『ロック・オブ・エイジス』観るなら立川一択! [映画ラ行]

『ロック・オブ・エイジス』

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「トム・クルーズ映画」として売れるわけではないから、シネコンの「箱割り」も最初から消極的で、公開の週末でも大きなキャパを割り振ってる所がほとんどない。
しかし、お祭り騒ぎ的なロック・ミュージカルなんだから、ちんまりと眺めるんじゃ楽しくない。

そんなわけで、東京都市部とその近郊で、『ロック・オブ・エイジス』を見るとすれば、
「立川シネマシティ」の「シネマ・ツー」というシネコンが、望みうる最高の環境ということになる。

見てきた後だからそう断言できるので、実際このシネコンは初めて利用したのだ。
立川という立地が、ウチからだと、ちょっとした遠征モードの距離にあり、今まではこれといった割引制度もなかった。
そこに有料会員システム「シネマシティズン」がスタートし、これは年会費1000円で、
入場料がいつでも1300円になるというもの。

それに今回の『ロック・オブ・エイジス』は、「ミュージカル映画」6本を連続上映する
「極上音響上映」というプログラムに組み込まれており、平日だと会員は1000円で見れるのだ。
「シネマ・ツー」にある5つのスクリーンは、「studio」という呼称となっており、ここ独自の音響調整卓を駆使した、サウンドシステムが売りとなってる。
レコーディング・スタジオの音の再現を目指してるという。

この日は3番目のキャパの「studio C」での上映で、スクリーンはさほど大きくないが、音は抜群にいい。
やたらとデカい音で鳴らすわけではなく、細かいニュアンスの音までクリアに耳に届く。
低音はもっとシートにズンズンきてもいいなとは思ったが、F列のド真ん中に陣取って、堪能し尽した。
1000円だし、足代かけても、また見に行きたいくらいだ。
シネコン時代が到来して、映画館の音響は飛躍的によくなったとは思うが、それにしても「音楽もの」を、こんないい音で味わえるとは、なんといい時代になったものか。

言っとくが映画の中身は「ない!」
『バーレスク』やら『コヨーテ・アグリー』やら、あのあたりと寸分変わらない。


ヒロインのシェリーが、オクラホマの田舎から、夜行バスでハリウッドへと向う。
その車中でたそがれながら、ナイト・レンジャーの『シスター・クリスチャン』を彼女が口ずさむと、他の乗客や運転手が、先を唄い継いでく。

サビの部分は車内で大合唱。そう、ミュージカルだから、これでいいのだ。
この導入部でもうグッとこさせるものがある。

シェリーがバスで降り立った1987年のサンセット・ブルヴァード。
伝説のライヴハウス「バーボンルーム」の向かいで引ったくりに遭い、呆然とする彼女に、店の下働きをしながら、ロックスターを夢見る青年ドリューが声をかける。

「困ってるならウチの店で雇ってくれるかも」
夢を叶える者、破れる者、無数の若者たちを見てきた中年オーナーのデニスは、シェリーのやる気を見込んで、ウェイトレスとして雇う。


折からこの店も経営は苦しく、新市長夫人のパトリシアが先頭切って、青少年への害毒と、ロックやライヴハウスを駆逐する活動を激化させてる。
デニスの店を救う唯一の頼みの綱が、ロックのカリスマ、ステイシー・ジャックスのソロ・ライヴの開催だった。
人気も落ち目となってきたステイシーは、自らのバンド「アーセナル」を解散して、ソロで巻き返しを図ろうとしていた。


シェリーとドリューは、同じ環境で働くうちに、気持ちも近づいてくる。
ロスの夜景を一望できる「HOLLYWOOD」の大看板のある丘で、ドリューはシェリーに捧げる曲を弾き語り、二人は同じ夢に向う恋人同士となる。

ステイシーのソロ・ライヴを真近に控え、前座バンドが急に舞台に立てなくなり、デニスはドリューのバンドに白羽の矢を立てる。
シェリーからの強力なプッシュもあったのだ。

ドリューのリハを嬉しそうに眺めるシェリーに、同僚のウェイトレスは
「別れを言うなら今のうちよ」
「スポットライトを浴びると、男は変わってしまう」


ライヴ当日、「バーボンルーム」にやってきたステイシー・ジャックスはシラフではなかった。
というよりシラフでいる時間など無いに等しかった。
ロックへの情熱も失せ、人間不信とニヒリズムとアルコールの混沌の中に漂っていた。

ライヴ前に「ローリングストーン」誌の女性記者コンスタンスが、インタビューにやってきた。
ステイシーは一方的に4分間と指定し、いい加減な物言いでやり過ごす。
だがコンスタンスは別れ際に、ステイシーに今の凋落っぷりを、面と向って突きつける。
「イエスマン」と取り巻きの女以外、周りに誰もいなかったステイシーは、彼女の忌憚のない物言いにグッときた。

前座のステージを控えたドリューは、シェリーがステイシーの楽屋から出て来たことに衝撃を受けた。
シェリーはワインを頼まれて運んだだけだったが、彼女の後からステイシーが股間を押さえながら出てきたことで、ドリューはすっかり勘違いした。

ライヴでその鬱憤を激しいロックナンバーで叩きつけ、オーディエンスの喝采を浴びる。
ステイシーのマネージャー、ポールは、落ち目のカリスマに代わるスターの原石を見出した気分だった。
ステージを降りたドリューは、駆け寄ってきたシェリーに冷たく言い放つ。
「君がいなくても、女はいくらでもいる」
シェリーは、あの言葉通り、ドリューがスポットライトを浴びて変わってしまったのだと思った。


シェリーは店を辞めると告げ、失意の中で、ダンスクラブのママに拾われる。
そこは女たちが艶かしい衣装で、ポールダンスを踊る「ヴィーナス・クラブ」という大人の遊び場だった。
シンガーを目指していたはずのシェリーは、ポールダンスのステージに立つことに。
ポールとの契約にサインしたドリューだったが、レコード会社には、もうロックは売れないと言われ、ヒップホップを取り入れた「ボーイズ・グループ」に衣替えさせられる。

同じ夢を見てたはずのシェリーとドリューは、どちらからともなく、あのロスを見下ろせる丘に足を運んだ。ダンサーとポップアイドル。再開した二人に笑顔はなかった。


シェリーとドリューの恋の行方は?二人の夢は叶うのか?
ステイシーはもう一度ロックへの情熱を取り戻せるのか?
そして「バーボンルーム」の危機は回避できるのか?

まあミュージカルなんで、すべてハッピーエンドにまとまるわけだが、この際ストーリーはどうでもいいのだ。
だがどうでもいいと思って楽しめるのは、80年代の洋楽を浴びるように通ってきた世代だろう。
『ベストヒットUSA』を毎週見てたようなね。
『ダーク・シャドウ』が「70年代洋楽世代向けエクスプロイテーション」だとすれば、この映画は
「80年代洋楽世代向けエクスプロイテーション」以外のなにものでもない。


トム・クルーズは特別出演扱いみたいになってるが、意外に出番が多く、主演といっても差し支えない目立ちっぷりだ。ほとんど上半身裸だし。

デフ・レパードの『シュガー・オン・ミー』や、ボン・ジョヴィの『ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ』など、歌唱も含めてステージパフォーマンスは堂に入ってる。
ステイシーとコンスタンスが、ちょっとハレンチに絡む場面では、フォリナーの『アイ・ウォナ・ノウ』を唄い上げてる。

新市長夫人のパトリシアを演じてるのはキャサリン・ゼタ=ジョーンズ。パット・ベネターの
『ヒット・ミー・ウィズ・ユア・ベスト・ショット』を彼女が唄い踊る場面は楽しい。
『シカゴ』仕込みといおうか、ダンスさせると途端に精彩放つ感じで、パンチラのサービスまである。

パット・ベネターではもう1曲『シャドウズ・オブ・ザ・ナイト』も使われてた。
これは好きな曲なんで嬉しかったね。
シェリーが初めてポールダンスのショーを見る場面で、クォーターフラッシュの『ミスティー・ハート』とのマッシュアップ(2曲を紡ぐようにアレンジする)として唄われてた。

このマッシュアップという手法では、フォリナーの『ジュークボックス・ヒーロー』と、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツの『アイ・ラヴ・ロックン・ロール』とか、
スターシップの『シスコはロックシティ』とトウィステッド・シスターの『ウィア・ノット・ゴナ・テイク・イット』など、歌詞も場面に合っており、創意工夫のあとが偲ばれる。
大ラスのジャーニー『ドント・ストップ・ビリーヴィン』まで、80'Sに浸りっぱなしの2時間だ。


シェリーを演じるジュリアン・ハフは、ポールダンスではグラマラスな肢体も見せて、ヒロインを熱演してる。

だが面白いのはドリューを演じたディエゴ・ボネータの方で、ああいうカーリーヘアのロックシンガーが、80年代って感じが出てたし、途中で髪を切らされ、ボーイズ・グループを演らされるんだが、それがまたハマってる。
ニュー・エディションとかのパロディだろうが、キャップと、極彩色のジャンパーがすごい。
二人とも歌は普通に上手い。

アレック・ボールドウィンと、ラッセル・ブラントが、REOスピードワゴンの『涙のフィーリング』でカミングアウトする場面は「それ放りこまんでも」と思ったが。


70年代後半から80年代へ、すでにロックは、体制に対する反抗のシンボルとか、社会的なムーヴメントを牽引するものではなくなり、その概念も形骸化して、「産業ロック」と揶揄されるようになっていた。
『ロック・オブ・エイジス』はその時代の空気を「から騒ぎ」のように皮肉ってもいるんだが、映画のストーリーが陳腐であっても、その時代や音楽ビジネスが空虚なものだったとしても、ここに流れる楽曲はそれらを凌駕して、「やっぱりいい」とテンション上げてくれる。

俺はそこんとこに、消費されてるだけと思われてる、ポピュラー・ミュージックの凄みがあるんじゃないかと感じる。
つまり背景にある安っぽさとか、売れれば官軍みたいな姿勢とか、そんなことは耳馴染んだ曲の、着心地のよさの前では、些細なことでしかなくなるのだ。

だからこそ、この映画は「世代」を選ぶことにもなるだろう。

2012年9月25日

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