フランス映画祭⑥『そして友よ、静かに死ね』 [フランス映画祭2012]

フランス映画祭2012

『そして友よ、静かに死ね』

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1970年代に「リヨンの仲間」と呼ばれ、その悪名をフランス中に轟かせたという、エドモン・ヴィダルと一味の、若き日と現在を描いた、実録犯罪映画。
エドモン・ヴィダルは仲間うちでは「モモン」と呼ばれていた。彼の出自はロマ族で、小学校でもイジメを受けるが、それを庇ったセルジュと友情の絆を結ぶことになる。

今は蔑称とされてるが、「ジプシー」のギャングを描いた映画に、
1975年のアラン・ドロン主演作『ル・ジタン』がある。
いわれなき差別への反逆として、銀行強盗などを繰り返していく、「ジタン」と呼ばれるならず者を、口ひげ蓄えたドロンが渋く演じてた。
時代的に、監督のジョゼ・ジョヴァンニは、エドモン・ヴィダルをモデルにして、脚本を書いたんじゃなかろうか?
『ル・ジタン』は全くのフィクションとして作られているが。

この『そして友よ、静かに死ね』のモデルであるエドモン・ヴィダル本人は存命で、映画の撮影現場にも足げく通い、出演者たちとも打ち解けた様子だったという。
映画の撮影時には、とっくに犯罪の世界からは「足を洗ってた」というが、本人がそばで見てる以上、美化して描かれてるだろうことは、想像にかたくない。


映画は南仏にある豪邸のテラスで、なにか思いつめた表情で、銃をなでるモモンを映して始まる。
大きなヤマを踏み、大金を得て「稼業」からリタイアしたモモンの元に、幼なじみの親友セルジュが逮捕されたとの報が入る。
モモンとセルジュは、18才の時に、露店から「さくらんぼ」を盗んだという罪で懲役刑を食らった。
罪状からすれば重過ぎる量刑だったが、それは彼らが「ロマ」だという偏見にも基づいていた。

刑期を終えた二人は、仲間を作り、社会への怒りをぶつけるように、大胆な手口で強盗を繰り返すようになる。
むろん警察は血眼で「リヨンの仲間」を追うが、人に怪我を負わせないという、その強盗ぶりから「反社会的ヒーロー」と祀り上げられもした。
その名が高まるにつれ、パリのギャング組織からも「仕事」を持ちかけられるが、殺しも辞さないような荒っぽいやり方にそぐわず、モモンたちは一線を画して活動した。

だがその「リヨンの仲間」にも、ついに手錠がかけられる日がやってくる。
モモンは10年の懲役を食らい、塀の中へ。
再び娑婆に出た時、親友のセルジュは「リヨンの仲間」から距離を置くようになった。
他のギャング組織に加わり、モモンたちが決して手を出さなかった麻薬取引にも関与した。そして代金を着服したとして、組織から狙われていた。


セルジュとはもう13年も会ってなかったが、裏社会の情報はいやでも耳に入る。
逮捕され、収監されることになると、刑務所内で組織の手の者に消される可能性が高い。

「リヨンの仲間」たちは、セルジュを脱獄させようと計画を練るが、モモンは逡巡する。
家族の絆を大切にする「ロマ族」の血を引くモモンには、命を張って手にした妻や子供たちとの、平穏な日々を捨て去ることはできないと思った。
かつての仲間であり、親友であるセルジュへの忠義があるにしてもだ。

結局モモン抜きで脱獄計画は実行に移される。拘置所内で秘かにセルジュに剃刀が渡される。それで手首を切って、病院に搬送された所で奪還する手筈だ。
計画は成功し、怪我の回復まで、仲間が匿うことに。
だがセルジュの命を狙うギャング組織は、彼の家族の誘拐を企てた。


セルジュには反目されたまま、和解できずにいる娘のリリューがいた。もう孫もいるのだ。
「リヨンの仲間」は、リリューの自宅をガードするが、不意打ちに遭い、殺し屋たちが家に押し入ってくる。リリューは逃げ場を失ったことを悟り、小さな息子を部屋に隠し、ショットガンを構えてドアに向けた。
最初の一人は撃ち殺したが、すぐにマシンガンで撃ちぬかれた。息子は難を逃れた。

セルジュの娘と、護衛した仲間も殺され、モモンは腰を上げた。平穏な日々もここまでだ。
過去に「稼業」で人の命を奪ったことはなかったが、モモンは徹底した報復を下すことに、もはや躊躇はなかった。
愛する家族を失った旧友と、無言で再会を交わしたモモン。あの若い日々が甦る。

だがそこにはモモンにも見えてなかった、もうひとつの過去が存在した。
それは口に含むのも苦すぎる過去だった。


『あるいは裏切りという名の犬』のオリヴィエ・マルシャル監督作なので、とにかく男の生き様を渋く描こうという、そのタッチは変わらない。
主演のジェラール・ランヴァンも、顔には深いシワも刻まれてるが、肉体は若々しく、「理想のおやじ」を体現してる感じだ。
だが「リヨンの仲間」の現在の部分は、特に「キメキメ」に渋さを強調するような演出や演技なんで、さすがに「もう渋いのはわかったから」という気分にもなる。

ジェラール・ランヴァンも、チェッキー・カリョもほとんど「しかめ面」を崩さない。
だらしない部分とか、隙を見せる部分とか、そういう人間味がもう少し出てるとよかった。
映画のスタイルにこだわるあまり、キャラが硬直してる印象があるんだね。
昔かたぎの犯罪映画といえば、いえるんだが。

その点では、「リヨンの仲間」の70年代を演じた、ディミトリ・ストロージュほか若い役者たちの活きのよさに、俺なんかはむしろ惹かれたな。
俺の好きなジャンルではあるんだが、アヴェレージの出来を超えてるとは思わなかった。
ただ近年の展開が速くて、殺伐感の強い犯罪アクションに抵抗があるという人には、この古風さは気に入られるんではないか。

2012年6月27日

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