日米「森のアニメ」を見る① [映画ア行]

『おおかみこどもの雨と雪』

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滅多にアニメを映画館で見ることのない俺だが、珍しく公開初日に、しかも2本ハシゴした。
『サマー・ウォーズ』の細田守監督の新作『おおかみこどもの雨と雪』と、
ピクサーの新作『メリダとおそろしの森』だ。
奇しくもどちらも森が舞台となっていて、「母と子」の物語でもある。

そして俺にとっては、この勝負は「おおかみこども」の圧勝だった。
物語の前半からすでに、俺も更年期障害で、自律神経イカレて、涙腺がゆるみっ放しになったのか?と思うくらいに涙が出てしょーがない。
このアニメは劇場で予告編が流れ始めた頃から「見たいな」とは思ってたんだが、期待にたがわずどころか、もう素晴らしいとしか言いようがない。

物語に関しては整合性など細かい突っ込みを入れる気はない。大体、人間の女性と「おおかみおとこ」が結ばれて、「おおかみこども」が生まれるって設定なんだから。


大学生の花が、端の席で講義を聞きに来てる、物静かな「彼」を目に止め、二人が心を許しあうようになるには、時間はかからなかった。
彼は大学生ではなく、講義を内緒で聞きに来てた。引越し屋でバイトをしてた。彼は言った。
「アパートの部屋といっても、みんな同じじゃない」
「独りで暮らしてる人もいれば、子供と暮らす一家もある」
「誰かが待ってる家っていいな」
「そんな風に暮らしてきたことないから」
「じゃあ、私が待ってようか?」

だが次のデートの夜、彼はいつまで待っても約束の場所に現れなかった。
それでも道端に座り込んで待つ花。

ようやく現れた彼は、花に謝って、自分の秘密を打ち明けた。
目をつぶってと言われた花が、少しして目を開けると、目の前にはおおかみの姿に変わった彼が立っていた。
でも花は彼を受け入れた。

花が妊娠して、でも病院に行くことはできず、自宅分娩の道を選ぶ。
彼も甲斐甲斐しく、花の世話を焼く。

このあたりの場面はセリフはなく、時折挟まれるナレーションと、音楽だけで描写され、その満たされた日々の情景がまず心を揺さぶる。
ピクサーの『カールじいさんの空飛ぶ家』の冒頭10分の、あの感じに近い。

雪の日に生まれた長女の雪、その1年後の雨の日に、弟の雨が生まれるが、父親の「彼」は、家族のために都会で「狩り」をする最中に命を落とした。
その死体はゴミ収集車に放りこまれ、花は都会に見切りをつけ、彼が持ってた写真に写る、日本アルプスの峰々を戴く、山里への移住を決意する。


雪はおてんばで、ひと時もじっとしてない。好奇心も旺盛、食欲も旺盛な女の子。
弟の雨は内向的で、虫が出る田舎の家を怖がって、町に帰りたいという。

人間の子供の姿をしてる雪と雨は、体をブルブルッと震わせると、大きな耳が頭からポンと出る。そうするともう全身はおおかみとなって、あたりを駆け回る。
雪がおおかみになって駄々をこねる場面は、場内大ウケだった。


民家から離れた廃屋に、隠れるように住まい始めた母親と二人の子供、その手探りで頼りない生活をまず見つめる。

雨と雪が、生まれて初めて家を取り囲んだ一面の銀世界に興奮する場面。
おおかみの姿になって、山の斜面を滑るように駆けていく。
母親の花も走って後を追う。転げながら、雪まみれになって、3人は大きな声で笑う。
オーケストラの旋律の高まりとともに、画面が躍動する。
どの国の子供たちが見ても、目を輝かせて夢中になるだろう。

田舎暮らしは生易しくはない。いくら野菜を植えようとしても、すぐに枯れてしまう。でもなんかの拍子に、雨と雪がおおかみに変わるかも分からないので、里の人間に相談もできない。
途方に暮れる花を、里の住人たちは何気なく目を配っていて、気難しいが頼りになる里の老人のスパルタ指導により、花は畑作りを無事やり遂げ、しだいに花の一家も輪の中に加わるようになっていく。


6才になった雪は、小学校に通いたいと言い出す。
絶対に人前でおおかみにならないと約束させ、花は娘を学校に送り出すことにした。
すぐに仲良しの友だちもできたが、雪は人間の女の子と、自分の好む物がちがうことにとまどう。
人間の女の子は平気でヘビを手づかみにはしないし、宝箱の中に生き物の骨や死骸を入れたりしない。
そこらじゅうを駆け回ってた、おてんばの雪は、人間との同化を図ろうと、すっかりおしとやかな女の子に変わった。


雪の1年後に同じように小学校に入った雨は、気弱なためにイジメにあった。
おしとやかな雪も、弟がいじめられてる時は豹変していじめっ子たちを蹴散らした。
隣り合った雪と雨の教室をカメラが左右にパンさせて、1年、2年、3年と学級が上がってく様子を表現する場面は上手い。

雨はいつからか登校拒否となり、母親の花の働き先の、地域の自然保護センターに出入りするようになってた。
そこにはロシアのサーカスから用済みとなり、引き取られた年老いたおおかみがいた。
「おおかみはどんな風に生きてくの?」
雨はそのおおかみに訊ねた。

この頃から雨はあれほど虫などを怖がって立ち入らなかった山の中へ、ひとりで分け入っていくようになった。
「お母さんに、僕の先生を紹介するよ」
そう言う雨の後について険しい山を分け入って行った花の目の先には一匹のキツネがいた。
「この山の主なんだよ」
そう言うと雨はキツネの後を追って、駆けていった。
花は気弱だった雨の中に、眠っていた野生が呼び覚まされたのだと、思い知らされた。


人間に同化しようとする姉の雪と、おおかみとしての野生を自覚する弟の雨は、互いのズレに苛立ち、ついにはおおかみの姿になって、壮絶な兄弟ゲンカにまでなる。
花はその野生の迫力に、止めに割って入ることもできなかった。


人間の女の子として周りとうまくやれていた雪は、転校生の草平から何気なく
「おまえ犬飼ってない?犬の匂いがするんだけど」
と言われショックを受ける。

以来、草平を避けるようになるが、その態度が気になる草平に逆に付きまとわれ、
「オレ、なんか気に障ること言ったか?」
と肩をつかまれて、雪は思わず爪を出し、草平の耳を傷つける。
その瞬間、雪はおおかみに変わっていた。


設定は「おおかみこども」だが、描かれていることは、人間の子供をとりまく、成長や悩みや自我の芽生え、そのものだ。
草平が雪に「犬の匂いがする」と言ったのは、悪気はないが、小学校高学年になってくると、女の子はそういうことを気にし始める。
イジメにあう子は「あの子なんか臭い」というような理由をつけられたりすることが多いのだ。
それに傷ついたりする子がいるのだということを、作り手は観客にわかってもらおうとしたのだろう。

母親は子供のことを、「自分の子供だから」と思ってしまいがちだが、子供は一人ひとり違った人格であり、また違った人格になってくものだ。
母親の花は「おおかみこども」の出自を隠そうとしてきたが、雪も雨もそれぞれに、そんな自分の出自を表明する場面が訪れる。

ここは両方の場面ともに、特に涙腺がやられるところなのだ。


このアニメは音楽も非常に印象に残る。
高木正勝という人のことは知らなかったが、ありきたりな劇伴ではなく、インディストリアルな感じもあり、一時期流行ったアディエマスのようでもあり、丁寧に作画された山里や深い森の佇まいや、吹き渡る風の描写などに、その音楽が深みを与えている。
細田守監督の作詞で、アン・サリーが歌うエンディング曲『おかあさんの唄』もいい。

宮﨑あおいや菅原文太など、有名どころが声をあててるが、中でもおおかみおとこの「彼」をあててた、大沢たかおの声がいい。
これはもう1回見ようかなと思ってる。

2012年7月21日

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