麻生久美子の啖呵にシビれる [映画カ行]

『GIRL』

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20代後半から30代半ばという、映画と同世代の女性たちの溜飲を下げさせるように作られてる。
けなす事は簡単だろう。予定調和にすぎるとか、キャラクターが薄っぺらいとか、女だけが大変な思いしてるわけじゃないんだよ、とか。
映画の出来にうるさい男なら「いい気なもんだよ」くらい言いそうだ。

だがね、男の映画ファンが惚れこむような、例えば健さんの任侠映画であれ、アルドリッチや岡本喜八の戦争映画であれ、フィルムノワールであれ、ああいうものに溜飲を下げる男も「いい気なもん」と思われてるんでね。
しかしそれは悪いことじゃないよな。映画ってのは「いい気になれる」娯楽なんだから。


麻生久美子演じる聖子は、34才で大手不動産会社で管理職に抜擢される。だが年上でやり手を自認する男性社員の今井は、あからさまに見下す態度を取ってくる。

聖子は今井にやる気を起こさせるために、再開発プロジェクトの進め方を一任し、部下で建築デザインの才能を聖子も認める後輩の女性社員、裕子と組ませるが、今井は裕子の案など無視して、経験不足ばかり突いてくる。
「だから女は駄目なんだよ」
今井は上司の聖子に面と向かって暴言を吐き、両者は一気に対立関係となる。


吉瀬美智子演じる容子は、勤務先の文具メーカーに、いかにも好青年キャラの新入社員、慎太郎が配属され、その教育係として行動を共にするうち、「年下の男」への恋慕の情に、動揺していく。

結婚も恋愛すらも面倒くさいと感じてた筈なのに。
だが容子の変化は傍目にも感じられ、若い女性社員からはやっかみ半分に
「年増がなんか必死よねえ」
などと陰口を叩かれ、それを偶然耳にしてしまうもんだから。


板谷由夏演じる孝子は、4人の中で最年長で年齢非公開の、シングルマザー。
離婚を経て3年ぶりに、自動車メーカーの営業職に復帰。

小学生の息子に淋しい思いはさせまいと、自分もできない鉄棒やキャッチボールにも必死につきあうが、その必死さがやがて息子を悲しませる悪循環。
シングルマザーが社会的弱者だなんて、意地でも認めたくないのに。


香里奈演じる由紀子は4人の中では「妹分」な29才独身。ガーリーなものには目がないのだが、姉貴たちからは「潮時ってあると思わない?ガールにも」
とやんわり諌められる。
大学時代から交際を続ける蒼太とのデートはいつも同じ食堂で、「カワイイ」ものにも何の反応もくれず、ロマンティックのかけらもない。

クライアントの百貨店の売り場担当のキャリアウーマンからは、「ガール」的な感性を全否定され、激しく落ち込むことに。年齢によって、可愛いことを諦めろってことなのか?


シングルマザーの孝子のエピソードで印象的な場面がある。
会社の同僚の男性社員に、ボールの投げ方から手ほどきされ、公園で息子とキャッチボールする。
何度も何度も繰り返しボールを投げあう内に、あたりは暗くなってくる。もうボールがほとんど追えない状態なのに、孝子は気づかない。

そうなんだよ、キャッチボールしてると、暗くなってくることに気づかない。ホントにボールが見えなくなるまで止めないんだよね。
照明をほとんどたかずに、板谷由夏の顔が見えるか見えないかまで、暗くして撮影してる。

映画と関係ない話になるが、この孝子のように、女性はおしなべてキャッチボールを苦手としてる。
それは「オーバースロー」でボールを投げることが苦手だからだ。
なぜなのか考えてみたが、そこには男と女という「種」の違いにまで遡る要因があるんじゃないかと。


元来、男の役割は「家族のために食料を捕ってくる」ということだ。
そのために、岩山をよじ登ったり、高い場所にあるものをもぎ取ったり、時には獲物と格闘になることもある。喉笛に噛みつかれたら一巻の終わりなんで、肩から高い位置で腕を伸ばしても力が入るように、腕が機能してるのだ。

女の場合はどうか?キャッチボールは苦手であっても、野球とほぼ同じルールの球技「ソフトボール」は女子のスポーツだ。
振りかぶって投げ込む「オーバースロー」ではなく、下手から繰り出される速球は、投手によっては、野球選手と遜色ない球速を示す。
男があの同じフォームで投げろと言われても、うまく力を入れることは難しいだろう。
女だからこそあのフォームで力が込められるのだ。

それは元来、子供をしっかりと抱くために、腕の力が働くようにできてるからでは?
地面の我が子をぐいと抱き上げる、腕を肩から上に上げた時にではなく、腰から胸に近い位置で、最も腕に力が入るんだ、きっと。


なんでこんなことをつらつらと考えたかというと、この映画の中で描かれた女と男の、仕事場での軋轢とかを思うと、女の得意分野、男の得意分野というものはあるのだから、同じ条件下で角突き合わせるより、適材適所を経営者側は意識するといいんじゃないかと感じたからだ。

それに、シングルマザーの孝子が、父親の役割まで全うしようとして疲弊してしまうということも、むしろ父親がいないことを負い目と感じさせない、社会的環境からのフォローが、もっと考えられてもいいという、そういうことにも繋がってくと思うのだ。


麻生久美子演じる聖子が、ことごとく対立する今井を呼びつける場面は盛り上がる。

「コイントスで、負けた方が会社を去る、いいわね?」
「あなたに先に選ばせてあげるわ」

後輩・裕子のデザイン案を握り潰し、プレゼンを進めようとした今井の目論みを、聖子がひっくり返した後だった。
表か裏か、言葉を発せない今井に

「女と仕事したくないなら、土俵の上にあがりなさい」
「どこにでも女はいるの。奥さんでもホステスでも、部下でもない女がね」

麻生久美子も、セリフの歯切れのいい女優なんで、この啖呵がピシッと決まる。
ここが映画でも最大の溜飲ポイントだろう。
今井を演じた要潤は、とことん嫌な奴になり切っていて「功労賞」ものだ。

あと、こんなものまで見てるのかと言われそうだが、『マリア様が見てる』で凛とした女子校生だった波瑠が、聖子の後輩の裕子を演じてて、今井にスポイルされるのに耐える表情がいじらしく、目を引くのだった。
今井に啖呵切り終わって、部屋を出て行き、女子トイレで感情を鎮めようとする聖子を、裕子が追いかけて行って、トイレの中で抱き合って泣く場面は、映画で最も麗しい見せ場だった。


『セックス・アンド・ザ・シティ』以降のアメリカの「女子映画」は、下ネタもばりばり口に出す、そのあからさま加減が受けてる要素の一つだが、この映画は本音を描こうという意図はあっても、下品さでウケを狙うような所はない。
俺はあからさまなのも好きだが、あれはアメリカ人だから板につくのだ。
日本人は下ネタもりこんでも、無理してる感がでちゃうからね。

2012年7月5日

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