チャン・ドンゴンと『燃えよ!カンフー』 [映画カ行]

『決闘の大地で』

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この映画でチャン・ドンゴン演じる主人公はただ「戦士」と呼ばれている。
中国で暗殺集団「悲しき笛」で幼少の頃から、殺しの技術を叩き込まれた戦士は、最強の刺客も打ち倒し、敵の一族を全滅させる。
だが最後に生き残りである、姫として生まれた赤ん坊を殺すことができず、掟を破ることを覚悟した戦士は、旧友の住むアメリカへ逃れる。

赤ん坊を背負って西部の町「ロード」に辿り着くが、住人から旧友の死を聞かされ、行く宛てを失う。
町はゴールドラッシュを当て込んで、遊園地を作ったものの、ブームは過ぎ去り、建設途中の観覧車が虚しくそびえていた。
住人はほとんどがサーカス団の団員で、ブームの後、この町に居ついてしまっていた。


子連れの東洋人に興味を示したのは、ナイフ投げの美女リンだった。戦士の旧友だった男は、この町でクリーニング店を営んでいて、
「行くあてもないなら、ここで店を共同経営しない?」と持ちかけた。
殺しの技術しか身についてない戦士は、慣れない仕事と詮索好きな住人に戸惑うが、今まで味わったことのない、人間の温もりを感じる生活に、心地よさを感じるようになっていた。

赤ん坊の面倒を見てくれるリンに、戦士は「ナイフ投げ」の極意を授ける。リンはナイフ投げの担当なのに、まともに的に当てられなかったのだ。

彼女は戦士が1本の刀を隠し持ってることを知る。表情をほとんど表に出さない「静かなる男」は、只者ではない。リンはそう感じていた。

同じような視線を戦士に注いでいたのは、常に酔いどれてる中年男のロンだった。かつて凄腕の強盗だったロンは、銃を捨てこの町に流れてきた。以来、無為な日々を送り続けてる。
ロンはこの東洋人に殺気を感じとっていた。


謎の東洋人が開拓時代のアメリカ西部に渡ってくるという設定で思い出すのは、
1970年代のテレビドラマ『燃えよ!カンフー』だ。
「燃えよ!」と邦題はつけてるが、そんなに威勢がよくはない。
原題は『KUNG-FU』であり、ドラマ性と、主人公のミステリアスな人物像を重視して描かれていた。

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少林寺でカンフー・マスターの称号を得た、アメリカ人を父に持つ混血の青年クワイ・チャン・ケイン。子供時代に彼のことを「コオロギ」と呼んで、厳しくも愛情をかけてくれた師匠のホー先生が、皇帝の甥の凶弾に倒れたのを目撃し、怒りのあまり、甥を殺してしまい、追われる身となる。
ケインは腹違いの兄が住むアメリカへと逃げるが、皇帝の刺客たちも後を追う。

ドラマはケインが立ち寄る西部の名も無き町での、住民たちとのエピソードを1話完結の形で描いていた。
ケインを演じてたのはデヴィッド・キャラダインで、東洋人には見えないが、無国籍の風情はあって、たしかにミステリアス。1972年に放映が開始されてる時代性か、無造作に伸ばした長髪と、埃まみれの出で立ちは、ヒッピーを思わせるものもあった。

ケインは行く先々で好奇と偏見の目にさらされるが、むやみに争そうことをしない、その人間性の深さに、出会った人々は感銘を受けるのだ。
しかし大概において、もうどうしても相手にならなきゃしょーがない状況が、毎回ドラマの後半に訪れるんで、その際には銃をも恐れない少林寺拳法が炸裂するわけだ。

デヴィッド・キャラダインは「拳法など知らないから、習ってたモダンダンスの動きを応用した」と昔語っていて、まあ正直格闘場面はヘッポコではある。
だが格闘にいたるまでのドラマで、ちゃんとタメが作られてるんで、「耐えたすえに炸裂させた」という痛快感が得られた。
日本では1976年に放映され、俺は当時毎週の楽しみとしていた。
子役時代のジョディ・フォスターが出てる回もあった。


さて映画に話を戻すと、貧しくも平穏に見えるこの「ロード」の町にも、恐怖の種はあった。自ら兵隊を率いる無法者の「大佐」の一団が、傍若無人に暴れ回ってるのだ。

リンがまだ少女の頃、大佐は町を襲い、リンを捕えて犯そうとした。その時リンは反撃して、大佐の顔に深い傷を負わせた。激怒した大佐によって、彼女の家族は目の前で殺され、リンも撃たれて瀕死の重傷を負った。
リンがサーカスでナイフ投げに志願したのは、いつか大佐に復讐するためでもあった。
リンはそんな生い立ちを戦士に話した。戦士はリンに剣の技術を教え、クリスマスで町の住人が賑わう中、ふたりは初めて口づけを交わした。

だがその聖なる夜に、再び大佐たちの一団が町を襲った。住人たちはその振る舞いに耐えるのみだ。
娼婦に扮して大佐に近づき、復讐の機会を狙ったリンだったが、正体を見破られ、絶対絶命に。
その時、疾風のような勢いでリンを救ったのは戦士だった。
大佐が差し向ける兵隊たちを次々に打ち倒していく。町の住人たちも呆然と見つめた。そして酔いどれのロンも。
思いもかけぬ反撃に混乱した一団は、大佐に率いられ撤退した。

東洋人の戦いぶりに、町の住人たちも勇気を奮い立たせた。
大佐たちは報復に戻ってくるだろう。だがもう泣き寝入りはしない。町は自分たちで守るのだ。
貧しさとともに、誇りも見失ってた住人たちは、迎え撃つ決意にまとまった。

だが戦士が封印してた必殺剣の、その空気を震わす音を、はるか彼方で聞き取った者がいた。
暗殺集団「悲しき笛」の首領は、追ってた裏切り者が、いまどこに居るのか確信した。


チャン・ドンゴンのハリウッド進出第1作となるんだが、監督も韓国人のイ・スンムなので、チャン・ドンゴンの韓国でのステータスに敬意が払われてる。
ハリウッド映画界が、東洋人スターに「場を貸してやる」という、軽く見た感じがないのがいい。

東洋人のミステリアスなキャラクターというのは、定石的ではあるが、名の通ったハリウッドの役者たちが、手を抜かずに脇を固めているので、むしろこの手の合作にありがちな「ツッコミ入れながら見る」という要素が乏しくて、そこは感心するやら、物足りないやら。
その位きっちり作られてるという印象なのだ。

なにより『ブルー・クラッシュ』や『スーパーマン・リターンズ』のロイス・レーン役など、主演級で活躍してる、ハリウッドの白人女優ケイト・ボズワースとのキスシーンがあるのは特筆もの。

過去にハリウッドの白人女優が、東洋人の男優とキスを交わす場面は、ほとんど描かれたことがない。
アメリカ映画における保守的なヒエラルキー構造は、今も根強くあるのが実情なのだ。
ケイト・ボズワース自身が『わらの犬』のリメイクで、男たちに暴行されるシーンを演じるなど、挑戦を厭わない女優であるということもあるだろう。
彼女はこの映画で、大佐との格闘場面も体当たりで演じており、その役者根性はすがすがしい。

酔いどれのロンを演じるのは名優ジェフリー・ラッシュ。ロンがライフルを再び手にして、観覧車の上から、大佐たちの一団を迎え撃つ場面は痛快だ。
それにも増して大佐を演じるダニー・ヒューストンが、ケレン味全開の悪玉演技を披露してて、場面をさらう。
作劇として問題があるとすれば、この大佐がキャラ立ちしすぎてるのだ。


ラスボスであるはずの「悲しき笛」の首領と、その刺客たちが、クライマックスで満を持して登場する作りのはずが、もう大佐たちとの戦闘場面で盛り上がってるんで
「あれ、なんかどさくさにまぎれて来ちゃいましたよ」という、パーティに遅刻して参加したタイミングの悪さは否めない。

その首領を演じるのは『男たちの晩歌』のティ・ロンという贅沢なキャスティングなのにね。
ティ・ロンは若い頃には「武侠映画」にも出ているんで、このラスボスの佇まいも堂に入ってる。

戦いを終えたチャン・ドンゴンが、住人が見送る中を、デッカい夕陽に向かって去ってくのは、ベタすぎる絵ヅラで「おいおい」と思うが、その後にももう一場面あったのだ。

俺としてはクワイ・チャン・ケインを思い出したり、楽しみ所のある映画だった。

2012年5月10日

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