イタリア映画祭2012『気楽な人生』『楽園の中へ』 [イタリア映画祭2012]

『気楽な人生』

気楽な人生2.jpg

これを観ようと思ったのは、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノの濃ゆい顔を眺めるためだった。
ファヴィーノ演じるエリート外科医マリオは、大学時代からの親友ルカの父親が経営する、ローマ市内の病院に勤務してる。ルカも同じ医者だが、父親の儲け主義の病院経営に反発し、人道支援のため、ケニアで小さな診療所を開き、もう12年も国に帰ってなかった。
その診療所で医者が一人辞めてしまい、ルカだけになってしまったと話しに聞いたマリオは、不意に思い立ち、代わりに医者が見つかるまで、ルカを手助けしようと、ケニアに飛んだ。
妻のジネヴラには「悠々自適の医者の生活に後ろめたさがあったんでしょ?」と言われたが。

乏しい医療設備、部族によって異なる生活習慣。マリオには困惑することばかりで、親友ルカは手伝いにきた自分に対して高圧的な態度。ストレスが高じて二人はついに衝突するが、そこは長いつきあいだ。互いに矛の収め方はわかってる。

マリオは持ち前の陽気さで、周りとも打ち解け、しだいにルカとマリオは見事なチームプレイで、診療をこなしていくようになる。だが二人には互いに口に出せない秘密を抱えていた。

以前ルカはジネヴラに惚れていて、脈もあると思っていた。その彼女が結婚相手に選んだのは、親友のマリオだった。婚約披露パーティで泥酔したルカは、マリオの運転する車での帰り際に、助手席で絡み出し、マリオはハンドルを取られて、衝突事故を起す。後部座席にはジネヴラもいた。
ルカとジネヴラは軽傷だったが、マリオは一時、意識不明の重体に。
その時、ルカは彼の死を願ったのだ。

一方マリオは、ルカを手伝いにケニアに来たことになってたが、実はローマの病院で、業者から多額のリベートを受け取ったとの疑惑が公になり、しばらく姿をくらますことにしたのだった。

そしてそんな二人のもとに、ジネヴラまでもが、ケニアにやって来る。
ジネヴラは何より金に不自由しない「気楽な人生」を望む女だった。ルカとマリオを両天秤にかけ、青臭い理想家肌のルカを見切って、マリオを選んだが、今はそのマリオの立場も危うい。

マリオにはリベートで得た「隠し財産」が病院の彼の部屋に残されてる。だが本人が取りには行けない。
ルカは診療所への多額の寄付を条件に、マリオに代わって取りに行くことに同意。父親の病院なのだから、怪しまれることもない。
ジネヴラも同行するという。彼女の真意は何なのか?
腹に一物ある「三角関係」が導き出す結末とは?


イタリアの医療に対する皮肉な視点は、垣間見れるものの、社会的なメッセージを押し出す描き方ではない。気の利いた脚本で最後まで飽きさせないドラマだった。

ピエルフランチェスコ・ファヴィーノと、ルカを演じるステファノ・アッコルシの、丁々発止の会話のやりとりが快調で、映画のテンポを生み出してた。
ハリウッド・リメイクの話とか持ち上がってもよさそうな脚本だと思うが、もしそうなっても、まずはこのイタリアの役者二人の絶妙のコンビネーションを、一般公開で見てもらえるといいんだが。
配給は決まってないらしいので。



『楽園の中へ』

楽園の中に.jpg

これも「移民」がキーワードになってるが、コメディの題材としてのものだ。
舞台はナポリの、スリランカ移民たちが暮らす一角。3人の男が出てくる。

大学で細胞研究をこつこつと続ける傍ら、母親の介護に時間を費やし、母親が亡くなった時には、すっかりいい年となってしまってた、真面目男のアルフォンソ。
急に大学をリストラされ、困り果てた彼は、幼なじみのヴィンチェンツォに、再就職のあてがないか、訪ねてみる。
ヴィンチェンツォは裁縫工場を営み、議員にも立候補してるヤリ手だ。
昔から嫌な奴だが、背に腹は変えられない。

ヴィンチェンツォは就職口の代わりに、ある仕事をしてくれれば、報酬を払うと持ちかける。有力者に「キューバ産の葉巻」を賄賂に渡すんだが、相手の使いの者が受け取るという手筈だ。
だがその実、アルフォンソは拳銃の運び屋に仕立てあげられ、わけもわからずにマフィアに追われ、スリランカ移民が暮らす一角に逃げ込んだ。
迷路のようにアパートが立ち並び、屋上の小屋に飛び込む。

アルフォンソから連絡を受け、やってきたヴィンチェンツォは、依頼された組織にヘマを悟られるとマズいんで、アルフォンソには死んでもらうつもりだった。
行動に起そうとした時、その小屋の住人が、アルフォンソを殴り倒した。

住人はスリランカ人でガヤンという名だった。ここの住人というわけではなく、ガヤンはスリランカ国内では、クリケットのスター選手だったのだ。
従弟から「イタリアには楽園がある」と聞いて、国を出てきたが、「楽園」とは、このスリランカ移民の一角の呼び名だった。騙されたと頭にきたが、帰国する金もない。
従弟から裕福な老婦人の介護人の職を斡旋され、しぶしぶ働いてたのだ。


映画はヴィンチェンツォに関しては、屋上の小屋で拘束されてるままだが、アルフォンソとガヤンの、持ちつ持たれつの関係を軸に展開していく。
アルフォンソは大学で「細胞間のコミュニケーション」を研究してるんだが、それがイタリア人とスリランカ人という、異なった人種とのコミュニケーションと重なるような描写があるかというと、これがないので、アルフォンソの仕事の特異性が生かされない。

ガヤンも切羽詰ってイタリアに渡ってきたわけじゃなく、国へ帰れば有名人なのだから、ここでなにか必死に成さなければならない理由がない。
登場人物に思い入れる部分が希薄なので、スリリングに気持ちが盛り上がっていかないのだ。

ケタケタ笑うボスが率いる犯罪組織に狙われてるわけだが、組織はアルフォンソが「楽園」に逃げ込んだと踏んでて、アパートの入り口に見張りを置いてる。その見張りたちも何日も居るうちに、人懐こいスリランカ人たちのペースにはまっていく。
だが完全にはまっちゃう描写ならそれはそれで楽しくなるんだろうが、そこは中途半端で、そのうち、しびれ切らした組織の人間がゾロゾロやってきて、アパートのガサ入れを始める。
いや最初からそうすりゃいいじゃんと思うが。

アルフォンソが指圧を受けて、次第に心を通わすようになる、スリランカ人女性ジャチンタとのエピソードは、ドイツのトルコ系住民のドラマ『ソウル・キッチン』の設定と似てて、既視感。
コメディにしたいのか、ちょいシリアスなアクション仕立てでいきたいのか、どっちもやろうとしたのが裏目に出てるかな。
屋上の小屋の内部の場面の色彩が、軽いタッチで見せたい演出に反して、陰惨な雰囲気になってしまってる。
映画全体を通して、狙いはわかるけど、狙い通りに運ばなかったという印象だ。

2012年5月8日


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。