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「映画ワールドカップ」どうでしょう [映画雑感]

今年も東京国際映画祭がつつがなく終了したが、『最強のふたり』のグランプリ受賞も、あまり目立った取り上げられ方はされてない印象だね。

俺としては昔のように「ヤングシネマ」部門でグランプリ受賞した新人監督に、次回作の助成金を出すという、「東京国際から新たな才能が羽ばたく」というコンセプトを一貫させてた方が、映画祭のアイデンティティが確立できたんじゃないかと感じるんだけどね。
「いま世界でどんな映画が作られてるのか」という見本市としては、映画ファンとしては嬉しい催しであることにはちがいないんだが。

俺は昔から常々釈然としないと感じてるのが、映画メディアによる、毎年のベストテンの選考。
いや選ばれる映画が俺のと一致しないとかそういうことじゃなく、キネ旬がいい例だけど、
必ず「外国映画」と「日本映画」に分かれてるよね。
それはいいとして、選考メンバーの映画評論家が、総評の中で
「今年の外国映画は10本に絞りこむのが酷な位に秀作揃い、一方日本映画は逆に10本も選ぶのがしんどい状況」などと、その落差を語ったりしてる。
でも比較の仕方がフェアじゃないよね。

「外国映画」というのは字の通り、日本以外の国の映画すべてが対象であり、しかもその中でクォリティ的に振るいにかけられた映画が、日本に入ってきてるのだ。
サッカーで言えばザック・ジャパンが、メッシやロナウドやスナイデルが顔を揃えた、FIFAのドリームチームと対戦するようなもんでしょ。
日本映画が相対的に見て、いまどの位のレベルにあるもんなのか、それは世界の各国ごとの比較でないとわからない。
ということを踏まえて、こんな映画祭はどうかと考えてみた。


それが「映画ワールドカップ」だ。

俺の独断で参加国及び地域を割り振ってみる。


まずアメリカなんだが、ハリウッド映画以外の、いわゆるインディペンデント系を対象にする。なので
「北米」枠としてカナダと合同。
「南米」枠は1つ。ブラジルとアルゼンチン以外の国の映画がほとんど入ってきてないので。
メキシコなど「中南米」枠には+スペインを。ラテンつながりで。
「オセアニア」枠はオーストラリア、ニュージーランド。
「中東・アフリカ」枠。イランやイスラエル、エジプトなどは映画作りは盛ん。アフリカは南アが代表か。

ヨーロッパの割り振りは難しい。
単独でいけるのは
「イタリア」「フランス」
「ドイツ」と「オーストリア」で1枠。
「スイス」「オランダ」「ベルギー」と3国で1枠。
「北欧」枠は1つ。
「東欧・中央アジア」枠。東欧はポーランド、チェコはともかく旧ユーゴなど、民族衝突以降、映画作りが停滞してる国々が多い。ウズベキスタンやパキスタンなど中央アジアと合同で1枠に。
「イギリス」は「アイルランド」と合同で1枠。

「東南アジア」は1枠。タイ、フィリピン、マレーシアなど、映画の国際的評価が上がってる。
「中国」と「台湾」で1枠。
あとは単独枠で
「韓国」「ロシア」「インド」
そして「日本」となる。
どっか抜けてるかな?

それぞれの国あるいは枠で、5本づつ映画を選抜し、上映する。
別に芸術的評価だけじゃなくていい。その国で一番ヒットした映画を混ぜてもよし。
上映時にアンケート用紙を配り、観客投票を集計して、合計点数の高かった国(地域)が優勝!
というシステムでどう?

日本映画だけのことじゃなくて、世界のあらゆる地域の映画の今がわかるんではないか。
上映だけでなく、各国及び地域のスポークスマンに来てもらい、一般客が参加できるシンポジウムの機会を設ける。

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Taschenという、映画のビジュアルブックや美術書を出してるドイツの出版社があって、そこが
『CINEMA NOW』というゼロ年代以降の、世界の注目すべき映画監督とその作品を、膨大なスチルとともに紹介する分厚い映画本を出してる。
そういう形で、映画祭においても、「私の国で一番注目の映画監督はこの人」というプレゼンテーション企画があってもいい。

ヨーロッパやアジアでは、一国での製作でなく、何ヵ国かのコープロという映画も珍しくないんで、国別に振り分けた時、所属で揉めそうな局面も予想されるけどね。
まあそこは大人の話し合いで何とか。

2011年11月10日

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ミニシアター閉館に思う(下) [映画雑感]

ミニシアター閉館に思う(上)から続き

それこそ相当な本数を見に行った「シネヴィヴァン六本木」が早い時期に閉館したのには驚いたが、
同じ六本木にあり、俳優座の舞台がはける夜の時間帯に映画をかけてた「俳優座シネマテン」
青学の交差点の角のビルにあったが、数年で閉館となった「キノ青山」
中野ブロードウェイ探索とセットで行ってた「中野武蔵野ホール」
終わりの方はアスミックの配給作品の封切り館になってた「後楽園シネマ(館名代えてたかも)」
旧有楽シネマを買い取った「シネカノン」
エスカレーター使って渋谷マークシティの中を抜けていけば、道玄坂の上り坂を歩かないで着けた
「シネマアンジェリカ」
普段は芝居をやり、定期的に映画の特集上映を行なってた千石の「三百人劇場」
こういったミニシアターでも、いい映画には沢山出会った。

「営業努力が足りないから潰れた」
という見解は、そうなのかもしれない。だがそもそも映画館を、それも個人単位で経営するのは、決して美味しい商売じゃないだろう。
「なんか日銭が稼げる商売をやろう」と手を出すようなものとは違う。

かける映画も誰もに通じやすい娯楽映画ではなく、時には地図で探してもすぐにはわからないような国の映画を、どのくらいの人が興味を持ってるのか、手探りの状態でかけてみたり。
「映画を見てもらいたい」という情熱がなければ、続けるのもしんどいはず。
俺は何度も客が数人しかいない中で見たが、館主は胃が痛くなるだろうな。


「ミニシアターのつくり方」という本が出てる。
主に東京以外の全国の都市でミニシアターを経営する館主に、経営のいきさつや現状を取材してる。
どこも決して楽ではなさそうだが、継続させることで固定客も獲得できる。
東京の都心にあるミニシアターとの大きな違いは「地代」じゃないか。
都心のビルに映画館を作ろうとなれば、150席程度でも、それなりの坪数、スクリーンの高さを確保するには、フロア2階分は必要だろう。
自社ビルの中に作るんなら別だが、テナント料は重くのしかかってくる。

駅に近い「地代」の高い場所を避けて作ると、場所を認知されるまでに時間を要する。
たまたま見たい映画があったというだけで来た人は、次に来るまでに場所も忘れてしまうだろう。
映画よりも、「そのミニシアターでかかってるから」という理由で来る客を作る。
それにはとにかく営業を継続しなければならない。

最近シネコンでも、たまにミニシアターで評判を呼んだ映画をかけることがあるけど、客足は鈍いね。
たまにしかかからないから、そういう映画もやることを認知されてないんだよ。
映画は娯楽だから、その最たるハリウッド映画を見ときゃ十分という人は多いと思う。
俺も好きだし見に行くけど、ハリウッド映画で描かれる人物像のバイアスのかかり方は気になるよ。

顕著なのは、アクション映画なんかにおける悪役の設定。
ここ数年、ハリウッド映画や、フランス人のリュック・ベッソンが製作する准ハリウッド活劇では、ウクライナ人やセルビア人が悪役となるケースが目立つ。
少し前まではイスラム系だったし、その前はロシア人、さらに遡ってドイツ人。
アメリカ人が、なんとなく脅威を感じ易い対象を悪に仕立てる。

ソ連崩壊以降の東ヨーロッパの情勢は混沌としてて、ほんとにわかりにくい。
特にヨーロッパにおいて、ウクライナやセルビア人による犯罪が目立ってきているというのは、事実なのかもしれないが、その民族すべてにネガティブなイメージを与えかねない、娯楽映画の設定というのは、シリアスな内容じゃないだけに、逆にイメージが刷り込まれやすいという所がある。

ミニシアターで『サラエボの花』のような映画がかかれば、ソ連崩壊がきっかけで民族間の内戦に発展した、東ヨーロッパの国々の内情を知る手掛かりにもなるし、自分らと同じように生活してる普通の人々がいることも、当然のように認識できる。
イスラム系の国々の映画にしても同じ。


それと日本には映画のパンフレットを売るという文化がある。どうもこれは世界中でも日本だけのことらしい。
なぜ映画を見れば済むことなのに、パンフレットを買おうと思うのか。
それは「グッズ」とか「記念品」が好きな日本人の特性もあるが、特にミニシアター系のパンフレットには、映画の背景や、読み解くテキスト的な文章が書かれていて、つまり、映画のことを知りたい、映画の舞台の国のことを知りたいという、「知る」ことへの欲求が、同じように日本人の特性にあるからじゃないか。

俺は映画は、映画館でもDVDでも、ケータイの画面でなければ、どんな条件で見たって構わない。
ただミニシアターで上映されたような映画は、あまりDVDなど借りて見ようという率先した気分にならなかったりする。

今年、観客を集めた映画に『木洩れ日の家で』がある。

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90歳の老女優が主役で、全編モノクロの、ポーランド映画。これ以上ないような地味な要素ばかり揃っていながら、年配の客中心に満席になることもしばしばだったという。
これは映画の内容の良さが、さざ波のように広がっていったのだろう。
もし映画館で上映されず、DVDのみの販売やレンタルだったら、これほどの話題となっただろうか?

俺は映画館、特にミニシアターで映画を見るということの中には、
「大々的に宣伝してる娯楽映画ではなく、こんな地味な映画に、自分と同じように、見たいと思う人がいる」
ということへの、共感意識もあるんじゃないかと思ってる。
もちろん観客同士がそこで会話を交わすわけじゃないが、自分の部屋で、借りてきたDVDを一人で見ることでは味わえない感じ。
それはスノビズムというのとはちょっと違うんだよな。

知りたいという気持ちが映画館まで向かわせる、そういう思いの共有なんじゃないか。
いろんな国の映画に出会うということは
「ものの価値観は一つではない」ということに気づかされることでもある。
だからいろんな国の映画が上映されている環境は無くなるべきじゃないと思うのだ。

2011年9月23日

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ミニシアター閉館に思う(上) [映画雑感]

ここ2年くらいの間にミニシアターの閉館が相次いでる。
「ミニシアターブームなんてもの自体がバブルだったのだ」とか
「経営努力の足りなかった所が潰れただけ」
とかシニカルに捉えられてたりもする。

俺は70年代から映画館に通っていて、名画座が次々と消えていくのを目の当たりにしてたから、単純に映画館が1軒無くなるというのは淋しいもんだ。
それに70年代には日本で見られる外国映画は、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアがほとんどだった。

ドイツ映画も、1977年にヤクルトホールで開催された「西ドイツ新作映画祭1977」において、ヴェンダース、ヘルツォーク、ファスヴィンダー、シュレンドルフなど「ニュー・ジャーマン・シネマ」と呼ばれる世代の存在が紹介されるまでは、「女子大生マル秘レポート」なんていうポルノくらいしか入ってこないし、香港以外のアジア映画もほとんど無し。

たまに映画雑誌に海外の映画賞の記事が出たり、海外で評判になってる映画の記事が出たりしても、ほぼ入ってくることはないし、見る術もない。
ビデオテープもない時代だもの。フィルムセンターか日仏会館などのシネマテークで、日本語字幕のないものを見たり、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』のようなカルトムービーを、自主上映という形で、どこかのホールに見に行ったり。そのくらいなもんだった。
だからまだ見ぬ映画に対する渇望感が常にあったね。

なので岩波ホールが道を拓いた、ミニシアター興行という形式が、それまで目にすることのできなかった、様々な国の映画を観客に届ける受け皿になったことに、俺は感謝の気持ちしかない。

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ミニシアター自体が乱立しすぎたとか、マスコミが作り上げた、ミニシアターで映画を見ることのスノビズム、
そういったことがバブルの要因と受け取られてるが、本来バブルだったのは、日本人に高値で映画を売りつけることができた、海外の映画版権元なのだ。

それまで、日本の映画の興行は東宝、東映、松竹の大手3社が全国に直営の映画館を持ち、洋画の配給会社は、そこで映画をかけるようになっていた。
ミニシアターという興行形態が確立されたことで、「小さな規模の興行」がビジネスの選択肢に加わり、扱う映画の幅も広がった。
それにより、東宝東和や日本ヘラルドといった、大規模で体力のある洋画配給会社でなくても、映画の興行を打てるようになったわけだ。

映画を買い付けるのに、別に免許のようなものは要らない。
ミニシアターの経営者が、自ら映画を買い付けたり、異業種からも映画配給への参入も増え、海外で開催される映画のマーケットには、日本人バイヤーが大挙して押し寄せるようになった。

ところで映画の版権料というのは、「売り手」の言い値で決められてる。
つまり「この映画はバジェットがこの位かかってるから、版権料はその何%で、この値段です」なんてことを公にする義務もない。
売り手は最初に提示した金額で売れれば儲け物と思ってる。
だから版権の売り買いは「値切り交渉」が基本なんだが、日本のバイヤーが増えたことで何が起きたかというと、相手より先に契約を決めてしまおうと、争奪戦が始まったのだ。

その中でも、まあどこの会社とは言わないが、他社のバイヤーがランチの後に交渉をまとめようとしてた映画を、売り手の言い値で即決して横取りするというようなことが横行するようになった。
海外の売り手は値切ることなく買ってくれる業者に当然売ってしまう。その結果
「日本人には交渉なしで映画を売れるぞ」
という共通認識が生まれてしまった。

本来、単館で上映することを前提に、入場料金からの売上や宣伝費など計算しても、とても見合わない金額で版権が取引されてしまってたのだ。
それでもオールライツ(上映権、テレビ放映権、DVDなど二次使用の販売権など含んだ権利)で買っておけば、ビデオメーカーなどに権利を売り渡すことができるので、なんとか採算を合わせたりできたのだが、近年DVDの売れ行きも頭打ちで、メーカーも高い権料は払わなくなっている。

つまり最初から、ビジネスモデルに見合った金額で、日本のバイヤーたちが、海外とシビアな取引を行なっていれば、配給会社、映画館、ビデオメーカーなど、映画にかかわる全ての業者に、無理がかかるようなビジネスにはなってなかったはずなのだ。(つづく)

2011年9月22日

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シネコン世代には想像しにくいこと [映画雑感]

1回目の投稿で名画座のことを書いたけど、今この時代に映画を見始めた若い世代の人たちは、鑑賞環境としてはとても恵まれてる。
シネコンの普及によって、坐り心地と見通しのいい座席に、クリアな音響など、多分日本で映画という娯楽産業が立ち上がって以来、観客にとって最もストレスのない状態で映画が見れるようになったんじゃないか。

俺のような70年代に映画を見始めた人間は「最後の名画座世代」に属する。
当時は都内や関東近郊に多くの名画座があった。銀座・新宿・渋谷のような大繁華街にもあったんだ。

現在のTOHOシネマズ渋谷(旧渋東シネタワー)の建物もその前は「渋谷スカラ座」「渋谷東宝」2館の洋画封切館と、地下に「渋谷文化」という名画座があった。
この名画座、客席内にビルを支える太い支柱がドンと居座っており、その柱の背後にも座席があるもんだから、そこに座ると画面の3分の1位は見えなくなるという、よく文句も言わずにみんな見てたなと思うね。

あと文字通り名画をかけ続けて、都内の名画座の代表格の一館だったのが、
「自由が丘武蔵野推理劇場」。
当初ミステリー物をよくかけてたことから、こういう館名になったらしい。
ここは地面がコンクリの打ちっぱなしでね。打ちっぱなしっていうと、何かおしゃれっぽいけど、要は床が張ってないのよ。だから足元の冷えが半端なく、冬場の鑑賞はとても厳しい。
俺はここで見たあと風邪ひいたことある。

70年代最高の美人女優ジャクリーン・ビセットの、見てない映画がかかるからと足を運んだ立川の名画座は、前の列の方の座席のシートが裂けてて、中からワラが飛び出してた。
当時のシートはクッションにワラを詰めてたのが結構あったんだよ、ホントだよ。

蒲田の名画座に『ザ・カー』と他3本立てを朝から見に行った時は、最初の映画の上映がリール2缶目からだった。つまり20分後あたりの場面からいきなり始まるのだ。
ロビーに出て館主らしき人に
「あの、途中から始まってるんだけど」と言ったら
「ウチではいつもそうだよ」って…。
ウチではって、それ当然じゃないでしょ!映画は最初から映写するのが当然でしょ!
と思ったが、全く普通に言われたので
「はあ、そうですか」としか返せなかった。
あれはどういう理由からなのか、今も謎のままだ。

シネコン世代の若い人たちが当時の名画座の雰囲気を体感したければ、三軒茶屋に2館
「三軒茶屋シネマ」と「三軒茶屋中央」が残ってるので、足を運んでみたらいい。
「三軒茶屋中央」は外観もレトロで、よく映画やドラマのロケにも使われてる。

あと浅草の六区にも何軒か名画座が残ってる。
「浅草中映」は洋画アクション中心で、最近ドルビー音響を導入したという。
任侠・時代劇中心の「浅草名画座」は、今の時代というより、70年代当時から俺ら映画ファンにとっても「特別枠」扱いの環境だった。
なにせ場内で煙草吸ってるし、それを注意できるような雰囲気じゃないし、物見遊山で入ろうとするのはリスキー。
浅草にもシネコンができる日が訪れるのだろうか?

2011年9月15日

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いきなりの『猿の惑星・征服』 [映画雑感]

最近仕事が暇になってきたんで、ブログでもやってみるかと思いたった。
一発目なので、最初に映画館で見た映画のことを。

多分10才前後だったと思うが、爺さんに連れられて見たのが『猿の惑星・征服』。
銀座だから、日比谷映画か有楽座だったろう。
爺さんは猿惑がシリーズだってこと知らなかったんじゃないかな。もちろんガキの俺も知らない。
前後の脈略もわからず4作目を見てるわけだから、もう印象としては
「なんか猿がいっぱい暴れてるね」
しかない。映画ってすごいなとかそんな感じもなく、その後、映画館に通いつめるような人生を送ることになろうとは、当時の俺には想像すらできないことだった。

次に映画館に行ったのはオカルト大ブームの『エクソシスト』だ。

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同級生3人くらいで見たが、もちろん物語の底辺にある「信仰の限界」やら神父の苦悩やらが、感じとれるわけもなく、印象としては「こえぇーこえぇー」しかない。
しかし「こえぇー映画」は面白いとは思ったらしく、間髪入れずに『ヘルハウス』も見た。
新宿プラザの湾曲した大画面にビビッた。主人公のパメラ・フランクリンに思春期をこじらせた。
最初に好きになった女優だ。彼女が東京生まれだと知って親しみも湧いたんだな。


そんなことでポツリポツリ映画を見るようになったが、ロードショーはガキの小遣いでは厳しすぎる。
名画座という安い料金で映画が見れる映画館があることを知ったのはその頃だ。
丁度テレビの「日曜映画劇場」でアラン・ドロンのダーバンのCMが流れてて、
「うわっ、この人カッチョいいなぁ」
と衝撃を受け、渋谷文化会館の中にあった東急名画座でドロンの映画をやってると知り、初めて一人で見たのが『ショック療法』という…。

これも話がわけわからん。ドロンは確かにカッコいいのだが、素っ裸で浜辺を走ってるし、いきなり刺し殺されるし。後で知るんだが、この頃のドロンの映画は大体最後死んでるんだよね。
ドロンが表紙を飾る映画雑誌を初めて買って、フランスではこのドロンと人気を二分するジャン・ポール・ベルモンドという役者がいると知って、これも東急名画座で『相続人』とか『薔薇のスタビスキー』とか見たけど、やっぱり最後死んでるねえ。
振り返ってみると、映画見始めの頃に見た映画って、ほとんどハッピーエンドでスカッと終わるようなの1本もないな。なんだろうな、これがいかんかったのかな。

人生最初に心の底から「いい映画だったなぁ」と思ったのも、同じ東急名画座で見た
『スケアクロウ』だもの。
いやたしかにアル・パチーノは病院送りにはなるけど、死んじゃいないから、一応ハッピーエンドなのかしらんが、人生の敗残者のような二人の男が寄り添うように旅する映画を、思春期の時分に「いい映画」と思っちゃうのもどんなもんかな。

作家の小林信彦が著書で
「アメリカン・ニューシネマから映画に入った人は、これはもう気の毒としかいいようがない」
などと書いてて、俺はまんまその後、名画座でニューシネマにはまっていくわけですよ。中1くらいで。
今でもミュージカルとか見ても、心底楽しめる術を知らないのだ。

だからもし育ちさかりの子供が映画に興味を持ち始めたら、ニューシネマ系列のものには目を向けさせないよう、親として注意を払う必要があると提言しとく。

2011年9月12日

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