イタリア映画祭2012『ジョルダーニ家の人々』 [イタリア映画祭2012]

『ジョルダーニ家の人々』

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登場人物
ピエトロ………………………ジョルダーニ家の父親
アニタ…………………………ジョルダーニ家の母親
アンドレア……………………ジョルダーニ家の長男
ニーノ…………………………ジョルダーニ家の次男
ロレンツォ……………………ジョルダーニ家の三男
ノラ……………………………ジョルダーニ家の長女
アルベルト……………………ノラの夫
ミシェル………………………アンドレアの恋人となるフランス人男性
リラ……………………………ミシェルの娘
ヴァレンティーナ……………ニーノの幼なじみ
ニコライ教授…………………ニーノの担当教授
フランチェスカ………………ニコライ教授の妻
シャーバ………………………ニーノが助けるイラク移民
アリナ…………………………シャーバの娘
カタルド………………………アリナを守る刑事
シルヴィア……………………ピエトロの不倫相手
ブラージ大尉…………………ノラの患者で帰還兵


チケット売り出し時には『そこにとどまるもの』という仮題がつけられてたが、
『ジョルダーニ家の人々』という公開題名に決まった。
イタリアのテレビ局「ライ」によるテレビミニシリーズを、6時間39分に再編集したもの。
同じ製作・脚本・撮影スタッフによる2003年の『輝ける青春』と同様、「岩波ホール」での一挙上映が7月に控えている。

俺は「イタリア映画祭」の直前に『輝ける青春』を初めてDVDで見て、すっかりハマってしまったので、かなり期待値のハードルは上がってた。
不安要素はスタッフの中で、監督がマルコ・トゥリオ・ジョルダーナではないという点だった。
そして俺にとってはその不安が的中した。
なのでこのコメントは、あくまで『輝ける青春』で期待値上げすぎた人間のものと捉えてほしい。
波乱万丈家族ドラマとしては、十分楽しめる人も多いと思うので。

ジョルダーニ家の人々.jpg

尺が長いだけに登場人物も多い。ジョルダーニ家はローマに住む中産階級の一家。
長女ノラは一人目の子を妊娠していて、母親アニタは、外務省勤務の長男アンドレアの久々の帰宅を待ちわびてる。何も波風の立ってなさそうな、家族の満ち足りた夕食の風景だが、次男ニーノは、父親ピエトロが、書店を営む年下のシルヴィアと不倫してるのを目撃していて、内心憤っている。
家族の間の小さな亀裂は、三男ロレンツォの突然の交通事故死で、決定的なものに。

ロレンツォを寵愛してた母親アニタは、すっかり心を閉ざしてしまい、キッチンで衝動的にガス自殺を図ろうとまでした。心理カウンセラーとして市内の病院に勤めるノラの紹介で、アニタは自ら家族から離れ、郊外の療養所に移ってしまう。

父親ピエトロは不倫してるという後ろめたさもあり、家族のために自分は無力だと感じていた。シルヴィアとの関係を清算すると、技術者としてイラクのプラント建設に向かうことを決める。
ニーノは父親の不倫を責め、自分でアパートを借りると、家を出て行ってしまってた。

仕事でローマにいることの少ないアンドレア。夫との暮らしがあるノラ。この広い家に、家族は一人も居なくなってしまった。


このあとのストーリーを引っ張っていくのが、アンドレアとニーノの兄弟であるところは、『輝ける青春』と同じだ。
アンドレアは用事があって病院にノラを訪ねた時、ノラから心理カウンセリングを受けてる、ミシェルというフランス人男性と知り合う。アンドレアは帰りがけにミシェルの車で送ってもらい、二人は親しくなる。
建築家志望の弟ニーノは、大学の学部を最優秀の成績で卒業、即建築デザイナーの道も約束されたが、「現場を知りたい」と、建物の基礎工事の労働者として働くようになる。

現場が休みの日に、シチリアにいるという兄のアンドレアの元をふらりと訪ねたニーノは、兄が男と同棲してることに驚く。アンドレアがゲイだとは知らなかったのだ。ニーノに限らず、家族の誰も知らなかった。
ミシェルは大柄だが、優しい目をしていて、兄は幸せそうだった。
「兄さんのあんな笑顔、家では見たことない」
アンドレアはここで不法入国者の身柄の調整にあたってたが、港に移民たちを乗せた船が着くという報を受け、ニーノも同行させてもらう。


夜、浜辺に着いたボートから降ろされた、大勢の疲弊し切った移民たちの様子を真近で見たニーノは、イタリアの抱える現状の一端にショックを覚えた。興味本位で覗きにきた自分を恥じた。
業務を行う兄を遠目に見つつ、ニーノはその場を去ろうと、車に乗り込んだ。すると後部座席に移民の女性がうずくまってる。
「ここはダメだ!」と動揺するニーノだが、女性は海水に浸かり身体が冷え切ってるようで、しばらくここにと懇願された。ニーノは意を決し、彼女に自分の上着を被せると、港の検問を通過し、アンドレアたちの家へ戻った。

ミシェルは仕事で数日家を空けてるようだ。不法入国者たちの対応を終え、疲れた顔で家に戻ったアンドレアは、居間のソファーに、移民とおぼしき中年の女性が寝てるのを見て驚愕する。
「国家公務員の僕が不法行為に手を貸せるわけないだろ!」
アンドレアは弟の軽率な行動を責めたが、一晩だけでも置いてやってというニーノの言葉に折れる。

翌朝ニーノは移民の女性と話しをした。彼女の名はシャーバ。イラクでは看護士をしていて、難民キャンプでイタリア人医師の下で働いてたんで、イタリア語もなんとか話せた。
彼女は生活苦から海を渡ったのではなく、数年前に家を出たまま、消息の知れない娘を探しにイタリアに来たと言う。人からの聞き伝えでは、ヨーロッパを転々とした後、娘はローマの難民キャンプ地にいるらしい。
「ここからローマへどうやっていけばいい?」
シチリアから地理も知らない外国人がローマまでは容易ではない。もちろん飛行機も使えない。
ニーノは「僕が一緒に行こう」と言った。

住所も聞いていたが「ローマに難民キャンプなんてあったか?」という疑問をニーノは持った。
彼の疑念通り、その住所には昔キャンプがあったらしい痕跡はあるが、ただの空き地となっていた。
シャーバをここまで連れてきたが、彼女が身を寄せるような場所はない。
ニーノは家族の居なくなった実家にシャーバを招いた。


アンドレアとミシェルの同棲生活は思わぬ終わりを迎えた。ミシェルには小さな娘リラがいたのだ。
勢いで寝て妊娠させた相手の女性は麻薬に溺れていて、もう娘を育てられないと、ミシェルの下に娘を置いて行ったのだ。
娘を寝かしつける「父親ミシェル」を見ながら、アンドレアは、嫉妬にも似た感情に苛まれ、家を出た。

だがミシェルにも小さな娘を育てられない事情があった。
彼はアンドレアにも話してなかったが、不治の病に冒されており、自分の最期の時への心構えのために、ノラにカウンセリングを受けてたのだ。
ミシェルに、娘との経緯と、恋人との係わり合いを相談されたノラは
「交際相手とよく話し合うべきよ」
と言うが、その相手が自分の兄アンドレアと初めて聞かされ、呆然となる。


ニーノからシャーバの事情を詳しく聞かされたアンドレアは、警察にツテがあり、シャーバの娘の居所を捜すよう依頼する。潜入捜査を専門とする敏腕のカタルド刑事が請け負い、シャーバがペンダントに入れた娘の写真から、間もなく、娘がストリップを見せるクラブで、娼婦として働いていることを掴む。アンドレアとニーノはクラブを訪ね、娘と会う。
娘の名はアリナと言い、母親がローマに来てることにショックを受けるが、今の自分を母親には見せられないと、会うことを拒絶した。

ニーノは相変わらず建築現場で汗を流してたが、その現場は、大学でニーノの才能を見込んでるニコライ教授の紹介を受けていた。現場には度々、内装デザインを仕事にする、教授の美しい妻フランチェスカが顔を見せた。
夫妻には小さな娘がいたが、夫婦の間には冷やかな感触があった。
ニーノには、幼なじみで、同じく建築家を目指し、彼を秘かに想ってるヴァレンティーナがいるが、ニーノは次第に、教授の妻に心を動かされていく。そしてフランチェスカも同様だった。

一方、家族から離れ、ひとり療養施設にこもる日々の母親アニタは、未だに三男の死を受け入れられない。
アニタはロレンツォはまだ生きていると信じている。
なぜなら彼女のもとに、ロレンツォの名で、定期的に手紙が届いてるからだった。
一体手紙を出してるのは誰なのか?


この先、アンドレアとミシェルの行方、シャーバと娘アリナの行方、ニーノの恋愛は二股となるのか?などが描かれていく。
長女ノラの患者で、イラク戦争で地雷を踏み、以来記憶を失ったブラージ大尉とのエピソードも語られるが、これは本筋とあまりリンクしてない。いや最後にはリンクするともいえるんだが、ちょっとそれが出し抜け感が強く、ノラの夫アルベルトが気の毒になる。
アルベルトは中日の和田みたいな見た目で、俺はノラに「それは毛髪のせいなのか?」と言ってやりたくなったぞ。

イタリア映画というと大家族で、その結束の固さが描かれるのが常套なんだが、このドラマは一見絆の強そうな家族が、脆くも空中分解を起し、それが赤の他人だった人たちを媒介にして、もとの形より、密度が濃く、修復されていくというのが見所だ。
「家族」というのを、単に血のつながりということだけで、閉鎖的に捉えるのではなく、もっと広義の「家族」的なるものの実現は可能かと、移民問題に揺れるイタリアの現在に問いかけているように思える。

このドラマに思い入れられるかどうかは、次男ニーノの人物像を肯定できるかどうかで異なってくるだろう。
俺は正直この兄弟は、『輝ける青春』のニコラとマッテオの兄弟ほどには共感得られなかった。
ニーノはそもそも家族たちの場でも皮肉な物言いをする、「ちょっとひねくれたヤツ」だが、自分の進む道に対する才能があることは周囲も認めるところだ。まあ優等生的でないのはかまわない。
だが父親の不倫をあれだけ責めておきながら、自分も他人の女房と同じ行為に及んでるのは「言行不一致」と言われても仕方ないな。

そのニーノの法に触れる「移民を匿う」行為に対して、法を執行する側にいる兄アンドレアが手を貸すのもな。
兄弟が「人道上」そうしたと言っても、じゃあ他の不法入国者にだって、人道上助けなきゃならない理由があるんじゃないか?ニーノだけでなく、アンドレアも軽率なんだよ。

『輝ける青春』では兄弟と、心を病んだ少女ジョルジアとのエピソードにすっかり掴まれてしまった俺だったが、この『ジョルダーニ家の人々』の登場人物に、それだけの魅力を感じることができなかった。
あのジョルジアのキャラクターも、いかにもと言えばいかにもで、「ああ、守ってやりたい」と男に思わせるような描かれ方だった。
それに乗せられたということなんだが、映画というのは「乗せられてなんぼ」だと思うから、それと比べると「他人行儀」な印象を今回の登場人物には感じてしまう。

元々がテレビドラマとして撮られてるからなのかどうか、演出がセリフを読ませて終わりという、その先のエモーションにまで達してない。
『輝ける青春』もテレビドラマなんだが、マルコ・トゥリオ・ジョルダーナの演出は、セリフよりも眼差しで語らせることに重きを置いていて、見てる側に、登場人物の気持ちを推し量る余地を常に与えてくれてた気がするのだ。
この『ジョルダーニ家の人々』に対する俺の物足りなさの一番の理由は「眼差し」の不足という点に尽きる。

家族の前から「逃亡」を図った父親ピエトロが、終盤に劇を締める役割を担って戻ってくるが、演じるエンニオ・ファンタスティキーニは、『明日のパスタはアルデンテ』では、ゲイの長男に怒って勘当を告げてたが、今回は同じく長男に理解を示す父親となってた。


ニーノと幼なじみのヴァレンティーナが、夜のデートめいて、バスに乗り込む場面がある。「93番線」という、ローマの現代的な一角から、古い歴史建築物が立ち並ぶ地区を結ぶバスだ。
その場面は『フェリーニのローマ』のラストで、バイクの若者たちが夜のローマを爆音響かせて駆け抜ける、あの場面を思い起させる。
バスの中でヴァレンティーナが、エミリー・ディキンソンの詩を暗誦するんだが、その詩がこの映画の題名の元となってる。

「飛び去るものがある、鳥たち、時間、マルハナバチ、
それらに挽歌は似合わない。」

「そこにとどまるものがある、悲しみ、丘陵、永遠、
それらも私にはそぐわない。」

2012年5月7日

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