『愛と誠』で唄ってほしかった曲 [映画ア行]

『愛と誠』

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舞台は1972年の東京だ。セットでそっくりに再現されてる、新宿西口地下の「巨大な目玉」のオブジェの前で、太賀誠が不良たちに囲まれて一触即発。次の瞬間、西城秀樹の『激しい恋』を唄い出したのを見て「ああ、この線でいくわけね」と、こちらの鑑賞モードも合わせることにした。


良家の令嬢・早乙女愛は、少女時代に、スキーがコントロールできなくなり、大怪我寸前のところを、見知らぬ少年に助けられた。
その少年・太賀誠は、身を挺して少女のスキーを止めた時に、スキー板の先端で、額に一生消えないほどの深い傷を負ってしまう。
「金持ちのお嬢さんだから助けたなんて思ったら、ブン殴るからな!」
少年は少女をおぶって、彼女の別荘へと運び、立ち去った。
以来、早乙女愛にとって、太賀誠は「白馬の騎士」であり、一生の愛を捧げるべき存在となった。

高校生となった愛が、偶然に再会を果たした太賀誠は、荒ぶる獣のようになっていた。
その額の傷を見て愛は察した。
「私のために負った、あの傷跡のせいで、誠さんの人生は荒れてしまった」
「私はその罪を背負っていかなければいけない」
少年院に送られた誠は、すぐさま出所となり、良家の子女が通う「青葉台学園」に編入となる。
愛が両親に手を回してもらったのだ。

早乙女愛と、野獣のような太賀誠との因縁を知った、生徒会長で学園一の秀才・岩清水弘はショックを受ける。
愛が自分に振り向いてくれない理由を悟ったからだ。それでも
「僕の幸せは自分が幸せになることじゃない。僕が愛する人が幸せになることなんだ」
と、早乙女愛への報われぬ想いを貫こうとする。
「早乙女くん。この岩清水弘は、きみのためなら死ねる!」

だが太賀誠は学園でも教師を殴って退学処分となり、不良たちの巣窟である「花園実業」に転入となる。そして早乙女愛も誠を追って、花園に転入。さらに愛を追って岩清水までもが転入する。

ベクトルのまったく交わらない三角関係はここにきて、誠が「花園のウラ番」と恐れられる美少女・高原由紀に好意を抱かれることから、凄絶な「愛の四五角形」へと雪崩れ込んで行く。


「純愛と暴力と犠牲」の梶原一騎ワールドを、いま映画化しようというなら、アプローチは二つあっただろう。
ひとつは、韓国映画なみの熱いテンションで、真正面からこの「愛の神話」を草食時代の現代に叩きつけてやるという視点。
この映画はもうひとつのアプローチを選んだ。
俺が『ダーク・シャドウ』のコメントでも書いた
「70年代世代向けエクスプロイテーション」にしつらえるというスタイル。

妻夫木聡が唄う『激しい恋』を皮切りに、
武井咲が『あの素晴らしい愛をもう一度』を、
岩清水弘を演じる斉藤工が『空に太陽がある限り』を、
高原由紀を演じる大野いとが『夢は夜ひらく』を、
最強高校生・座王権太を演じる49才伊原剛志が『オオカミ少年ケン』を、
太賀誠の母親を演じる余貴美子が『酒と泪と男と女』を、
女番長ガムコを演じる安藤サクラが『また逢う日まで』を、
その唄われるナンバーは、70年代世代であれば誰もが知ってるだろう。


俺は映画の前半はかなり楽しんで見てたが、ミュージカルシーンが急激に減ってしまう後半部分は正直つまらなかった。こうと決めたアプローチで全編貫いてくれれば、最近にない日本映画の傑作と、俺自身の中ではなったはずだったが。

三池崇史監督の演出は、誠たちが「花園実業」に転入してからは、結局『クローズ』の焼き直しにしか見えなくなってしまうのだ。もう喧嘩喧嘩の連続なんだが、乱闘シーンが単調なんで、「またですか」と飽きてくる。

これは今までの三池監督作に、ずっと感じてることではあるんだが、力まかせというか、役者の気合まかせというか、アクションの演出自体はあんまり上手くないよね。
主人公の前にエグい面構えの奴らが必ず出てくるんだが、大抵「出オチ」なんだよ。すぐにボコられて、でもそいつらが何度も出てくる。出てきてはまた主人公にボコられる。

乱闘シーンも学校内の場所を変えてるだけで、見せ方に工夫がない。
例えば校舎の階段を上から駆け下りつつ戦うとか、水平に見せた後は、垂直方向でのアクションにしてみる。
学校のプールに不良たち全員で飛び込んで、水中で格闘を見せるとかさ、ただの殴り合い、蹴り合いを何度も繰り返されても、テンション上がらないよ。

コンセプトが前半と異なって、後半はけっこう原作のエッセンスをマジに再現しようとしてくんで、こっちはせっかく乗ってたのに、曲の途中でアンプ切られて、お開きにされちゃったみたいなブツ切れ感を禁じえない。
俺としたら後半にもガンガン唄い踊る場面が欲しかったし、唄ってほしかった曲もある。


舞台設定が1972年となってるが、いずれもその年に大ヒットした曲だ。
当時俺は洋楽に走ってたから、歌謡曲とかあんまり聴いてないんだけど、そんな俺でも知ってる3曲。

『誰かが風の中で』 上條恒彦

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テレビ時代劇『木枯し紋次郎』の主題歌で、西部劇のテーマのような勇壮さがカッコよかった。
「あっしには係わりねえこって」という紋次郎の生き方は、太賀誠のニヒルさと通じるものがあり、これは唄いながら、花園の不良たちをボコりまくってほしかった。
「血は流れ、皮は裂ける、痛みは生きているしるしだ」
なんていう歌詞も、荒涼とした誠の行く道に合う。
それか乱闘を遠巻きに眺めてる、花園の教師たちに唄わせるって趣向でもよかったかも。


『太陽がくれた季節』 青い三角定規

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村野武範が熱血教師を演じた学園ドラマ『飛び出せ!青春』の主題歌で、当時音楽の時間でもクラス全員で唄ったくらい流行った曲。男女3人組でメインヴォーカルは女性だった。歌詞は非常に前向きで、テンポもいい。
これを「花園」のスケバンたちに唄わせたら面白いのにと思った。
「君も今日からは、ぼくらの仲間。飛び込もう青春の海へ」
という歌詞とともに、早乙女愛をプールに突き落とすってのもいいだろ。


『ハチのムサシは死んだのさ』 平田隆夫とセルスターズ

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これはぜひエンディングで唄ってほしかった。
「チュチュチュチュルルチュルルチュチュ…」というスキャットとともに、出演者全員が集まってきての大団円。
その一大ミュージカルシーンで終わってほしかったんだよ。

この歌は、ハチをドン・キホーテに見立てたような歌詞が、寓話的で新鮮だったんだが、掴み切れないものを追い求める、登場人物たちの心情にクロスするものがある。
ラテン乗りのリズムもいいし、このくらい突き抜けて終わらせてもよかったんじゃないか?


ミュージカル仕立てで行こうと決めた時点で、もちろん沢山の曲の候補は挙がっただろう。使いたくても、楽曲の使用許可が下りなかったというケースも考えられる。

早乙女愛の両親を演じる一青窈と市村正規が歌い踊るナンバーは、当時の歌謡曲ではなく、小林武史によるオリジナルナンバーだった。この二人がやると俄然「ミュージカル」らしさが出るんだが、ここもできれば70年代歌謡でお願いしたかった。


キャストに関してはいろいろ意見はあるだろうが、俺は原作コミックを昔、友達んちで夜通しで読破したから、おおむね原作に沿ったキャスティングになってると思った。

妻夫木聡は学ランも、あの学帽もよく似合ってたし、太賀誠の少年時代を演じた、暴れる「こども店長」が見れるのも楽しい。
武井咲の外見は早乙女愛と寸分の狂いもない。思い込みの激しさと、察しの悪さという、早乙女愛のリアクションで笑いを取れてたし、シリアスな演技よりコメディが向いてるかも。
映画好きとしても知られる斉藤工は、自分に対しても人に対しても、ある種理不尽な岩清水弘という人物像の表現に健闘してる。
ガム子を演じた安藤サクラはさすがに安定感があって、見てるだけで楽しい。

多分キャストで論議を呼ぶのは、高原由紀を演じる大野いとだろう。
原作の高原由紀は、イメージでいうと、内田有紀にドスを利かせた感じのクールビューティなのだ。

大野いとは髪もショートではないし、ドスが利いてるという感じでもない。
セリフの棒読みが、意図したものなのか、本気なのかも微妙な所だが、俺は初めて見るこの女優の「白くて薄い」感じに惹きつけられた。
見た目の鋭さではなく、得体の知れない不気味さを、監督は彼女に託そうとしたのかも。
この女優はこの先ちょっと面白くなるかもなと思った。
49才伊原剛志に関しては、竹内力の「カオルちゃん」的な?


俺は近場のシネコンで見たんだが、まあ台風が近づいてるということはあったよ、そんな時に呑気に映画見に来る奴もあまりいないってことはある。だがそれにしたって観客は俺ともうひとり女性がいただけだ。興行は残酷なまでにはっきりと答えが出る。

「誰に向けて作られてるのか?」
映画を見る時に、何を選ぶかは、「俺はこれが見たい」と思うから選ぶんだよね。当たり前だけど。
でもそこには同時に「これを俺に見てほしいんだな」という、映画側からのメッセージを、観客は無意識に受け取ってるのだ。
いい悪いは別として、テレビドラマの映画化作とか、巷で人気のコミックの映画化がなぜ当たるかといえば、
「この映画の元となってるドラマを知ってる俺に、見てほしいんだな」
「このマンガを読んでファンになった俺に、見てほしいんだな」
と観客はそう思うからだ。
それはあまたの映画から、見るものを選ぶ時の、その映画との接点であり、きっかけになる。

『愛と誠』からそのメッセージを受け取るのはどんな観客なのか?
若い人は知らないよこのマンガ。同じ時代のものでも『あしたのジョー』や『銀河鉄道999』とかは、世代を経てもネームバリューは落ちないが、『愛と誠』はあの時代のヒットマンガであり、それを超越するものではない。
「70年代世代向けエクスプロイテーション」で行くと決めた時点で、もうパイが絞られちゃってるからね。
敢えて「テレビドラマ→映画化」の時流に叛旗ひるがえした姿勢は、俺は支持したいが、その結果
「ハチのムサシは死んだのさ」となったわけである。

2012年6月20日

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