悪ロボットはパンチパーマ [映画ラ行]

『ロボット 完全版』

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まず映画の冒頭に、題名よりなにより先に「主演スーパースター、ラジニカーント」!とドドーンと出る。内容がどうとか関係ない。ジャンルは「ラジニ映画」なのだ。
これは最もブイブイ言わしてた時のアル・パチーノの状態と同じだ。
『クルージング』とか『スカーフェイス』とか、あのあたりの本国版のポスターは、タイトルより「PACINO」の文字がデカく表示されてたのだ。
一瞬「パチーノ」って題名の映画かと思ったよ。
今日びその位のスターはインド映画にしかいないのかも。

そして画面に登場するラジニカーント61才、もう思いっきり「ヅラ」である。
だがニコラス・ケイジのようにつけるにも、多少控えめな分量にするなんてことはない。
こんもりとボリュームたっぷりの「ヅラ」である。
きっとそんなことを気にするインド人もいないのだろう。
ラジニカーントは「ヅラ」も含めてのスーパースターなのだ。

昨年の東京国際映画祭ではチケットがとれず、一般公開となった際には、139分の「短縮版」になってた。
本来177分あるから、40分近く切られたわけだ。俺はなんかモタモタしてたら、そのうち177分の「完全版」もやりますという事になって、まあ「果報は寝て待て」というか「残りものには福がある」というか、ようやく見に行ってきたのだ。
わざわざ尺を縮めたのは、この映画をシネコンでも上映するために、妥協を図ったということもあるだろう。
シネコン側が、日に何度もかけられない上映時間に難色を示したと考えられる。


俺は「短縮版」を見てないからどこを切られたのかと、ネットで調べてみると、けっこうメインのミュージカル・シーンが2つ含まれてる。
いやたしかに映画のストーリーの流れには何も関係ないとはいえ、これ切っちゃうか。
配給会社もどこかに自責の念があると見えて、パンフにはその「未公開ミュージカルシーン」を見開きカラーで載せてるよ。

映画の最初の方に出てくるラジニカーントと、アイシュワリヤーが砂漠をバックに唄い踊るのは、ブラジルの「レンソイス・マラニャンセス国立公園」でのロケという。
砂漠と緑の湖の織り成すコントラストが美しい場所だが、なんだろうな「ジュワイヨクチュール・マキ」的なセンスで撮られてるというのか、なつかしのMTVを見てる感じ。

ロボットミュージカルシーン.jpg

そして後半の見せ場のひとつでもあるのが、「なぜそこにいる?」という、世界遺産「マチュピチュ」遺跡での、アルパカをバックに従えた大群舞のミュージカルシーン。
ここは民族衣装を大胆にアレンジした、アイシュワリヤーのダンスに目を奪われること必至。

日本人はともかく、インド人がこういうミュージカルシーンをカットされてると聞いたら激怒するだろうな。よく西葛西あたりで暴動が起きなかったなと思うよ。
インド映画といったら、一も二もなく、まずは「ミュージカルシーン」なのであって、それをカットして上映するってことは、例えばドニー・イェンの映画から、ドニーの格闘シーンをカットするようなもんだろ。


「完全版」という呼称は、もともと製作者側が短い尺で公開してたものを、後になって監督なのど意向を汲み、全長版として改めて世に出す時に使われるものだ。
今回の「完全版」上映は、何か有難い措置みたいに表現されてるが、これはそもそも「通常版」だろ?
最初の一般公開の139分版を、むしろ『ロボット 欠損版』と銘打つべきものだったと思うぞ。
逆に「何で残したのか?」と思うような場面もある。

ラジニカーント演じるバシー博士によって作りあげられた、二足歩行ロボット「チッティ」が、アイシュワリヤーが演じる、バジー博士の婚約相手サナから、頬っぺたにキスを受け、人間の感情が芽生えてしまうというストーリーだが、チッティはもう一度キスしてもらいたくて、夜中に彼女の寝室へ忍び込むが、彼女の頬っぺたで血を吸う蚊を発見。
目を覚ましたサナに、その蚊を捕らえてくれたら、もう一度キスしてもいいと言われ、追っかけてく。
ものすごく視力がいいんで、蚊を外まで追いかけて、ドブの蚊だまりまでやってくる。
すると唐突に蚊と何か言い合いとなってる。
「彼女の血を吸った蚊を差し出せ!」
「なんだこいつ、全員で襲いかかってやるか?」
だがロボットが只者じゃないと蚊も思ったのか
「今日のところは一旦引き上げよう」と。

いやこのほとんど本筋に関係ない、CGの蚊を見せたかっただけの場面も、後の伏線になってるのかと思いきや、その後、蚊出てこないよ!じゃ要らないじゃんかという話だ。

しかし見ていて、ペース配分というのか、インド映画は長尺が当たり前なんで、その振り分け方を心得てる感じはした。
始まって20分くらいは、ロボット製作に関わる小芝居が続いて、大した見せ場があるわけじゃない。
その内、ミュージカルシーンがポロポロ入りだし、映画そのものの馬力も上がってくような作りだ。

これは俺の勝手な想像なんだが、インドって暑いでしょ?
だから映画館に来た観客は、入ってしばらくは、涼を取るというのか、冷房きいた映画館で、気持ちをゆったりさせる、メンタル的にはそういう方向にシフトしてると思うんだよね。
のっけからド派手な見せ場や、ミュージカルシーンを持ってこられても、まだ体が慣れてないよということじゃないかな。
だから映画もローで発進して、少しづつギアを上げてく。
最初の本格的なミュージカルシーンはそのきっかけになるんだろう。
見せ場の演出とともに、ストーリー自体もどんどん展開が早くなってくる。


この映画でいうと、バジー博士がチッティにいろいろ学習させるのがスタート。
バジー博士はこのチッティを、「ロボット兵士」に使ってもらおうと考えてる。
「戦争になっても味方の兵士を死なせずにすみます」
相手はパキスタンなんだろうな。

だが立ちはだかるのが、ロボット工学では恩師となるボラ教授。自分も作ってるんだが、うまく動かずに、弟子だったバジー博士に嫉妬を燃やしてる。そのボラ教授は、AIRD(人工知能開発局)で、ロボットに量産化の認可を与えるか否かの立場にあり、チッティの欠陥を指摘する。
「学習能力は高くても、善悪の判断が出来てない」と。
このボラ教授は、俺には伊集院静にしか見えないんで、心の中では「伊集院教授」と呼んで見てた。

バジー博士は欠点を克服すべく、チッティに人間の複雑な感情を学習させ、神経回路を改良する。
上に書いたサナにキスされて、チッティがときめいてしまうのは、そういう前提があるから。
でもって人間的な感情が芽生えたチッティは、バジー博士による軍事用のデモンストレーションの場で、勝手に平和を語り出してしまい、軍との契約はご破算に。


がっくりきた帰り道で、大規模なアパート火災に遭遇。
チッティは全身磁石モードにし、アパート高層階の鉄製の手すりに照準合わせ、ジャンプする。
手すりから手すりに飛び移り、何人もの逃げ遅れた住人を救い出す。
その様子が丁度取材に来てたカメラに映される。バジー博士は、チッティが人の役に立つと証明されたので、AIRDも量産を認めざるをえないだろうと、ほくそえんだ。

だがチッティが最後に風呂場から助け出した少女は、裸のままカメラに囲まれ、恥ずかしさのあまり、その場から逃げ出すと、通りに出たところでトラックにはねられて即死。
その一部始終もテレビで中継され、チッティの命運は尽きた。

この場面はチッティに抱えられて救出された少女の体にモザイクが入ってた。
裸には見えるがボディスーツは着用してるだろう。にしてもインド映画でモザイクは初めて見たよ。

おまけに自我が芽生えたことで、バジー博士を恋敵と見なし、命令にも背くようになる。
バジー博士は激怒し、チッティの四肢を斧で叩き落し、産廃として埋め立て地へ送る。
そのことを知ったボラ教授は、埋め立て地でチッティを回収。組み立て直し、その胸部に、戦闘用プログラムのチップを埋め込んだ。
かくして「悪(ワル)チッティ」が誕生し、バジー博士とサナの前に立ちはだかるのだった。


このワルチッティになると人相が変わり、蝶野のようにも見えるし、ジョン・ベルーシのようにも見える。頭がパンチパーマになってるんで、インドでもパンチはその筋の方を連想されるのか?
しかしパンチパーマのインド人てあんま見たことないけどな。

それと元々肌は浅黒いんだが、それが一段と濃くなってる。ワルチッティが唄い踊るミュージカルシーンは、ダンスもヒップホップ系だ。
どうもインド人の共通認識としては、黒人ラッパー=悪い人てことらしい。

ワルチッティになってから、映画としては俄然スケールがデカくなってくんだが、クライマックスあたりの見せ場は、俺には所詮は「CGで遊んでるんでしょ」という感じで、騒ぎたてるようなもんでもないと思う。
三池監督の『ヤッターマン』なんかのCGの使い方と似た感じ。

61才のラジニカーントは一応バジー博士とチッティの二役ってことになってるが、ロボットの時にはデカいグラサンつけてるし、CG絡みのスタントシーンが多いし、正直中身がラジニカーントでなくてもいけちゃう感じだけどな。

2012年6月19日

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