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ロマポル②『(秘)女郎市場』『白昼の女狩り』 [生きつづけるロマンポルノ]

渋谷ユーロスペースで開催されてる『生きつづけるロマンポルノ』の初日に、トークゲストとして登壇した曾根中生監督の2作。
監督初期の1972年作『(秘)女郎市場』と、1984年に完成しながら、日活がオクラ入りを決め、今回の上映企画で初めて「蔵出し」された『白昼の女狩り』
どちらもアナーキーな作風ながら、伝わってくるものは全く対照的なものだった。


『(秘)女郎市場』

片桐夕子女郎市場.jpg

東の吉原、西の島原と謳われた遊郭全盛の江戸時代が背景。
常に「採れたての女郎」が求められ、「女衒」と呼ばれた人買いが、日本全国津々浦々の村を回っていた。
村の方も心得たもので、生娘を集め、女衒たちに「セリ」を行わせてる。
吉原の女衒、吉藤次は娘の見立てには厳しく、余分な金は払わないという彼なりの「仕事への誇り」を持ってたが、他の女衒たちは、欲深い村長の言いなりで高い金を払って、娘を買い上げてくもんだから、吉藤次は仕事にならない。

村でクサってると、セリにかけられない娘がいる。器量は悪くない。
だが村長は「この娘は頭が弱いんで」と商品にならないと思ってる。お新という名の娘の汚い服を脱がせ、吉藤次はじっくり身体を観察。
体つきはよく、なによりすごい「名器」の持ち主と確信。買い上げてくことにした。

江戸への道すがら、遊郭で働くことを教えるが、お新はそこがどんな場所かも見当ついてなかった。
頭は弱いが愛嬌はある。吉原は無理でも、品川宿なら買い手もつくだろう。
吉藤次は訝しげにお新を眺める、品川の遊郭の女将と交渉成立。
最初は下働きをさせられてたお新も、床に入ることになり、奇麗な着物と化粧を施され、すっかり上機嫌に。
「殿方の言う通りに、したいようにさせとくんだよ」
と女将に念を押されるが、お新のあまりの天然ぶりは、常連客はおろか、遊郭全体を混乱に陥れてゆくのだった。

これはポルノというより、スラップスティック・コメディだろう。
相撲取りが客に来ると、お新は相撲の相手をして、あげく床が抜け、相撲取りが落下する。
お新を乗せて江戸まで来た黒毛和牛が、お新のピンチに暴れ出し、遊郭内を突進してく。
お新目当てに来た按摩の、座頭いち、座頭に、座頭さんの三人組が、お新を巡って仲間割れとなり、部屋の中で立ち回りとなる。
とにかくセットがどんどん壊れていくのは、ドリフの『8時だよ!全員集合』そのまんまだ。

トークショーで聞き手の山根貞男が、
「日活というメジャーな映画会社が、ポルノのためにちゃんとスタジオに遊郭のセットを組んで、それを片端からこわしてくのが凄い」
と感想述べると、曾根監督は
「あれは元々あったセットなんですよ」
曾根監督が当時テレビ時代劇『大江戸捜査網』の現場に絡んでたこともあり、その使用済みのセットを拝借したのだそうだ。
「どうせ壊すんだから、映画の中で壊しちゃえば一石二鳥」
神代辰巳監督が『赤線玉の井 ぬけられます』のために組んだセットも、後に曾根監督は自分の映画で拝借して、スクラップにしてる。
「神代君が作って、僕が壊すという役割みたいになってましたね」

黒毛和牛に、2階立てセットの階段まで昇らせてるのも凄いが、劇中で英語が飛び交ったり、電気ソケットが出てきたり、時代考証無視のアナーキーさが、遊郭に売られた女郎の哀切などという、予想しがちな展開を小気味よく裏切っていく。

反面、遊郭を逃げ出したお新と吉藤次が、川の土手で再会する場面などは情緒がある。
地理的に言えば、大井川あたりになるのか、何度かこの土手の場面が出てくるが、常に風が強く、生い茂った葦が揺れていて、カメラが美しい。
自分を買い上げた女衒が、一番優しくて好きという、お新の心情がせつないのだ。

お新を演じてるのは片桐夕子。曾根監督は「役のまんまな感じ」などと語ってたが
「他のどの女優でもなく、片桐夕子でなければ、お新は演じられなかった」とも。
豊かな曲線を描く肉体と、ちょっと「弱い」感じ。『道』のジェルソミーナが色っぽかったら、片桐夕子になってたんじゃないか。

曾根監督は「僕が演出するとセックスシーンぽくなくなるんですよ」と語ったが、まあたしかに。
ドタバタ劇の方に気をとられるし。お新が先輩の女郎に、テクの手ほどきを受ける「ちょいレズ」な場面だけ、それらしくはなったけど。



『白昼の女狩り』

白昼の女狩り.jpg

当初マンガ家の谷岡ヤスジが監督で進んでたが、スケジュールが合わなくなり降板して、曾根監督が引き継いだとのこと。
なぜオクラ入りとなったのかについて
「僕はよく憶えてないんだが、当時僕とプロデューサーが、日活の専務に呼ばれ、怒られたらしい」
「これはテロリズムを描いた映画だからだと」
日活のような企業がテロリストを主役にするとはけしからんと、上層部は思ったんじゃないかという、これは曾根監督の推測だ。

しかしテロリストのリーダーを、なぎら健壱が演じてる時点で、シリアスに見る人もいないだろ。本人はシリアスというか、気障っぽく演じてたけど。

冒頭、羽田空港近くの埋め立て地で、モデルの女の子とスーツ姿を男が、エロ本の撮影めいたことをしてる。
バックに離発着する飛行機。飛行機を狙ったテロでも描くのかと思うと、まったく関係なく、その撮影してた二人を、迷彩服の男たち3人が襲うのだ。
ちなみにスーツの男は南伸坊だった。なぎらラインで呼ばれたのか?
南伸坊はなぎらに撃ち殺され、女の子も、男たちに四つんばいにさせられ、股間にライフルを突っ込まれて、引き金引かれる。

なぎら健壱をリーダーとする迷彩服の軍団(といっても3人だが)は、多分だが、道徳に反するようなカップルを見つけると、勝手に制裁に及ぶことになってるらしい。
だがなぎらは向かいのアパートに住む、ヒロイン加来見由佳のことを勝手に見守ってもいる。

今日も町で見かけた親子ほど年の離れた女子高生と、中年男の「援交カップル」に照準を合わせて、ミッションを起す。迷彩服はともかく、M16みたいな自動小銃を標準装備してるし、自衛隊関係の人なのか?

見守ってた加来見由佳までもが、男と不純な関係に及んでると察知したなぎらは、二人が泊まる雪山の別荘に潜入。
男は制裁下され、加来見由佳は部下に風呂場で暴行されるが、ナイフで反撃。部下の自動小銃を奪って、なぎらと対峙。
「私たちの愛は終ったということですね」
と始まってもないことを言うなぎらを撃ち殺す。
そのまま車で新宿あたりを暴走すると、ヒロインは車を降りて自動小銃を乱射する。スローになっとるな。
俺はここで薬師丸ひろ子のセリフがでるのかとヒヤヒヤしたよ。

『白昼の女狩り』はアナーキーというより、なんかやけっぱちで作ってる感じがあった。
テロリストでもなんでもいいんだが、例えば黒沢清監督の『復讐 運命の訪問者』で描かれた、六平直政をリーダーとする「殺人一家」の「ただ殺す」という不気味さとかが、ほとんど感じられない。

変な描写だなと思ったのは、ヒロインが二度ほど抵抗しながら犯される場面があるが、さんざ叫んで抵抗してるのに、足の指を舐められると、途端に大人しくなって、されるがままになるという、これはどんな設定なのか?
曾根監督は「ゲーム感覚で殺人を行う登場人物への嫌悪感が、エロい気分を上回ってしまった」と感じてるようだが、テロ云々より、日活としては単に「商品にならない」という判断だったんじゃないか。
ツッコミ入れながら見る分には美味しい映画ではある。

2012年5月15日

初日は曾根中生監督のトークショー [生きつづけるロマンポルノ]

『生きつづけるロマンポルノ』

生きつづけるロマンポルノ.jpg

「曾根中生監督のトークショー抜粋」

1971年から1988年まで、約1100本も製作・公開された「日活ロマンポルノ」作品の中から、映画評論家の蓮實重彦、山田宏一、山根貞男が選んだ32本を上映する企画
『生きつづけるロマンポルノ』が、5月12日から6月1日まで、渋谷ユーロスペースで開催されてる。
日活創立100周年記念特別企画と銘打たれてる。うち22本はニュープリント版だ。

人にはなんの関係もない俺個人の話から入って恐縮だが、俺個人のブログなんで。
日活ロマンポルノをほとんど見てないということは、以前のこのブログ記事の中でちょっと触れた。キネ旬のベストテンにも選出されるような秀作が生まれた70年代の作品に関しては、当時俺は中学・高校あたりで、映画の題名は知ってても、見に行けなかった。高校生でも見てる奴はいたが、俺は老け顔じゃないんで、成人じゃないことがバレるんだよ。
その後、ビデオやDVDで見る機会はできても、スルーしてきた理由として
「セックスシーンが退屈でしょーがない」というのがある。
これはそういう絡みの場面は「レズシーン」以外には興奮しないという、俺の性癖的問題が横たわってるんで、如何ともしがたい。DVDで見ることにしても、多分男と女の絡みの場面は早送りしてしまうだろう。
「早送り」しては、映画を見たことにならない。

ただロマンポルノからは何人もの才能ある監督や脚本家が生まれてるし、映画館で見れば、早送りもできないから、我慢して見るしかないし、自分の映画歴の「ミッシング・リンク」を埋めるにはいい機会だと思った。
ロマンポルノを熱心に見てきた人には、今回の32本に対して、異議のある人もいるんだろうが、俺はなにせ全然見てないから「入門編」という意味合いで捉えてる。
「50のロマンポルノ手習い」の心持ちだ。


初日から気合入れて4本見た。ユーロスペースは昨年の「フレデリック・ワイズマン監督レトロスペクティブ」や、今年に入っての「トーキョーノーザンライツフェスティバル」(北欧映画の特集上映)に通ってきてるが、今回の企画も盛況だ。中央ブロックの座席後方2列を「女性専用」にしてることもあり、女性客もけっこう入ってる。

初日のメインは、『(秘)女郎市場』と『天使のはらわた 赤い教室』のそれぞれの上映後に登壇する曾根中生監督のトークショーだ。

曾根監督といえば、1988年の監督作『フライング 飛翔』が競艇関係者などから酷評され、監督を引退後は消息が知れなかった。経営破たんした映画学校のトラブルとか、噂ばかりが語られるのみで、監督に近い映画人にも生死すら分からなかったという。

それが昨年の「湯布院映画祭」で監督作が上映されるのを本人が聞きつけ、不意に会場に現われた。
「曾根監督は生きていた」とニュースにもなった。
引退後に大分の知人からヒラメの養殖事業の職を得て、その後は環境配慮型燃料製造装置の開発に携わり、特許を2件取得したという。映画と全く関係ない第2の人生を成功させてたわけだ。

その話に関してはすでにメディアで語られているので、聞き手の山根貞男は、「ロマンポルノ」製作の裏話を引き出すことにトークの主眼を置いて質問していた。
両作品の上映後20分づつというのは、短すぎると誰もが思っただろう。
訥々としたユーモアに溢れた監督の口ぶりに、楽しいトークとなった。
トークの内容は他の映画サイトやブログに掲載されてるので、ここでは細かく再現はしない。


面白いエピソードを幾つか紹介しとく。

曾根監督は1962年に日活に入社し、鈴木清順監督が、クビを言い渡される原因となった『殺しの烙印』の脚本を手掛けた。実はその『殺しの烙印』の続編の脚本も書いたのだという。

まだ鈴木清順監督がクビになる前で、曾根監督と大和屋竺、田中陽造の3人で、伊香保温泉に宿を取り、缶詰状態で書くはずが、3人で温泉入ったり、ストリップに通ったりして、滞在中に1ページも書けず、東京に戻って慌てて仕上げたが、清順監督にあっさり却下されたのだと。
曾根監督は『殺しの烙印』は大ヒットすると確信してたんで、封切りの映画館を覗いてショックを受けたそうだ。

「あいつに脚本を書かせるな」と現場に出された当時の曾根中生は「第4助監督」という立場。
カチンコを鳴らす役割で、現場では最もペーペーだった。
日活は撮影所でテレビ時代劇も撮っていて、曾根監督は『大江戸捜査網』の演出に借り出されてもいた。
そんな日活は1971年に社の存亡をかけて「ポルノ映画製作」に舵を切ることに。

「日活ロマンポルノ」の初期には「時代もの」が多かったそうで、テレビ時代劇の演出経験がある曾根監督に声がかかる。「第4助監督」からいきなり「監督」へ大抜擢だ。

曾根監督によると、当時自分の下についてる人間など現場にはいなかったので、監督に抜擢された自分が一番キャリアに乏しいという状態。周りのスタッフはベテランだし、しんどかったようだ。

だが映画作り自体は「10分に1度絡みを入れてあれば、あとは何を描いてもいい」という感じだったようで、曾根監督は役者に演技をつけるより、まずスタッフの人心を掌握する術を磨いたという。

それはなるだけ斬新な演出やアイデアを形にしてくことだと。
それによってスタッフも面白がるようになり、参加意識が高まってくのだそうだ。スタッフのアイデアもどんどん取り入れたそうだ。
若い監督や監督志望の人たちにも参考になるような話だと思った。

曾根監督は、セックスシーンの演技指導をすることはほとんどなかったと言う。
「誰でもしてることなんだから、指導しなくても役者はわかるでしょう」
「演技指導なんかしたら、普段自分がどんな風にやってるかバラすようなもの」
これと同じことは以前、北野武監督も言ってた。

山根貞男が「演技指導云々より、絡みのシーンでは役者同士の気の合う、合わないが出る、と聞いてる」と話すと、曾根監督も「それはあるでしょうね」と頷いてた。
「日活ロマンポルノ」には女優でも男優でも「いい顔」の役者がいるという話になり、曾根監督は
「人前で裸を晒すのは、女でも男でも恥ずかしい。裸になる覚悟が顔に出てるからでしょう」
と語ってた。

『(秘)女郎市場』と『天使のはらわた 赤い教室』の製作裏話的エピソードは、
個々の作品へのコメントの中で紹介していく。

2012年5月14日

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