁師たちの抗議の集まりに顔を出した叔父のニーノは
「難民のやつらは、観光で食おうという島のイメージダウンになる」
と祖父の行為を責める。
「イメージなんかのために、人命を見殺しにするのか?」
祖父の漁師の誇りがそれを許さなかったのだ。


出産を終えた難民の女性はサラと言った。彼女の夫はトリノに出稼ぎに出ていて、そのせいもあるのか、片言のイタリア語を話した。感謝の言葉を口にするサラに
「あなたは、休んで、食べて、そして出て行く。いいわね?」
とピシャリと言い放つジュリエッタ。暮らしもきついのに、何でこんなトラブルまで背負いこむのか。

赤ん坊が泣き出す。ジュリエッタはふと抱き上げ、あやすとすぐに泣き止んだ。サラは
「手の匂いを憶えてるのよ。あなたに取り上げてもらったから」

サラはここまで、どういう旅を辿ってきたのか、その過酷な体験を、静かに語った。
憐れみを乞う表情はそこにはなかった。
ジュリエッタは自分と同じ母となった、この難民の女性に、気持ちを通わせるようになっていった。
だがずっとここに置けるわけではない。彼女たちをどうすればいいのか?


フィリッポは、男友達2人と宿泊してるマウラという女の子が好きになった。
ある晩彼女を誘い、港に出ると、フィリッポは係留してるボートを無断で拝借する。マウラに夜の海の美しさを見せようというのだ。
だが沖に出たボートは、大変な事態に巻き込まれることとなる。


イタリアはカソリックの国で、今回の映画祭でも、キリスト教に係わる主題の映画が見られるが、この『海と大陸』においては、教会とか神父とかいうものが出てこない。
生活にあえぐ島の状況や、海を渡って押し寄せる難民の問題に、アジャストできない教会の無力を、この映画は語らないことで、浮かび上がらせているのか。
ジュリエッタも、フィリッポも、祖父のエルネストも、個人の倫理観を拠り所に決断するしかないのだ。

映画はフィリッポたち家族が、難民の母子のために、ある行動を起す過程を描いていくが、ふつうなら、これで胸を熱くさせるようなエンディングを迎えることになるんだが、口の中には苦いものが絡みついたままだ。

マウラを連れてボートで沖へ出た時に、フィリッポは突然の事態に動揺したとはいえ、
「許されざる行い」をしてしまった。
あの場の彼の恐怖を思えば、彼と同じようにしない自信はたしかにない。
あのボートの場面には、イタリアにおける不法難民の問題が、とてもキレイごとで解決つくようなものじゃないことを、胸に突きつけられる。
あんな怖い場面は最近でもないくらいだった。怖くて悲しい。


フィリッポを演じたフィリッポ・プチッロは、このリノーザ島より、さらにアフリカ寄りのランペドゥーザ島で、少年の時に監督にスカウトされたそうだ。ランペドゥーザ島でロケした監督の過去作でも主演をし、監督の新作で成長した姿を見せてる。
トリュフォー監督とジャン・ピエール=レオのような間柄になってくんだろうか。

母親ジュリエッタを演じてるドナテッラ・フィノッキャーロをどこかで見たと思ってたら、3月にコメント入れたオムニバス映画『昼下がり、ローマの恋』の、一番楽しかった第2話の「ストーカー美女」の彼女だった。
この『海と大陸』での彼女は母親というには色っぽすぎる。この映画の時には41才だが、30代前半くらいに見える。
マリサ・トメイを思わすようなフェロモンが溢れてる感じだ。

冒頭、亡き夫の命日に集った親戚たちが帰ったあと、黒い服の彼女が、玄関わきの椅子にヒールを脱いで、気だるそうに腰掛けてる場面があるんだが、母親がこんな色っぽくちゃ、そりゃフィリッポもイカんと思うぞ。乳離れさせてくれないだろ。
ジュリエッタは息子に「彼女はできたの?」なんて聞いてるが、
「私だって、このまま島でくすぶってるのは悲しいわ」などと、けっこう生々しい話をしてるのだ。

こんな未亡人なら島の男たちも放ってはおかないだろう、イタリア人なんだからと思うんだが、そういう描写は割愛されてたね。
それはともかくジュリエッタが、難民の母親を前に、相反する気持ちの狭間で揺れ動く心理を、確かな演技で表現していて、ホントいいよ彼女いろんな意味で。

2012年5月2日


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