ドニー・イェン対ジミー・ウォング仰天対決 [映画サ行]

『捜査官Ⅹ』

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雲南省の山間に、肩を寄せ合うように家が立ち並ぶ、小さな村で事件は起きた。
流れの強盗ふたりが、両替商を襲い、居合わせた紙職人ジンシーが巻き添えを食う。ジンシーが強盗のひとりの腰に必死に食らいつく中、同士討ちで、強盗の片割れが死ぬ。
ジンシーは腰にしがみついたまま、強盗とともに裏手の川に転がり落ちる。
強盗は馬乗りの体勢で拳を振るっていたが、急にもんどり打って水の中へと沈んだ。
思わぬ強運でジンシーは難を逃れたと、目撃した村人の誰もが思った。

家では牛を飼い、毎日美しい妻のアユーと幼い息子ふたりに見送られ、製紙工場で汗して働く。
実直なジンシーは一躍村の英雄となったが、村を訪れ、検死を行った捜査官シュウは、疑念を抱いた。
屈強な強盗ふたりを、丸腰の紙職人が倒せるはずがない。
水中に沈んでいた強盗の両目は充血している。

シュウは現場の両替商をくまなく見て回り、床に残る足跡などから、格闘の様子をまざまざと、頭の中に再現していった。
そしてジンシーが攻撃受けてるように見せかけて、周到に強盗たちを同士討ちに持ち込み、川の中では、強盗のこめかみに、心臓を止めるツボに一撃を食らわしたと推理した。
紙職人ジンシーは只者ではない。これは確信に満ちた殺人行為だ。

だが実際ジンシーを尋問し、その生活ぶりを、つきまとうように眺めても、この男が殺人技を極めたようには見えなかった。
シュウの執拗な追求に、ジンシーは家族にも話してない素性を明かした。
故郷で父親から殺人をけしかけられ、10年の刑期の後、この村に流れ着いたのだと。

だがまだ疑いの晴れないシュウは、凄腕の殺し屋なら、反射神経も鋭いはずと、橋の上から背中を押すと、普通に落下してくし、背中から鎌を振り下ろせば、もろに肩に突き刺さるし。
シュウにそんな真似までされても、ジンシーは怒る素振りもなかった。
だが村人からは、捜査の度を越してると一斉に反発を食らい、シュウは山を降りざるを得なくなる。


ジンシーは実直で家族思いであることも重々わかった。だがシュウは以前ある少年に温情をかけ、釈放した後、家族から感謝の席を設けられ、その際少年が料理に仕込んだ毒により、家族は死に、シュウ自身もそれ以来、薬の手放せない身となっていた。

「情より法を」という彼の頑迷さは、その経験から来るものだった。
そしてシュウの推理を裏付ける事実が、同僚から告げられた。

ジンシーの過去を探るため、故郷の村で同僚が突き止めたのは、ジンシーが中国最凶の暗殺集団
「七十二地刹」のナンバー2だったのでは、というものだった。
80万人の同胞を殺された、西夏族の生き残りで構成されており、「同胞80万人分の復讐」を掲げて、女子供の命も容赦なく奪っていた。
マスターと呼ばれる首領の息子タン・ロンこそ、名を変えたジンシーだという。
ジンシーは過去の自分を捨てたということなのか?その理由は?

だがシュウが逮捕状を取り、雲南省の村に戻るより先に、女刺客に率いられた「七十二地刹」の一味が、村を襲撃に来た。


平穏に暮らす男が、殺し屋であった過去を、家族の前で暴かれるというのは、クロネンバーグ監督の『ヒストリー・オブ・バイオレンス』であり、金城武演じる捜査官シュウが、現場の状況から脳内再現を試みるのは『シャーロック・ホームズ』であり、『処刑人』の刑事デフォーのようでもあり。

俺が映画全体を通して、かくし味のように連想した映画は、1973年のマカロニ・ウェスタン『ミスター・ノーボディ』だった。

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あの映画は銃を置いて引退を決めた、かつての名ガンマン、ヘンリー・フォンダを、テレンス・ヒルが執拗に追い回す。彼はフォンダをリスペクトしていて、名ガンマンには、ふさわしい伝説が必要と勝手に思い込み、群盗たち相手に銃を再び手に取らせようとする。
フォンダにはその気がないのにだ。
そして群盗たちを倒した後、まだ計画があった。フォンダが引退を表明しても、命を狙う者は後を絶たないだろう。
テレンス・ヒルは自分と決闘して死んだと思わせるため、ひと芝居打つのだ。
最初はストーカーのように付きまとうが、最後には両者に結束感が生まれてる。


『捜査官Ⅹ』もその展開で、ジンシーが女刺客と壮絶な戦いを演じたことを告げられた「七十二地刹」のマスターは、一族を裏切った息子タン・ロンの命を奪いにやってくる。
シュウは医学の知識があり、ジンシーを薬によって、一時的に仮死状態に置き、マスターに「死体」を見せて納得させようと図る。
「死んだと思わせる」という脚本の設定も『ミスター・ノーボディ』をヒントにしてるのではないか。
そんな風にいろいろ既視感は否めないんだが、それでもこれは面白かった。


邦題からは金城武の捜査官が主役に思われがちだが、ジンシーが紙職人の仮面を脱ぎ捨てる後半は、もうドニー・イェンの映画だ。前半の金城武の「思い込み」捜査っぷりはそれはそれで面白いし、ドニーがされるに任せてるというのも可笑しみがある。

だが村人に危害を加える女刺客と一味に対し、妻子が見守る前で、ついに本来の姿で戦闘モードに入る瞬間は、見てるこっちも全身が総毛立つような興奮が湧き上がる。
ドラマのタメが利いてるのだ。
車でいえば、新車を慣らし運転から、一気にエンジン吹き上げてく感じか。

こういう時代ものの格闘場面だと、ふつうはパーカッションというか、太鼓の「ドドドンドドドン」という劇伴がつくんだが、この映画ではなんとギターソロ!ゲイリー・ムーアかという感じで、これがけっこう合うのだ。


女刺客を演じるクララ・フェイは80年代を代表するアクション女優だそうだが、俺は彼女の映画を見たことなかったんで、その動きの切れとか、気合の入った表情とか、思わず見入ってしまった。
両手に剣を振るう彼女とドニーの戦いも技が速い速い。

それを牛小屋の中でやるから、牛も小屋の柵こわして暴走し、庭の先の崖から滝の中へと落下してく。
この滝も濁流のような水量で迫力あるし、起伏に富んだアクションのロケーションが素晴らしい。


終盤にはついに「七十二地刹」のマスターとの決着を迎えるんだが、マスターを演じるのはジミー・ウォング。
カンフー映画の伝説の一人であり「片腕ドラゴン」だが、この映画では片腕じゃない。
しかしいかに伝説とはいえ、68才にもなる人が、ドニー・イェンと拳まじえるのはチト酷ではないか。
誰もがそう思うので、映画は驚愕の展開を用意してた。
俺はその場面で「うわっ!」と声を出してしもた。このリスペクトの仕方は凄いなと。

ジンシーの妻アユーを演じるのはタン・ウェイ。『レイトオータム』を見て俺もすっかり気に入ってしまったんだが、この映画でも村の女なので、化粧っ気がなく、そこがよかった。
中国・香港あるいは韓国は、顔のパーツそれぞれが目立つというか、アピールの強い顔立ちの女優が多い。
タン・ウェイは顔のパーツが控えめで、その地味さ加減が逆に目に留まるのだ。
ちょっと昔の日本の女優とかアイドルとかを思わせる「なつかしさ」を感じたりもする。

金城武のファンには物足りなさがあるのかもしれないが、ドニー・イェンが出てるとなれば、ドニー・イェンが暴れないと話にならないわけで、原題もそのものズバリ『武侠』というしね。

2012年5月12日

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