初日は曾根中生監督のトークショー [生きつづけるロマンポルノ]

『生きつづけるロマンポルノ』

生きつづけるロマンポルノ.jpg

「曾根中生監督のトークショー抜粋」

1971年から1988年まで、約1100本も製作・公開された「日活ロマンポルノ」作品の中から、映画評論家の蓮實重彦、山田宏一、山根貞男が選んだ32本を上映する企画
『生きつづけるロマンポルノ』が、5月12日から6月1日まで、渋谷ユーロスペースで開催されてる。
日活創立100周年記念特別企画と銘打たれてる。うち22本はニュープリント版だ。

人にはなんの関係もない俺個人の話から入って恐縮だが、俺個人のブログなんで。
日活ロマンポルノをほとんど見てないということは、以前のこのブログ記事の中でちょっと触れた。キネ旬のベストテンにも選出されるような秀作が生まれた70年代の作品に関しては、当時俺は中学・高校あたりで、映画の題名は知ってても、見に行けなかった。高校生でも見てる奴はいたが、俺は老け顔じゃないんで、成人じゃないことがバレるんだよ。
その後、ビデオやDVDで見る機会はできても、スルーしてきた理由として
「セックスシーンが退屈でしょーがない」というのがある。
これはそういう絡みの場面は「レズシーン」以外には興奮しないという、俺の性癖的問題が横たわってるんで、如何ともしがたい。DVDで見ることにしても、多分男と女の絡みの場面は早送りしてしまうだろう。
「早送り」しては、映画を見たことにならない。

ただロマンポルノからは何人もの才能ある監督や脚本家が生まれてるし、映画館で見れば、早送りもできないから、我慢して見るしかないし、自分の映画歴の「ミッシング・リンク」を埋めるにはいい機会だと思った。
ロマンポルノを熱心に見てきた人には、今回の32本に対して、異議のある人もいるんだろうが、俺はなにせ全然見てないから「入門編」という意味合いで捉えてる。
「50のロマンポルノ手習い」の心持ちだ。


初日から気合入れて4本見た。ユーロスペースは昨年の「フレデリック・ワイズマン監督レトロスペクティブ」や、今年に入っての「トーキョーノーザンライツフェスティバル」(北欧映画の特集上映)に通ってきてるが、今回の企画も盛況だ。中央ブロックの座席後方2列を「女性専用」にしてることもあり、女性客もけっこう入ってる。

初日のメインは、『(秘)女郎市場』と『天使のはらわた 赤い教室』のそれぞれの上映後に登壇する曾根中生監督のトークショーだ。

曾根監督といえば、1988年の監督作『フライング 飛翔』が競艇関係者などから酷評され、監督を引退後は消息が知れなかった。経営破たんした映画学校のトラブルとか、噂ばかりが語られるのみで、監督に近い映画人にも生死すら分からなかったという。

それが昨年の「湯布院映画祭」で監督作が上映されるのを本人が聞きつけ、不意に会場に現われた。
「曾根監督は生きていた」とニュースにもなった。
引退後に大分の知人からヒラメの養殖事業の職を得て、その後は環境配慮型燃料製造装置の開発に携わり、特許を2件取得したという。映画と全く関係ない第2の人生を成功させてたわけだ。

その話に関してはすでにメディアで語られているので、聞き手の山根貞男は、「ロマンポルノ」製作の裏話を引き出すことにトークの主眼を置いて質問していた。
両作品の上映後20分づつというのは、短すぎると誰もが思っただろう。
訥々としたユーモアに溢れた監督の口ぶりに、楽しいトークとなった。
トークの内容は他の映画サイトやブログに掲載されてるので、ここでは細かく再現はしない。


面白いエピソードを幾つか紹介しとく。

曾根監督は1962年に日活に入社し、鈴木清順監督が、クビを言い渡される原因となった『殺しの烙印』の脚本を手掛けた。実はその『殺しの烙印』の続編の脚本も書いたのだという。

まだ鈴木清順監督がクビになる前で、曾根監督と大和屋竺、田中陽造の3人で、伊香保温泉に宿を取り、缶詰状態で書くはずが、3人で温泉入ったり、ストリップに通ったりして、滞在中に1ページも書けず、東京に戻って慌てて仕上げたが、清順監督にあっさり却下されたのだと。
曾根監督は『殺しの烙印』は大ヒットすると確信してたんで、封切りの映画館を覗いてショックを受けたそうだ。

「あいつに脚本を書かせるな」と現場に出された当時の曾根中生は「第4助監督」という立場。
カチンコを鳴らす役割で、現場では最もペーペーだった。
日活は撮影所でテレビ時代劇も撮っていて、曾根監督は『大江戸捜査網』の演出に借り出されてもいた。
そんな日活は1971年に社の存亡をかけて「ポルノ映画製作」に舵を切ることに。

「日活ロマンポルノ」の初期には「時代もの」が多かったそうで、テレビ時代劇の演出経験がある曾根監督に声がかかる。「第4助監督」からいきなり「監督」へ大抜擢だ。

曾根監督によると、当時自分の下についてる人間など現場にはいなかったので、監督に抜擢された自分が一番キャリアに乏しいという状態。周りのスタッフはベテランだし、しんどかったようだ。

だが映画作り自体は「10分に1度絡みを入れてあれば、あとは何を描いてもいい」という感じだったようで、曾根監督は役者に演技をつけるより、まずスタッフの人心を掌握する術を磨いたという。

それはなるだけ斬新な演出やアイデアを形にしてくことだと。
それによってスタッフも面白がるようになり、参加意識が高まってくのだそうだ。スタッフのアイデアもどんどん取り入れたそうだ。
若い監督や監督志望の人たちにも参考になるような話だと思った。

曾根監督は、セックスシーンの演技指導をすることはほとんどなかったと言う。
「誰でもしてることなんだから、指導しなくても役者はわかるでしょう」
「演技指導なんかしたら、普段自分がどんな風にやってるかバラすようなもの」
これと同じことは以前、北野武監督も言ってた。

山根貞男が「演技指導云々より、絡みのシーンでは役者同士の気の合う、合わないが出る、と聞いてる」と話すと、曾根監督も「それはあるでしょうね」と頷いてた。
「日活ロマンポルノ」には女優でも男優でも「いい顔」の役者がいるという話になり、曾根監督は
「人前で裸を晒すのは、女でも男でも恥ずかしい。裸になる覚悟が顔に出てるからでしょう」
と語ってた。

『(秘)女郎市場』と『天使のはらわた 赤い教室』の製作裏話的エピソードは、
個々の作品へのコメントの中で紹介していく。

2012年5月14日

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