じいちゃんと孫の自転車ふたり旅 [映画サ行]

『さあ帰ろう、ペダルをこいで』

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昨年から「シネマート新宿」によく通ってる。都内ではここでしかかからない「単館上映」の作品にいいものが目立つからだ。封切り1週間以内に見るのが望ましい。
ここはスクリーンが2つあり、封切り直後はキャパの大きい「スクリーン1」でかかるが、入りが芳しくないと、翌週には「スクリーン2」に格下げになる。こっちの画面はべらぼうに小さい。
同じ料金があり得ない位に鑑賞環境が違うのだ。
俺はHPで、どっちのスクリーンでかかってるかチェックしてから見に行くようにしてる。

先週もここでツイ・ハークの新作『王朝の陰謀 判事ディーと云々…』を「スクリーン1」で見たんだが、俺の体調が思わしくなかったのか、なんとツイ・ハークであるにも係わらず、途中何度か意識が飛んでしまい、ちゃんと筋を追えなかった。
見る前に食べたハンバーガーに、睡眠薬が仕込まれてたとも考えられる。いや考えられない。
なので悔しいからもう1度見ようと思ってるんだが、今は「スクリーン2」に格下げ中なんで保留としてる。
この劇場はわりと細かく上映の割り振りをしてるんで、日に1回だけ「スクリーン1」になることもあり、チェックは怠れないのだが。


この『さあ帰ろう、ペダルをこいで』もここでしか上映してない、ブルガリア映画だ。
ブルガリアは年に10本も映画が作られてないそうだ。
日本公開されたものとしては、2009年の『ソフィアの夜明け』以来か。
さらに遡ると、1988年の『略奪の大地』まで1本もないと思う。だがどちらの映画も、それぞれにブルガリアの現在と過去を描いて、見応えがあった。

題名にあるようにこれは自転車での旅を描く映画だ。俺も若い頃に自転車で旅したことあるんで、旅が主眼じゃなくても、『北京の自転車』とか『少年と自転車』とか、題名についてるだけで、見に行ってしまう。
旅を描いたものとしては、1992年の『ラテン・アメリカ/光と影の詩』を、やはり劇場で見た。
地図で見ると南米大陸の一番下、アルゼンチンのフエゴ島に住む少年が、父を探しに、南米を縦断しメキシコまで、5000キロを自転車で走破しようとする内容だった。
アストル・ピアソラのバンドネオンの音色が、少年の旅に寄り添ってて、俺はサントラ買いに走った。当時は外資系のCDショップ全盛で、サントラは「WAVE」で買うことが多かったな。
しかし南米を自転車でというのは厳しいだろうなあ。ほとんど悪路じゃないのかね。


『さあ帰ろう、ペダルをこいで』の主人公アレックスは、両親と乗る自動車の横転事故で、ひとりだけ生き残る。
一家はドイツから、長く戻れなかった祖国ブルガリアに里帰りする途中だった。
アレックスは事故の衝撃で記憶を失っていた。
ブルガリアではアレックスの祖父と祖母が悲報を受け取っていた。祖父のバイ・ダンは、幼い頃以来、顔を見れずにいた孫を案じてドイツの病院へとやって来た。

バイ・ダンの娘夫婦の一家はなぜ、祖父たちと離れたのか。
映画は2007年のドイツと、1982年のブルガリアを行き来していく。

祖父のバイ・ダンは「サイコロによる詰め将棋」のようなバックギャモンの名人。カフェで仲間たちとゲームに興じるのが日課だった。だが共産党政権下で、経済が停滞する中、体制維持による市民への締め付けが厳しくなっていた。
バイ・ダンはカフェの隅に座る見慣れぬ顔の男を、秘密警察呼ばわりしたことで、恨みを買うことになる。男はバイ・ダンの娘婿ヴァスコが勤める工場の人事部長だったのだ。

ヴァスコが以前、共産党青年同盟を除名され、大学に入るために陸軍の在籍記録を偽造してたことを掴んでいた。その弱みにつけこみ、人事部長はヴァスコに、嫁の父親とその周辺をスパイするよう強要した。
バイ・ダンは学生時代「ハンガリー動乱」に参加し、スターリン像を爆破した罪で、ブルガリアに送還されてたのだ。バイ・ダンの反政府的言動をつかみ、投獄しようという腹だった。
ヴァスコはその話は告げず、養父とバックギャモンの盤を囲む。
「俺はもう手詰まりです」
「戦略を変えてみろ。強行突破で道が開けることもある」
ヴァスコは密告の命に背き、妻と子を伴い、西ドイツへの亡命を図った。

バイ・ダンは、「サシコ」の愛称でみなに愛された孫のアレックスに、幼い頃バックギャモンの技を伝授していた。
病室で孫と向かい合っても、アレックスは祖父を思い出せない。
バイ・ダンは孫が住んでたアパートの部屋を突き止め、アレックスがどんな暮らしを送ってたのか、見当つけた。
自分が幼い頃のアレックスに贈った、手製のバックギャモンの盤も部屋にあった。
両親の写真を見せても記憶は戻らない。だがバックギャモンのやり方は憶えていた。

アレックスと見知らぬ祖父は打ち解けてきたが、相変わらず孫は病室から出ようとしない。
このドイツで孫は、友達もなく、仕事は翻訳文をメールで送るだけで、ほとんど「引きこもり」のように生活してたようだ。祖父にはそれが歯痒かった。
「バックギャモンも人生も、サイコロを振るのはお前自身だ」

両親の死を知らされてないアレックスに、バイ・ダンは自らも認めたくはない、その真実を告げた。
「両親はもう戻らない。だがお前が記憶を取り戻せば、思い出の中でまた会うことができるんだ」

西ドイツに亡命した両親の遺体は、ドイツの墓地に埋葬されていた。
バイ・ダンはアレックスを伴って墓参りをし、二人乗り用の「タンデム自転車」を購入してきた。
「飛行機で2時間で帰れるのに?」
アレックスは呆れるが、バイ・ダンは、自分の足で故郷ブルガリアへ帰らせようと思っていた。
そして寄る場所があることも。


ブルガリアから西ドイツへと亡命を図った娘夫婦と幼いアレックスは、なんとかイタリアまで辿り着いた。
一家が連れて行かれたのは難民キャンプだった。イタリアは政治亡命者を受け入れておらず、このキャンプで第三国への亡命申請を出す。だが行く先がどこの国であっても、申請の費用は高額で、この劣悪な環境で足止めを食う者がほとんどだった。

ブルガリアで裕福ではないが、安定した生活を送れていた妻のヤナは、この現実が耐えられなかった。
幼いアレックスはそんな日々の中でも、同じ年かさの少女と仲良く過ごすようになった。
父親にせがんで買ってもらったミニカーを後生大事に抱え、盗まれるといけないからと、少女といつも隣りあって座ってた建物の、床下の隙間に隠した。

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祖父と孫のタンデム旅行のペダルは快調だった。旅の途中には出会いもあった。キャンプ場の祭りで踊る、美しいダンサーのマリアに目を奪われたアレックス。
だが見つめるだけの孫にバイ・ダンは
「声をかけないでどうする」とハッパをかける。

マリアは情熱的で、ふたりはすぐに恋におちた。
内にこもるアレックスが、旅を通して自分を変化させてく、その様子を見ながら、バイ・ダンは
「また一つ駒を進めたな」と言った。

そして険しいアルプスの山々を越え、自転車はイタリアへと入った。亡命したあの日と逆のルートを辿って。
二人が立ち寄った建物は、すでにひと気がなく、門も錆び付いていた。
娘夫婦の一家が過ごした難民キャンプの名残だった。


この映画は旅を進めて行くにしたがってドンドン良くなってく印象があった。
前半のブルガリア時代の、人事部長の陰険さとか、人物描写が定石的で、演出としてさほど優れてるとも感じないんだが、物語の前半の人物や、小道具などが、後半に伏線として機能してくるなど、脚本は練られてると思った。

映画でアレックスは1975年生まれとなってるから、2007年時点で32才。そこから推測するに、祖父バイ・ダンは70代半ばくらいか。
ペダルを漕ぐ足も力強く、旅とともに孫の人生を導く頼もしさに溢れている。
演じるミキ・マノイロニッチは、クストリッツァ監督作の常連として名が通ってる名優。
『パパは、出張中!』でも、反政府的言動で投獄されてしまう、一家の父親を演じてた。

この映画で物足りない点があるとすれば、祖父バイ・ダンの、亡くなった娘夫婦に対する、思いというか、ある種の贖罪の気持ちが、描写として足りなかったんではと思うところ。
娘婿のヴァスコが亡命せざるを得ない、その原因の一端はバイ・ダンにあったわけだし。

バイ・ダンは体制に対しても怯むことのない、精神的にも強靭な男だ。バックギャモンに興じる、悠々自適な日々を送ってたといってもいい。
だが娘夫婦は生活者としての苦労がある。子供はまだ小さい。働き口がそう簡単に見つかるような国の情勢でもない。
自分のように強くあることができないでいる、そういう者たちへの目配せが足りなかったのでは?

映画で昔の難民キャンプを訪れた時に、アレックスはそれが記憶を取り戻すきっかけにもなり、場面としてはいい場面なんだが、その場所で娘夫婦たちがどんな思いでいたのか、バイ・ダンが悔恨とともに、思いを巡らすような描写も欲しかったと思った。

起伏に富んだ旅の風景の美しさや、気持ちのいい結末へと導いてくれる語り口で、映画そのものは見た後に晴れ晴れとさせてくれる。
なじみ薄い国の映画だとか、単館上映だとか、そういうイメージを払拭させる、見る人を選ばない「いい話」だ。

2012年5月16日

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