70年代洋楽好き落涙のヴァンパイア映画 [映画タ行]

『ダーク・シャドウ』

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バーナバスが呪いをかけられ、ヴァンパイアとなってしまうアバンタイトルが開けて、18世紀半ばの世界から、1972年の世界へ。コリンズ家へと向かう新米家庭教師ヴィクトリアを乗せた列車を俯瞰するカメラとともに流れてくるのは、ムーディ・ブルースの『サテンの夜』!
このタイトルバックでもうヤラれた。
これは俺が勝手に呼んでる所の、最近ちらほら目立つ
「70年代洋楽ファン向けエクスプロイテーション映画」の1本と確信したよ。

ティム・バートン監督作における、ジョニー・デップの「白塗りシリーズ」もこれが5作目になるが、俺は「チャリチョコ」も「スウィーニー」も「アリス」も劇場で見なかった。
ちょっと飽きてたんだね、ティム・バートンの映画自体にも。
でもこの新作は予告編を初めて見た時から、猛烈に期待が高まってたのだ。
「ヴァンパイア映画にバリー・ホワイトがかかるのか?」
予告編も70年代洋楽で埋めつくされていて、俺はまさにティム・バートンに搾取(エクスプロイテーション)されるつもりで初日を待ったのだ。

『サテンの夜』の音がまたべらぼうに良かったな。
そして期待にたがわず、ガンガン流れるね。

カーティス・メイフィールド『スーパーフライ』
ドノヴァン『魔女の季節』
カーペンターズ『トップ・オブ・ザ・ワールド』
エルトン・ジョン『クロコダイル・ロック』
ブラック・サバス『パラノイド』
トーケンズ『ライオンは寝ている』
ヴァンパイアと魔女の猛烈ラブシーンにはバリー・ホワイト『マイ・エヴリシング』
T-REX『ゲット・イット・オン』
アリス・クーパーがゲストで出てきて歌う
『ノー・モア・ミスター・ナイスガイ』と『ドワイト・フライのバラード』
そしてエンディングには『ゴー・オール・ザ・ウェイ』
なぜかこの曲だけはラズベリーズのオリジナル版ではなく、ザ・キラーズのカヴァーが使われてた。
ザ・キラーズは80年代テイストを音にまぶした俺も好きなバンドではあるが、同じ曲のカヴァーなら、スザンナ・ホフスとマシュー・スウィートが演ってたバージョンを使ってほしかったな。

そうマニアックでもない選曲になってて、魔女のアンジェリークが、自分が牛耳る港町を赤いスポーツカーで「巡回」する場面には、なぜかパーシー・フェイス楽団の『夏の日の恋』が流れてた。

マニアックな部分でいえば、ジョニー・デップのファンのブログとかでは、この映画に彼が自作の『ザ・ジョーカー』という曲を提供してるらしいと、盛り上がってるようだが、あれは彼の自作曲ではない。
映画の中で、クロエ・グレース・モレッツに、バーナバスが「ロックも知らないとかダサい」みたいなこと言われ、
「現代の音楽のことか?なかなかいいのもあると知ってるぞ」
と、ある歌詞を諳んじる場面がある。
「俺はジョーカー」
「俺はスモーカー」
「俺は深夜のヤク中」
「誰も傷つけたいと思っちゃいない」
諳んじた後で「シェイクスピアより出来がいい」などと言ってるが、これは1974年の1月に全米ナンバー1を記録した、スティーヴ・ミラー・バンドの『ザ・ジョーカー』のサビの一節だ。
多分サントラにはその場面のジョニー・デップの鼻歌が入ってるんじゃないか?

映画全体のムードは『スリーピー・ホロウ』に通じるゴシック世界なので、70年代洋楽に関心もなければ、そもそも知らないという世代には、単なるミスマッチに思えてしまうかもな。


ジョニー・デップ演じるバーナバス・コリンズは、18世紀にヨーロッパからメイン州に移り住み、港町に水産工場を興して、町を繁栄させ、「コリンズタウン」という町名に冠されるほどの名家の御曹司だった。
だが「家族こそ財産」という親の教えも聞き流し、恋人がいながらメイドに手を出してしまう。
そのメイドのアンジェリークは実は魔女で、バーナバスに本気になってしまうが、彼の愛を得られないとわかり、嫉妬から呪いをかける。
バーナバスの恋人ジョゼットは、夢遊病者のように、崖にさまよい出て、身を投げて果てる。
バーナバスが魔女の呪いに気づいた時はすでに遅く、ヴァンパイアにされた彼は、棺桶に閉じ込められ、そのまま地中に埋められてしまう。
アンジェリークは愛を永遠に忘れ去るため、そしてバーナバスには永遠に死ねずに苦しみを与えるために。

それから200年後、工事現場の地中から棺桶が掘り出される。作業員たちは棺桶から飛び出したバーナバスに、瞬く間に襲われ、血を吸われて殺害される。
「すまないが長く閉じ込められて喉が渇いてたのだ」
自分が生まれ育った邸宅に戻ったバーナバスは、使用人のウィリーを即座に操り、下僕としてしまう。
なんだか寂れた邸宅の様子に、ウィリーから今が1972年だと訊き、バーナバスはショックを受ける。

だが住人がいるのもおかまいなしに家に入る。身なりは整ってるが、顔が真っ白なヘンなのが来たと、この家の住人たちは訝る。
バーナバスは、自分こそこのコリンズ家の当主なのだと自己紹介するが、娘たちからは「頭イカれてる」としか思われない。
この家には現在当主であるエリザベスと、その娘でサイケにはまってる15才のキャロリン、エリザベスの弟ロジャー、その息子のデヴィッドがいた。デヴィッドの母親は海で死に、その霊が見えるという息子をケアするために、精神科医のジュリアも住み込んでた。

そして、直前に家庭教師として雇われたヴィクトリアと顔を合わせたバーナバスは、激しく動揺した。
彼女は死んだ恋人ジョゼットに生き写しだったからだ。


詐欺師と疑うエリザベスを納得させるため、バーナバスは様々な仕掛けが施されたこの邸宅の秘密を、次々に開陳していく。
今の住人たちが知らなかった「隠し部屋」には、目を奪うような財宝が並べられていた。
エリザベスは納得するしかなかったが、バーナバスが普通の人間ではないことも嗅ぎつけた。
「吸血鬼ではあるが、家族を襲うことはない」
と言うバーナバスに、
「このことは私たちだけの秘密に」とエリザベスは釘を刺した。

バーナバスは一族で囲む夕食の席で、コリンズ家が事業に失敗し、すっかり没落してることを知る。
「私が戻ったからには、コリンズ家を復興させようぞ」
「それは無理よ。この港町はいまやブシャールという女実業家に牛耳られてるんだから」
バーナバスは知ることになる。その女実業家こそ、何世代にも渡って、少しづつ外見を変えながら、この地で生き続ける魔女のアンジェリークであることを。
そしてアンジェリークもまた、バーナバスが「掘り返された」ことを知り、忘れ去ってた恋の炎が再燃するのだった。


この映画の元となる、同名の60年代のテレビシリーズは、アメリカ人にはポピュラーというが、日本では放映されてないから、設定の細かい面白さを見出すような見方はできない。
ホラー風味のソープオペラ(昼メロ)だったようで、その感触はこの映画でも踏襲してるのだろう。
俺はもっと18世紀の人間と、1972年というカルチャー・ギャップを見せてくれるもんだと思ってたんで、意外とその要素が薄かったのは残念。

バーナバスは、永遠に死ぬことができない苦しみを、魔女アンジェリークから与えられたが、そのアンジェリークに
「お前自身にかけられた呪いというのは、愛するという意味を永遠に知らないということだ」
と言い放つ。
そう、これはヴァンパイアと魔女の愛憎劇であり、映像的な派手さも抑え目になってる。

ジョニー・デップはこういうフォーマルで、慇懃な口調で話させると上手い。童顔だが声が渋いので役に合う。
だがこの映画で一番目を惹くのは魔女アンジェリークを演じるエヴァ・グリーンだ。
尖ったシルエットも見事だし、嫉妬に狂う女の怖さと、恋に身を焦がす可愛さを混在させていて、演技に迫力があるのだ。

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1978年の『イーストウィックの魔女たち』ですでに魔女を演じてるミシェル・ファイファーが、同じ画面に収まってるのもいいね。

ヴィクトリアとジョゼットの二役を演じたベラ・ヒースコートは、『TIME/タイム』に出てたというが印象になかった。
今回は結構な大役で、ズーイー・デシャネルを思わせる「ビー玉」みたいな青い瞳が惹きつけるね。
クロエ・グレース・モレッツは捨て台詞が楽しい。『ヒューゴ…』よりこういう役の方が合ってるんじゃないか。

あとジャッキー・アール・ヘイリーが、最後まで下僕の卑小さを貫く演技を見せるのも良い。この人どことなくダニエル・デイ=ルイスに似てるんだけどね。
『がんばれ!ベアーズ』で熱くなった世代としちゃ、頑張ってくれてるだけで嬉しい。
吸血鬼ということで、ちゃんとクリストファー・リーに登場願ってるのも、ティム・バートンならではの趣向。

細かい所では、アンジェリークの邸宅にかかる肖像画で、彼女の変化の様子がわかる描写があるんだが、新しい方の肖像画が、タマラ・ド・レンピッカに描かせたようなタッチになってるのがウケた。

2012年5月21日

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