ラテンビート映画祭『ヴィオレータ、天国へ』 [ラテンビート映画祭2012]

ラテンビート映画祭2012

『ヴィオレータ、天国へ』

ヴィオレータ天国へ.jpg

チリで最も有名な歌手といわれる、ヴィオレータ・パラの生涯を描いた伝記音楽映画。
彼女のことは知らなかったが、日本にも彼女の歌や生き方に魅了される人たちは、けっこういるようで、ブルク13の客席はかなり埋まっていた。

ヴィオレータは1967年に拳銃自殺を遂げているが、映画は自殺直前の思いつめた彼女の表情から、子供時代、旅周りする十代、歌手として名を広めつつある後半生と、時代をシャッフルしながら描いていく。
率直なところ、この構成が上手く機能してるのかは疑問だ。

この映画は、もともとヴィオレータのことを知ってる、愛着を持ってるという観客にとって、すでに事実として知っている彼女の経歴を、補足し合うような作りになってる気がする。

つまり、まったく彼女のことを知らない観客にとっては、時制が前後するような構成が、彼女に関する理解を邪魔するような所があり、もっとオーソドクスに演出してほしかったと感じた。


ヴィオレータは1917年、チリの貧しい村で生まれた。
父親は白人で小学校の教師をしてた。
幼いヴィオレータは父親の授業を受けている。
父親はギターと歌が得意で、よく村の人々の前で披露してた。
ヴィオレータは父親の傍らでそれを聴いていた。
その父親は政治信条がもとで失職し、まだヴィオレータが幼い時に、結核で死んだ。
ギャンブル好きで貯えなどなく、古びたギターだけが残された。

家計は困窮し、ヴィオレータは父親の形見のギターを、その小さな腕に抱え、幼い姉弟たちとともに、食堂や路上で歌い、小銭を稼ぐ毎日を送る。

回想場面で度々出てくるんだが、幼いヴィオレータは、ベリーの実が大好物らしく、いつも口のまわりを紫にしてる。
子供時代のヴィオレータを演じる少女が、つぶらな瞳で愛らしい。
成長したヴィオレータは姉とともに、チリの各地をドサ回りして暮らし始める。


彼女は十代の頃から、社会意識に目覚めていたようで、象徴するような場面があった。
山間の村を訪れると、祭りだというのに、歌や踊りは控えてほしいと村長から言われる。
教会の教えに従うということのようだが、ヴィオレータは
「神を賛美する内容にしては?」
と提案し、受け入れられる。

集まった村人の前で、信心深さを表すような歌と芝居を見せるが、村人たちも盛り上がらない。
一応拍手を貰って引っ込むが、ヴィオレータはやおら太鼓を下げて、自らリズムを作りながら、力強い声で歌い出す。
それは貧しい暮らしへの憤りであり、社会への疑問を投げかける内容だった。
教会が認めるはずもないような。
ヴィオレータは村人たちの心に直接ぶつけるように歌い、歌が終わると、一瞬の沈黙を置いて、村人たちは一斉に拍手と歓声を上げた。

この頃からヴィオレータは
「歌によって社会が変えられるかもしれない」と思ってたようだ。


既成のフォルクローレの曲を演奏するに留まらず、彼女はフォルクローレに、社会的なメッセージや、自らの極私的な心象風景をこめる、ユニークな存在として、しだいに認知されていったようだ。
これは1960年代にラテンアメリカ諸国で湧き上がった、「ヌエバ・カンシオン(新しい歌)」という音楽運動の潮流につながってる。

1936年に最初の結婚をし、2人の子をもうけるが、1948年に離婚。
翌年テノール歌手と再婚して、もう2人子供が生まれる。
この頃にはチリ国内はもとより、海外でもその歌声が知られるようになっており、ヴィオレータはポーランドからコンサートの依頼を受ける。
だが彼女が初の海外公演に出てる間に、生後9ヶ月の末娘が死亡。それがもとで2度目の離婚となる。

彼女は自作の歌を次々に生み出していく傍らで、チリの伝承音楽の継承にも情熱を注いでいた。
村で有名な歌い手がいると聞けば、まだ幼い息子のアンヘルにも荷物を持たせて、山深く分け入って行く。
2000年の『歌追い人』でジャネット・マクティアが演じた、伝統音楽の採集と同じことをしてたのだ。

だがようやく辿り着いた村でも、当の老人は歌を聞かせてくれようとはしない。
息子を失って以来、歌を封印してしまったという。
その老人が、ヴィオレータの幼い娘の葬儀の場で、封印してた歌を唄い出す場面は、この映画でもひときわ感動的だ。


40才を過ぎて、ヴィオレータの誕生日を親しい者たちで祝おうという席に、息子のアンヘルが久々に顔を見せた。
その時アンヘルが連れてきたのが、ヴィオレータの歌声に魅了されたという、スイス人のファブレだった。
ヴィオレータより年下だが、二人はすぐに惹かれ合った。

ケーナ奏者でもあったファブレと共に、ヴィオレータはチリを離れてパリへと渡った。
その頃には音楽に留まらず、絵画や刺繍にも表現の場を広げている。
しかもそれらにも一貫したメッセージをこめていた。
彼女は自らの創作物をルーブル美術館に持ち込み、展示を掛け合ったりしてる。
その行動力はすごい。

だがファブレは、次第に自分の存在がスポイルされてるように感じ始め、彼女のもとを去る。
ヴィオレータの痛手は深く、その心情を『ルンルンは北に去った』という曲に綴る。
ルンルンとはファブレの愛称だ。

チリに戻ったヴィオレータは、都心部から遠く離れた山あいの、見晴らしのいい一角に、自らが理想とする「住居兼レストラン」を作って、暮らし始める。
レストランにはステージがしつらえ、彼女自身や、ミュージシャンたちが思い思いに演奏する。
客たちにはチリの素朴な料理が振舞われる。
店内にはヴィオレータの手による絵や刺繍が飾られてる。
たぶん建物自体も本職に頼まず、建てたのだろう。壁は隙間だらけだし、支柱が常にミシミシと小さな音を立てている。

当初は話題にもなり、客も入ってたようだが、辺鄙な場所にあるし、たぶん料理が上手いというわけでもなかったんだろう。
客も来なくなり、ヴィオレータからは気力も失われていったようだ。
彼女の3番目の娘カルメン・ルイサが常に寄り添っていた。
ヴィオレータはその年、50才になろうとしていた。


ヴィオレータを演じるフランシスカ・ガヴィランの熱演は認めるものの、この内面に語り足りなさは覚える。
ヴィオレータは政治信条でいえば、社会主義者で、アメリカを嫌悪してたようだ。
映画の中で、彼女の誕生日を祝う「ハッピー・バースディ」の歌声に、
「アメリカの歌は嫌いだから止めて!」と言ってる。

差別意識に敏感で、パリに行った折に、白人セレブたちの前で歌を披露、主催者から
「お腹が減ったでしょう?」
と言われ、頷くと
「用意してありますから、どうぞ台所へ」
と言われブチ切れ。
「台所で食べろと言うの?このクソおやじ!」
と吐き捨てて出てく。

でもってアメリカ嫌いということは、白人も嫌いなのかというと、スイス人のファブレには惚れてたりする。
父親が白人であったということが、ヴィオレータの中に、どんな影響というか、愛憎をもたらしているのか。
そこらは映画からは汲み取れなかった。


ヴィオレータが、貧困から社会意識に目覚めていくのはわかるが、彼女の力強い表現に満ちた詞の世界は、どのように育まれてきたものなのか?
その創作の秘密に関わる描写がなかった。
彼女の人生の一場面一場面に、彼女の歌が被さるのみなので、どうやって詞を紡いでいくのか、そこを描いてくれればよかったんだが。

エピソードが普段の暮らし向きというより、彼女の足跡でポイントとなる事象を選んで描いてることもあるが、くつろいだ空気というのが流れてない。
なにか「常にピリピリしてる女性」という印象を抱いてしまう。
晩年に建てたレストランの一件も、いかにも自らの信条や表現について、頑なな人が陥りがちな展開に見える。

映画の歌声は本人のものだろうが、たしかに歌声は伸びやかで力強く、多くの人を捉えて離さない魅力があるとは思える。
ただ個人的には、俺が音楽に求めてるものとは毛色が違うと感じた。
なにか生き方が反映されすぎてて、気圧されてしまうのだ。

アンドレス・ウッド監督の演出は、ヴィオレータの心象風景や、時制を前後させたりすることで、技巧が前に出てきてしまい、彼女の人生が陰鬱に映ってしまってるのは、果たしてどうだったのか?

2012年10月8日

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