娘を持つ父親の涙腺直撃しそう [映画サ行]
『スープ~生まれ変わりの物語~』
生瀬勝久が堂々主演という、本人には悪いが、これから先あるかどうかわからないという事もあり、『三宅・生瀬のワークパラダイス』が大好きで、DVDでもう何度も見直してるという生瀬ファンでもある俺は、見に行かねばと思った次第。
しかしこの映画では『トリック』の時のようなボケは一切なしだ。
生瀬勝久が演じるのは、インテリア・デザインの会社に勤める渋谷健一、50才。
妻とは離婚し、15才の誕生日を間近に控える娘の美加を引き取ってるが、思春期の娘は親の離婚に傷つき、父親ともまともに口を聞こうとしない。
健一は離婚後は覇気も失い、デザインの仕事の契約もほとんど取れず、同僚たちは「ゾンビ」と陰で呼んでる。健一の得意先の仕事も、上司の綾瀬由美が引き継ぐことになり、二人は得意先への挨拶をかね、一緒に出張させられることに。
「何でそういつも暗い顔してるの?」と、由美は覇気のない健一を露骨に嫌う。
健一が娘とこじれたままの関係に悩んでると聞き、
「誕生日には花でも贈れば?」とアドバイス。
誕生日の当日、花屋で15本のバラの花を包んでもらってると、ケータイが鳴る。
学校をサボッた美加は、友達の少女とブティックで万引きして、店長に捕まったとの連絡が。
娘の代わりに平謝りに謝った健一は、なんとか警察沙汰にならずに済ませた。
「欲しい服があるなら、父さんに言えばいいだろう」
「こんな時だけ恰好つけないでよ。お母さんに逃げられたくせに!」
そのひと言に、思わず娘の頬を打った。
出張の朝も、美加とは顔を合わすこともなく、娘の部屋の前に、バラの花を置いて、健一は家を出た。
出張先で、娘に手を上げたこと、そのことで自己嫌悪に陥る健一を、由美はますます蔑んで見る。
険悪なムードの二人が、横断歩道で信号待ちをしてるその時、落雷が二人を直撃した。
目覚めるとあたりは夜の闇に包まれていた。場所も交差点なんだが、なにか違和感がある。二人は
「なんか変だよね」と辿り着いた先は、なにかのホールのような建物だった。
「状況が呑みこめない方のために、オリエンテーリングを行いますんで」
と言われ、映画館のような客席に座る。健一と由美のほかにも数人がいる。
「みなさんは死にました。ここは生まれ変わるまでの、一時的な場所と理解してください」
だがどの位の期間で生まれ変わることができるのか、それはわからないと言われる。
由美はショックを受けるでもなく、さばさばとしていた。
「だってどうせ生まれ変わるんでしょ?」
「私はね、過去なんかどーでもいいの。先のことしか考えないで生きてくんだから」
一方健一は、娘と和解することもできずに、死んでしまったことを、ウジウジと悔やむばかりだった。
この「死者の緩衝地帯」は、緑に覆われ、どこまで続いてるのか、見当もつかない広大さだった。
健一と由美はこの緑の野を探索する途上で、以前健一の得意先の社長だった石田とばったり会う。
石田は5年前に病死して、以来ここで過ごしてるという。
すっかり馴染んで、「あの世」の生活をエンジョイしてる風情だった。
居酒屋もあれば、死者たちが踊りまくるクラブもある。
由美はさっそく石田と意気投合するが、健一は暗いまんまだ。
石田はそんな健一に、
「この緑の野のずっと先に、死者にスープをふるまう水辺がある」
「そのスープを飲めば生まれ変われるらしい」と話す。
だが生まれ変わるのは、赤の他人で、しかも前世の記憶は失うという。
石田はこの死者たちの世界に、小さな頃に死に別れた母親がまだいるかも知れないと、探してるという。その道すがら、スープ飲み場まで案内してもいいと請け負う。
由美は生まれ変わる気満々だった。
だが健一は、生まれ変わっても、娘との記憶が失われてるんでは意味がないと思った。
旅の途中でふらりと立ち寄った食堂の、カウンターに立ってたのは、石田の母親だった。
死んだ時のままだから、65才の石田よりずっと年下だったが。
母親との再会を喜ぶ石田に別れを告げ、健一と由美は、旅を続ける。そこで出会った少女から
「スープを飲まずに生まれ変わる方法を知ってるオヤジがいる」
と聞かされ、会いに行く。
頑として教えるそぶりのないオヤジだったが、健一は食い下がる。
そしてついにその秘策を伝授され、健一は実行に移した。
健一の身体は、「あの世」から消え去り、時が経って、高校の教室には、口数の少ない、直行という名の男子生徒の姿があった。
この映画はファンタジーものによくある「生まれ変わりネタ」であるとともに、「花嫁の父」ものでもある。
あの世の旅を通じて、少しずつ心を通わせるようになってきた由美に、健一が離婚の経緯を話す。
娘には言ってないが、離婚は妻が男を作ったことが原因にあった。
だが離婚となれば、娘が傷つくことはわかってたので、平静を装って夫婦生活を続けてきたと。
自分の感情を殺して日々を過ごすうちに、会社でもどこでも表情のない人間になってしまったんだと。
だが娘のことを思ってというのは言い訳で、本当は自分の方が娘を必要としてたんだと気づいてた。
この「死者の世界」でのびのびと振舞う石田たちを見ながら、健一も、自分を見つめ直すようになっていた。
父親が娘を思う気持ちというのが、映画の根底にずっと流れているんで、健一が生まれ変わって以降の、それまでのキャスティングが一新され、若い役者たちによるドラマに移っても、映画そのものが寸断された感じは受けない。
実のところ、尺的には生瀬勝久や小西真奈美、松方弘樹といった熟練の大人たちが演じる「あの世」の部分がずっと長いにも関わらず、キャストが変わって、高校生たちの話に移ってからの方が、何か画面も弾んでくるのだから皮肉だ。
「あの世」のエピソード部分に挿入される形で、父親を亡くした美加の日常が描写される。
美加は母親のもとに移るが、そこには離婚原因となった、母親の浮気相手が同居していて、その男から、つきあい始めたのが、まだ両親の離婚前だと聞かされ、美加は両親が別れた真相を悟る。
母親を問い詰めても答えは返ってこない。
厄介払いのように、全寮制の女子校に入れられ、美加は荒れていく。
父親の墓に花を手向けることだけは欠かさない美加は、父親が自分の誕生日にバラを買った、その同じ花屋で偶然にも、花を買い続けてきたのだ。
そしてある日、花屋に顔を何箇所も腫らした美加が訪ねてくる。
いつも花を包んでくれる女性店長の前で、無言で涙を流してる。美加は絞り出すように
「ここで働かせてください」と言うのだ。
美加を演じる刈谷友衣子は初めて見るが、この花屋の場面の、心情を溢れさせるような演技は、見てる方も胸を詰まらせるものがあった。
彼女はベテランの役者たちが揃う、この映画において、じつは最もその成否の鍵を握る存在だった。
俺は子を持つ親ではないが、これは娘を持つお父さんはハンカチ必携だろう。
2012年7月10日
生瀬勝久が堂々主演という、本人には悪いが、これから先あるかどうかわからないという事もあり、『三宅・生瀬のワークパラダイス』が大好きで、DVDでもう何度も見直してるという生瀬ファンでもある俺は、見に行かねばと思った次第。
しかしこの映画では『トリック』の時のようなボケは一切なしだ。
生瀬勝久が演じるのは、インテリア・デザインの会社に勤める渋谷健一、50才。
妻とは離婚し、15才の誕生日を間近に控える娘の美加を引き取ってるが、思春期の娘は親の離婚に傷つき、父親ともまともに口を聞こうとしない。
健一は離婚後は覇気も失い、デザインの仕事の契約もほとんど取れず、同僚たちは「ゾンビ」と陰で呼んでる。健一の得意先の仕事も、上司の綾瀬由美が引き継ぐことになり、二人は得意先への挨拶をかね、一緒に出張させられることに。
「何でそういつも暗い顔してるの?」と、由美は覇気のない健一を露骨に嫌う。
健一が娘とこじれたままの関係に悩んでると聞き、
「誕生日には花でも贈れば?」とアドバイス。
誕生日の当日、花屋で15本のバラの花を包んでもらってると、ケータイが鳴る。
学校をサボッた美加は、友達の少女とブティックで万引きして、店長に捕まったとの連絡が。
娘の代わりに平謝りに謝った健一は、なんとか警察沙汰にならずに済ませた。
「欲しい服があるなら、父さんに言えばいいだろう」
「こんな時だけ恰好つけないでよ。お母さんに逃げられたくせに!」
そのひと言に、思わず娘の頬を打った。
出張の朝も、美加とは顔を合わすこともなく、娘の部屋の前に、バラの花を置いて、健一は家を出た。
出張先で、娘に手を上げたこと、そのことで自己嫌悪に陥る健一を、由美はますます蔑んで見る。
険悪なムードの二人が、横断歩道で信号待ちをしてるその時、落雷が二人を直撃した。
目覚めるとあたりは夜の闇に包まれていた。場所も交差点なんだが、なにか違和感がある。二人は
「なんか変だよね」と辿り着いた先は、なにかのホールのような建物だった。
「状況が呑みこめない方のために、オリエンテーリングを行いますんで」
と言われ、映画館のような客席に座る。健一と由美のほかにも数人がいる。
「みなさんは死にました。ここは生まれ変わるまでの、一時的な場所と理解してください」
だがどの位の期間で生まれ変わることができるのか、それはわからないと言われる。
由美はショックを受けるでもなく、さばさばとしていた。
「だってどうせ生まれ変わるんでしょ?」
「私はね、過去なんかどーでもいいの。先のことしか考えないで生きてくんだから」
一方健一は、娘と和解することもできずに、死んでしまったことを、ウジウジと悔やむばかりだった。
この「死者の緩衝地帯」は、緑に覆われ、どこまで続いてるのか、見当もつかない広大さだった。
健一と由美はこの緑の野を探索する途上で、以前健一の得意先の社長だった石田とばったり会う。
石田は5年前に病死して、以来ここで過ごしてるという。
すっかり馴染んで、「あの世」の生活をエンジョイしてる風情だった。
居酒屋もあれば、死者たちが踊りまくるクラブもある。
由美はさっそく石田と意気投合するが、健一は暗いまんまだ。
石田はそんな健一に、
「この緑の野のずっと先に、死者にスープをふるまう水辺がある」
「そのスープを飲めば生まれ変われるらしい」と話す。
だが生まれ変わるのは、赤の他人で、しかも前世の記憶は失うという。
石田はこの死者たちの世界に、小さな頃に死に別れた母親がまだいるかも知れないと、探してるという。その道すがら、スープ飲み場まで案内してもいいと請け負う。
由美は生まれ変わる気満々だった。
だが健一は、生まれ変わっても、娘との記憶が失われてるんでは意味がないと思った。
旅の途中でふらりと立ち寄った食堂の、カウンターに立ってたのは、石田の母親だった。
死んだ時のままだから、65才の石田よりずっと年下だったが。
母親との再会を喜ぶ石田に別れを告げ、健一と由美は、旅を続ける。そこで出会った少女から
「スープを飲まずに生まれ変わる方法を知ってるオヤジがいる」
と聞かされ、会いに行く。
頑として教えるそぶりのないオヤジだったが、健一は食い下がる。
そしてついにその秘策を伝授され、健一は実行に移した。
健一の身体は、「あの世」から消え去り、時が経って、高校の教室には、口数の少ない、直行という名の男子生徒の姿があった。
この映画はファンタジーものによくある「生まれ変わりネタ」であるとともに、「花嫁の父」ものでもある。
あの世の旅を通じて、少しずつ心を通わせるようになってきた由美に、健一が離婚の経緯を話す。
娘には言ってないが、離婚は妻が男を作ったことが原因にあった。
だが離婚となれば、娘が傷つくことはわかってたので、平静を装って夫婦生活を続けてきたと。
自分の感情を殺して日々を過ごすうちに、会社でもどこでも表情のない人間になってしまったんだと。
だが娘のことを思ってというのは言い訳で、本当は自分の方が娘を必要としてたんだと気づいてた。
この「死者の世界」でのびのびと振舞う石田たちを見ながら、健一も、自分を見つめ直すようになっていた。
父親が娘を思う気持ちというのが、映画の根底にずっと流れているんで、健一が生まれ変わって以降の、それまでのキャスティングが一新され、若い役者たちによるドラマに移っても、映画そのものが寸断された感じは受けない。
実のところ、尺的には生瀬勝久や小西真奈美、松方弘樹といった熟練の大人たちが演じる「あの世」の部分がずっと長いにも関わらず、キャストが変わって、高校生たちの話に移ってからの方が、何か画面も弾んでくるのだから皮肉だ。
「あの世」のエピソード部分に挿入される形で、父親を亡くした美加の日常が描写される。
美加は母親のもとに移るが、そこには離婚原因となった、母親の浮気相手が同居していて、その男から、つきあい始めたのが、まだ両親の離婚前だと聞かされ、美加は両親が別れた真相を悟る。
母親を問い詰めても答えは返ってこない。
厄介払いのように、全寮制の女子校に入れられ、美加は荒れていく。
父親の墓に花を手向けることだけは欠かさない美加は、父親が自分の誕生日にバラを買った、その同じ花屋で偶然にも、花を買い続けてきたのだ。
そしてある日、花屋に顔を何箇所も腫らした美加が訪ねてくる。
いつも花を包んでくれる女性店長の前で、無言で涙を流してる。美加は絞り出すように
「ここで働かせてください」と言うのだ。
美加を演じる刈谷友衣子は初めて見るが、この花屋の場面の、心情を溢れさせるような演技は、見てる方も胸を詰まらせるものがあった。
彼女はベテランの役者たちが揃う、この映画において、じつは最もその成否の鍵を握る存在だった。
俺は子を持つ親ではないが、これは娘を持つお父さんはハンカチ必携だろう。
2012年7月10日
2022-02-15 22:24
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