今年一番おだやかでない題名 [映画サ行]
『先生を流産させる会』
愛知県の中学校で起きた事件に材を取った映画。
事件を起こした男子中学生たちは、映画では女子中学生に書き換えられてる。
女性教師と生徒との「対決」の構図という部分から、松たか子主演の『告白』と較べられもするが、なによりも二つの作品は「子供を殺す」という内容の一致がある。
『告白』では学校内のプールで、女性教師の幼い娘が溺死させられてた。
この映画では女子中学生が「妊娠なんてキモい」という理由で、担任の女性教師を流産させようと、執拗に手を打ってくる。
なぜ女性教師なのか?そして『告白』においても、この『先生を流産させる会』においても、教師の夫の姿は出てこない。
思春期の生徒たちは、女性教師が自分の子を育てている、あるいは身篭っていることに、反発するのか。
「教師として自分たちを導いていくように見えても、いざとなれば自分の子が一番かわいいのだ」
つまり生徒たちの中では、教師であることと、母親であることは並び立たない。
家で自分に対してガミガミと干渉してくる母親の姿が、教師に投影された時点で、もう教師としては見れなくなる。
それはもう言いがかりのレベルだが、両方の映画に夫の影も見えないという所からも、女性教師の孤立無援の状況が剥き出しにされている。
俺の中学の頃を思い返してみても、女性教師はしんどいだろうなあと感じた。
中学になると、生徒がほとんど言うことをきかなくなる。
女性教師はどうしても舐められてしまうのだ。
学級崩壊に至るケースも、女性担任の場合が多いという。
この映画の中にもエゲツない位のモンペアが出てきて、女性担任のサワコに暴言吐きまくってくのだが、その後にサワコが、同僚の女性教師に
「バカがバカを産んで、そのバカがまた子供を育てる」
「教師はそのバカの機嫌をとるだけなのよ」と吐き捨ててる。
学校側の姿勢にも問題があるとはいえ、こんなことを言ってやりたいと思ってる、実際の女性教師もいるのではないか?
担任のサワコが妊娠した。中学の女子生徒たちは敏感に反応した。
クラスでも異質な女子グループのリーダー的存在のミズキは云った。
「サワコ、セックスしたんだよ。キモくない?」
5人の女子たちは、ブラジル人向けの雑貨店から、指輪を万引きして、ラブホの廃墟にある、彼女たちの「アジト」に向かう。
田んぼのあぜ道が長く延びる、どこにでもある地方都市の風景だ。
5人は指輪をはめて、ローソクの火にかざし、結成の儀式とする。
「先生を流産させる会」は発足した。
理科室で薬品を盗むと、給食時間に、サワコのスープに混入させる。
飲んだサワコはその場でもどし、女子たちは「きたなぁ~い」と声を上げる。
保健室で横になるサワコの様子を見にきたミズキは、保健の先生に
「何ヶ月から人間なんですか?」
と尋ねながら、サワコの腹に触れてみる。
保健室から戻ったサワコは、クラス全員に紙を配る。
給食に異物を混入したのは誰か?
知ってる名前を書かせるためだ。
5人の女子グループの中に、やり過ぎだと思う子がおり、彼女が主犯格の名前を記入した。
サワコは5人を呼びつけ
「赤ちゃんがもし殺されたら、私はその人間を殺す」
「先生である前に女なんだよ!」
サワコは立場を超えて、生徒たちに啖呵を切るが、ミズキは手を緩めない。
担任の回転チェアの、背もたれ部分のネジを利かないように細工した。
生徒たちの脇の席で採点をし終えたサワコは、いつもの癖で、後ろに反り返り、外れた背もたれとともに、椅子から転落した。
生徒たちの哄笑が響く。
起き上がったサワコは、例の5人に平手打ちして回った。
その5人のグループの一人、フミホから話を聞かされた母親が、激しい剣幕で学校に乗り込んできた。
娘を溺愛する母親は、教師の言い分など聞く耳持たない。
校長たちはひたすら頭を下げるのみで、サワコは
「学校の評判に関わる」と始末書を書かされる。
ミズキの執拗さに、グループの女子たちは引くようになり、事は鎮静化するかに思えた。
だが複雑な家庭環境で育ったミズキの、女性教師に対するドス黒い感情は、増幅を続けていた。
この映画はまず女子中学生たちのキャスティングがいい。
ミズキを演じる小林香織という子は、この映画の撮影時にはまだ小6だったというが、その敵意まるだしの表情に見惚れてしまう。
彼女は血が混じってるようなルックスで、実体験でイジメに遭ったりした事がなかったのか。
なにか映画の設定同様に、複雑な背景を抱えてそうに見えてしまった。
その彼女以外の4人が、また正反対に地味で、顔の区別もつき辛いほどだ。
こういう映画では、大抵タレント事務所からキャスティングされたりするんで、どうしても見映えのいい子が揃ってしまう。
でも実際の中学生とか、俺の時代もそうだったが、ほんとに可愛い子なんて、クラスに2人くらいだったからね。地味なのが普通だよ。
この地味な見た目の女の子たちが、地味で見所もなさそうな地方の町をブラブラ歩いてる。
学校の屋上からの風景もよかった。夏でプールに水は張ってあるが、その水もなんか緑っぽい色してて奇麗じゃない。
ダラダラと準備体操をする女子たちの表情。
彼女たちの日常が淀んでしまってるのが、画面から匂いだしてくる。
60分強という短めの映画は、終盤にサワコとミズキの対決へとなだれ込んでくが、不穏な暗さをまとい続けてきた映画は、意外な道筋を辿る。
俺はこの展開を見ていて、サミュエル・L・ジャクソンが、荒廃した高校の教師を演じた
『187 ワンエイトセブン』という映画を思い出した。
あの映画も学園ドラマとしては、当時は相当に異色な内容だったな。
サワコという女性教師は、その内面があまり描かれないが、その立ち居振る舞いは、ハードボイルド映画の主人公のようだ。
自らが傷を負っても、一線は越えない。
ホラーテイストにも感じられる映画が、踏み止まってるのは、そのサワコの人物造形による。
2012年10月17日
愛知県の中学校で起きた事件に材を取った映画。
事件を起こした男子中学生たちは、映画では女子中学生に書き換えられてる。
女性教師と生徒との「対決」の構図という部分から、松たか子主演の『告白』と較べられもするが、なによりも二つの作品は「子供を殺す」という内容の一致がある。
『告白』では学校内のプールで、女性教師の幼い娘が溺死させられてた。
この映画では女子中学生が「妊娠なんてキモい」という理由で、担任の女性教師を流産させようと、執拗に手を打ってくる。
なぜ女性教師なのか?そして『告白』においても、この『先生を流産させる会』においても、教師の夫の姿は出てこない。
思春期の生徒たちは、女性教師が自分の子を育てている、あるいは身篭っていることに、反発するのか。
「教師として自分たちを導いていくように見えても、いざとなれば自分の子が一番かわいいのだ」
つまり生徒たちの中では、教師であることと、母親であることは並び立たない。
家で自分に対してガミガミと干渉してくる母親の姿が、教師に投影された時点で、もう教師としては見れなくなる。
それはもう言いがかりのレベルだが、両方の映画に夫の影も見えないという所からも、女性教師の孤立無援の状況が剥き出しにされている。
俺の中学の頃を思い返してみても、女性教師はしんどいだろうなあと感じた。
中学になると、生徒がほとんど言うことをきかなくなる。
女性教師はどうしても舐められてしまうのだ。
学級崩壊に至るケースも、女性担任の場合が多いという。
この映画の中にもエゲツない位のモンペアが出てきて、女性担任のサワコに暴言吐きまくってくのだが、その後にサワコが、同僚の女性教師に
「バカがバカを産んで、そのバカがまた子供を育てる」
「教師はそのバカの機嫌をとるだけなのよ」と吐き捨ててる。
学校側の姿勢にも問題があるとはいえ、こんなことを言ってやりたいと思ってる、実際の女性教師もいるのではないか?
担任のサワコが妊娠した。中学の女子生徒たちは敏感に反応した。
クラスでも異質な女子グループのリーダー的存在のミズキは云った。
「サワコ、セックスしたんだよ。キモくない?」
5人の女子たちは、ブラジル人向けの雑貨店から、指輪を万引きして、ラブホの廃墟にある、彼女たちの「アジト」に向かう。
田んぼのあぜ道が長く延びる、どこにでもある地方都市の風景だ。
5人は指輪をはめて、ローソクの火にかざし、結成の儀式とする。
「先生を流産させる会」は発足した。
理科室で薬品を盗むと、給食時間に、サワコのスープに混入させる。
飲んだサワコはその場でもどし、女子たちは「きたなぁ~い」と声を上げる。
保健室で横になるサワコの様子を見にきたミズキは、保健の先生に
「何ヶ月から人間なんですか?」
と尋ねながら、サワコの腹に触れてみる。
保健室から戻ったサワコは、クラス全員に紙を配る。
給食に異物を混入したのは誰か?
知ってる名前を書かせるためだ。
5人の女子グループの中に、やり過ぎだと思う子がおり、彼女が主犯格の名前を記入した。
サワコは5人を呼びつけ
「赤ちゃんがもし殺されたら、私はその人間を殺す」
「先生である前に女なんだよ!」
サワコは立場を超えて、生徒たちに啖呵を切るが、ミズキは手を緩めない。
担任の回転チェアの、背もたれ部分のネジを利かないように細工した。
生徒たちの脇の席で採点をし終えたサワコは、いつもの癖で、後ろに反り返り、外れた背もたれとともに、椅子から転落した。
生徒たちの哄笑が響く。
起き上がったサワコは、例の5人に平手打ちして回った。
その5人のグループの一人、フミホから話を聞かされた母親が、激しい剣幕で学校に乗り込んできた。
娘を溺愛する母親は、教師の言い分など聞く耳持たない。
校長たちはひたすら頭を下げるのみで、サワコは
「学校の評判に関わる」と始末書を書かされる。
ミズキの執拗さに、グループの女子たちは引くようになり、事は鎮静化するかに思えた。
だが複雑な家庭環境で育ったミズキの、女性教師に対するドス黒い感情は、増幅を続けていた。
この映画はまず女子中学生たちのキャスティングがいい。
ミズキを演じる小林香織という子は、この映画の撮影時にはまだ小6だったというが、その敵意まるだしの表情に見惚れてしまう。
彼女は血が混じってるようなルックスで、実体験でイジメに遭ったりした事がなかったのか。
なにか映画の設定同様に、複雑な背景を抱えてそうに見えてしまった。
その彼女以外の4人が、また正反対に地味で、顔の区別もつき辛いほどだ。
こういう映画では、大抵タレント事務所からキャスティングされたりするんで、どうしても見映えのいい子が揃ってしまう。
でも実際の中学生とか、俺の時代もそうだったが、ほんとに可愛い子なんて、クラスに2人くらいだったからね。地味なのが普通だよ。
この地味な見た目の女の子たちが、地味で見所もなさそうな地方の町をブラブラ歩いてる。
学校の屋上からの風景もよかった。夏でプールに水は張ってあるが、その水もなんか緑っぽい色してて奇麗じゃない。
ダラダラと準備体操をする女子たちの表情。
彼女たちの日常が淀んでしまってるのが、画面から匂いだしてくる。
60分強という短めの映画は、終盤にサワコとミズキの対決へとなだれ込んでくが、不穏な暗さをまとい続けてきた映画は、意外な道筋を辿る。
俺はこの展開を見ていて、サミュエル・L・ジャクソンが、荒廃した高校の教師を演じた
『187 ワンエイトセブン』という映画を思い出した。
あの映画も学園ドラマとしては、当時は相当に異色な内容だったな。
サワコという女性教師は、その内面があまり描かれないが、その立ち居振る舞いは、ハードボイルド映画の主人公のようだ。
自らが傷を負っても、一線は越えない。
ホラーテイストにも感じられる映画が、踏み止まってるのは、そのサワコの人物造形による。
2012年10月17日
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