あらかじめ失敗した詐欺師たちよ [映画ヤ行]

『夢売るふたり』

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西川美和監督・脚本・原案のこの映画は、たぶん見た人の数だけ異なった解釈が生まれるのではないか?そういう懐の深さを持っている。
なので今から書くことは俺としての解釈にすぎない。まだ見てない人は読まない方がいい。


オープニング・クレジットから10分くらいの、ごく冒頭から、意味を含ませたさりげない描写が続いていく。
卸売り市場に野菜などの買出しに出かける夫婦がいる。
京成電鉄が走ってるから、東京の北部の町だろう、小料理屋「いちざわ」を夫婦で切り盛りしてる。
板前の夫・貫也が厨房に立ち、妻の里子が膳を運ぶ。常連客で賑わう店内。

カウンターには昔なじみらしい、オカヤンが妻と一緒に陣取る。
貫也は軽口を交わしながら、オカヤンの妻が皿に残したミニトマトを
「アーン」と言って口に入れてやる。

店が退けると貫也は自転車の荷台に里子を乗せて帰る。
途中の交番の手前で里子は、自転車をサッと降りて、交番が過ぎたらまた乗り直す。

その夜もいつも通り、店は繁盛してたが、焼き鳥の油が火の勢いを強め、瞬く間に厨房は火に包まれる。里子は客を外に逃がすが、貫也は火を消そうと、油の張った鍋をひっくり返し、もはや手はつけられなくなる。
身動きとれない貫也を、オカヤンが助け出すが、店は全焼。
オカヤンも病院へ運ばれる。

貫也と里子の夫婦は10年前に「いちざわ」の開店に漕ぎつけた。
その時オカヤンにも借金をしていた。
絶望して里子の胸で泣く貫也に、タンス預金の通帳を見せる。
オカヤンに借金を返してきてと。

それですっかり無一文になってしまう。だが里子は
「10年前と同じたい。ちっとも怖くないよ」
と貫也を慰める。

この夫婦はともに九州から東京に出てきて、少なくとも10年以上になる。
いつ夫婦となったのかわからないが、子供はいない。
市場の買出しの様子を見てても、仲睦まじい感じだ。自転車も二人乗りだし。
貫也は板前で自分の店を持ちたいと思い、それを里子が支えてきたのだろう。

貫也は仕事に対しての頑なさから、今まで店と衝突しては辞めていくということを、繰り返してたようだ。
自分の店が燃えた後、知り合いの口ききで料亭の厨房に雇われるが、活きの悪い魚は捌けないと、たちまち板長と喧嘩になってる。
腕はあるんだが、頑なさで仕事を失う危うさが常にある。

里子の前で子供のように泣く貫也は、外でも「子供のような」振る舞いで自分の首を絞めてるのだ。
なので里子は妻であり、母親の役割も担ってる。
自分の店が持てれば、思い通りにできるし、人も揉めることもない。

もう一つ、この夫婦はどこかで、子供がいないことの淋しさを抱えてる。
自分たちの店で1日ヘトヘトになるまで働いていれば、その淋しさも紛らわすことができるだろう。
だから二人にとって、自分たちの店はどうしても必要なのだ。

その二人が、新しい店を出す資金を作るために、夫婦で「結婚詐欺」を働くことを決意する。
なぜそんな経緯を辿るのか?


店が燃えた後、里子はすぐに地元のラーメン屋でバイトを始めた。
食べてかなきゃ、落ち込んではいられない。
貫也はラーメン屋のカウンターで里子に毒つく。
健気に働く里子の姿に胸がえぐられるからだ。
「お前は俺みたいなのと一緒になって、貧乏くじ引かされたと思うちょる」
貫也は卑屈になるしかない。
ビールを飲んで町をさまよい、気づけば終電はホームから出た後だ。

ベンチに同じように酔いつぶれた女性がいる。
「大丈夫ですか?」と声をかけると、いきなりズボンに吐かれた。
顔を見たら、店の常連客の玲子だった。

玲子は店に一緒に来てた会社の部長と不倫関係にあった。
その部長は交通事故で重体となり、玲子は病院に駆けつけるも、面会は果たせなかった。
担当医は部長の弟で、「兄からです」と分厚い封筒を玲子に渡した。
手切れ金だった。
玲子は言葉を失い、いまは酔いつぶれて駅のベンチにいた。

火事を話を聞いて、玲子はズボンのお詫びに、貫也を自宅マンションに招いた。
貫也と玲子は衝動的にお互いを求めてしまった。

セックスの後で、貫也は自分の今のふがいなさや、里子は自分なんかにはふさわしくないなどと、愚痴を漏らした。
玲子はひとしきり聞き終わると、カバンの中の封筒を見せ、
「あげる」と言った。
「これ何?」
「手切れ金」
「早!」
貫也はさっきの行為に関してだと勘違いしてる。
玲子は部長の金だと説明し
「これでまた店やってよ」

思わぬ大金を手に、貫也は里子の元へ朝帰りした。
「昔の板前仲間が出してくれた!」
と里子を抱きすくめる。
里子は嗅ぎ慣れない洗剤の匂いに
「この服どっかで洗ってきた?」


ここから里子を演じる松たか子の、背筋を凍らせる表情演技が炸裂する。
封筒の中には常連客の玲子へ部長が宛てた短いメモ書きが入っていた。
夫と玲子の間になにがあったのか、もう里子は悟ってる。だが同時に
「これは金になるのでは?」とも。

オカヤンの妻にミニトマトを食べさせてた貫也を、里子は目の端で追ってた。
貫也にはそういうことを普通にできる「人たらし」な能力というか、人柄が備わってる。
たぶん里子自身も、そんな貫也にほだされて今日まで一緒にきたのではないのか?

浮気をした夫には、その浮気でさらに資金を稼がせよう。
私の味わった屈辱感は、その気にさせられて、金を貢いで騙されて途方に暮れる、その女たちの屈辱感で相殺される。
里子は詐欺を正当化するような捉え方をする。

詐欺といっても、そんなにあくどい事だろうか?
私と同じ年くらいの、独り身でいる女性たちは、みんな心に空しさを抱えてるはず。
そんな彼女たちに一時でも、夢を見させてあげられるのは、きっとあの人に与えられた天賦の才なのだ。


だがこの夫婦は本気で新しい店を持とうと思ってたのか?
不動産屋から物件がFAXされてきて、「ここにしよう」と貫也が盛り上がってる場所は、スカイツリーが川の対岸に臨める場所だ。
映画に地名は出てこないが、京成電鉄の走る町に二人は暮らしていて、京成電鉄の沿線からはスカイツリーが見えるのだ。
つまり火事を出した店と、新しい店に考えてる場所とは、そんなに離れてない。

複数の女性に対し、結婚詐欺を働くような人間が、そんな近場に店を構えようと本気で思ってるのか?
貫也が板前ということは女性たちは知ってる。
新しい店のカウンターに立てば「自分はここに居ますよ!」と宣伝するようなもんだ。
被害者が探偵を雇えばすぐわかる。
実際映画の終わりの方に探偵が出てくる。

店の手付けも打ち、内装が入るようになるが、貫也と里子の気持ちのベクトルは違う方向に向っていく。
新しい店を出せば、居所もわかってしまう、そのことは二人も薄々承知してたのではないか?
だがそれでも店が必要と思うのは、それがないと、二人を同じ場所に繋ぎとめることができなくなる、そんな予感を互いに抱いてたと見る。


里子にとってそれが確信に変わるのは、貫也がシングルマザーの滝子と近づいてからだ。
滝子はハローワークの窓口で、この夫婦の仕事の斡旋を担当しており、里子も当然顔は知ってる。

独身OLの咲月から金をせしめた後に、ターゲットにした、巨漢のウェイトリフティング選手のひとみが、練習中にケガを負い、貫也は病院へ見舞いに行く。
夫のDVから逃げてきたデリヘル嬢の紀代ともつきあい、貫也は体力的にも疲弊していた。
それに女性たちとつきあいを深めるほどに、罪悪感が拭えなくなってくる。

ひとみには、妻の里子が自分から癌であると嘘を吹き込んでいて、ひとみは病室に里子の高額な治療代を用意してたのだ。
里子のことは貫也の妹と思い込ませていた。

貫也は見舞いに訪れた病院の待合室で、心細げに座る男の子と目が合う。
その子と遊んでやってると、母親がやってくる。
ハローワークの滝子だった。同居する父親が具合を悪くしてたのだ。
滝子の家は町で印刷工場を営んでいた。

貫也は里子に、新しいカモが見つかったと話す。
滝子には死んだ夫の生命保険が下りている。
店の仕込みの余りをタッパーに詰め、板前の包丁を新聞紙に包んで
「折をみて、お前の癌のことを持ち出してみるよ」


だが里子は胸騒ぎを覚えていた。いままでの相手とは状況がちがう。
火事の時に真っ先に持ち出そうとした、板前包丁まで持って、滝子の家族に料理を振舞うというのか。
滝子には子供がいる。
他の女と夫が肉体を交わすだけなら、情もしれてる。
だが子供がいて、家庭がある、もしそこに貫也が情を移してしまったら、引き戻すことはできないだろう。

どしゃ降りの中を、里子は印刷工場に向った。
階段を上がり、住居とおぼしきアパートのドアに返事はない。
ドアは開いて、台所の流しの上に、貫也の包丁が、手入れもせずに無造作に置かれている。
印刷工場の物陰から覗うと、作業服を着た貫也が、滝子の父親に仕事を習ってる。
里子はアパートに取って帰し、貫也の包丁を握って階段を下りかけて、滝子の子供と鉢合わせした。

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交番の前では二人乗りの自転車から降りるような、小市民なメンタリティの里子と貫也のような人間が、そもそも詐欺など貫徹できはしないのだ。
これは計画した段階から、あらかじめ破綻が約束されてたようなものだ。

貫也は何人もの女性を騙す過程において、自分も肉体的にさまざまな怪我を負う。
罰を与えられるのは、一方的に夫の貫也であり、里子の身には何も起こらない。
起こらないが、自分が企んで、夫を動かした行為は、夫の心を離れさせていくという「呪い」に変えられていく。

映画の結末は、貫也にとっては「苦い解放」といえるものだが、里子は自分でピリオドを打てたわけではない。
夫の浮気への復讐と捉えれば、これはある種のピカレスクではあるが、俺は里子は敗北したのだと解釈する。


西川美和の脚本は、登場人物が有機的につながっており、無駄がない。
うろのように溜まる感情を暴くような、核心をつくセリフの数々にもシビれる。
元が漫画でもテレビでもない、オリジナル脚本による、プロフェッショナルな映画の凄みに溢れている。

貫也を演じる阿部サダヲ、里子を演じる松たか子はどちらも素晴らしい。
ひとみを演じる江原由夏は、撮影のためにウェイトリフティングを習い、その才能を開花させてしまったという。

役者はみんないいんだが、中でも俺はデリヘル嬢を演じた安藤玉恵の
「うわあ、いるよこういう人」という生々しさに目を奪われた。
男運が悪く、貢いでしまうことが身についてしまってる。
そういう自分を卑屈に笑うんだけど、仕事に卑屈になってはいない。
自分で稼いで、自分の足で立ってると。

だが実家に電話する時は公衆電話。
ケータイの番号を親には教えられないし、ケータイにはいつ呼び出しが入るかわからない。

幸せになりたいけど、なりかたを忘れてしまったような。
脚本の描き込みによるものだろうが、安藤玉恵はそれを血肉化してる。


この映画は何回見ても、その度に「これは本当はこうかもしれないな」と解釈が変わる可能性がある。
なので、繰り返すようだが、これは1回見たきりの俺の解釈にすぎない。

展開やセリフに文句はないが、描写にはケチをつけたい部分がある。
映画の冒頭からヘルスでオッパイ丸見えの場面とか、松たか子にひとりHさせてみたりとか、セックスも女性監督だからと流すことなく、きっちり見せようとしてるのか。

だがそれなら貫也とひとみがセックスする場面を描くべきだ。
あの巨漢の彼女を、貫也はどんな風に抱こうとするのか。
松たか子に生理用品つけさせるような描写を入れるんだったら、むしろそっちを見せてくれ。
「いやそれは同じ女性として…」
みたいな遠慮があるなら、それは違うんじゃないか?と思うぞ。

2012年9月12日

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