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ジャネット・マクティア容赦ない [映画ラ行]

『レッド・バレッツ』

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ツタヤの会員カードの更新期限が近づいてるんで、久々に店に行って、何枚か借りてきた。これは新作の未公開アクションの棚に置かれてたが、ジャケのアートワークは『RED』の丸パクだ。他にもそういうのがあったな。
何年か前の『ソウ』も同じだったが、便乗したくなるアートワークが、たまに出てくるんだね。
これも内容もパチモンのように思えるが、俺は以前にこの映画のトレーラーを見て知ってた。
原題は『CAT RUN』という、けっこうバジェットのかかってるアクション映画だ。

借りた理由は一点のみ、『アルバート・ノッブス』を見て以来、ひいきにしてるジャネット・マクティアが出てるからだ。しかも凄腕の女殺し屋という役だ。それこそ『RED』のヘレン・ミレンに喧嘩売るような気合の入り方だが、あの映画ではヘレン・ミレンもさすがにご高齢で、それほど活躍したわけじゃなかったが、こちらのジャネット・マクティアの、血も涙もない暴れっぷりは半端ない。見せ場のほとんどを彼女が持ってってる。


モンテネグロのとある豪邸で開かれた秘密パーティに呼ばれた高級娼婦のカタリーナ。そこのオーナーは武器商人のヤコヴィッチで、メインの招待客は、米国国防長官のクレブだった。さっそくクレブは二人の娼婦を伴って部屋に行った。だがクレブには女の首を絞めながら挿入するという性癖があり、本気で絞めすぎて一人を殺してしまう。もう一人の娼婦はパニックを起こす。騒ぎが邸内に広まりかけた時、すべての部屋の様子を監視してたボディガードが動いた。口封じのため、邸内にいた娼婦たちを射殺して回る。
カタリーナはそのどさくさに紛れて、監視モニターの映像を記録したディスクを盗み出して逃げた。

カタリーナは海沿いの小さな食堂に電話を借りに入った。そこは若いアメリカ人の料理研究家アンドリューの店で、まるで流行ってなかった。親友のジュリアンも同席してたが、カタリーナは電話を借りた後、テーブルにあった車の鍵と、ジュリアンのケータイを失敬して行った。二人は気づいて後を追ったが、車は走り去ってしまった。
同じ頃、ディスクを盗んで逃げたのがカタリーナだと目星をつけた、ボディガードのカーヴァーは、その道のプロに連絡を取った。
やってきたのはヘレン・ビンガムという名の、中年の英国女だった。
彼女の仕事は表向き「失踪人捜査」だが、その実、元英国諜報部のスパイで殺し屋だった。

ヘレンは仕事を始めてほどなく、カタリーナの「商売」の仲介人である男が、ルクセンブルグにいることを突き止める。男はライダーといい、麻薬売買も行っており、その事務所には屈強なボディガードがいたが、ヘレンはたちどころに射殺し、ライダーを拷問にかける。
ライダーに口を割らせ、聞き出した情報から、カタリーナには赤ん坊がいて、その面倒を見てる彼女の友達がいることを知る。

一方、ジュリアンは経営がさっぱりなアンドリューに、探偵事務所を開いてひと儲けしようと持ちかける。二人はポルノ映画館の2階に格安で事務所の物件を借り、手始めに、車を盗んでったあの美人を探すことにした。
カタリーナの残した手がかりを元に、モンテネグロからイタリアの古都フェラーラへと向かう二人。
だが二人がカタリーナの友達の家に辿り着いた時、すでにヘレンによって拷問を受けた後の友達はこと切れていた。そして傍らには赤ん坊が。
アンドリューとジュリアンは赤ん坊を抱えて、モンテネグロのホテル・スプレンディドに居ることがわかったカタリーナと会うことに。だがその場にはヘレンも向かっていた。


この前半のジャネット・マクティアの殺しっぷりがね。
仲介人への拷問というのが、椅子に縛りつけて、まず手の指を1本1本切り落としていく。さらに下半身をむき出しにさせてイチモツも切り落とす。タマも切り落とす。
最後には「殺してください」と丁寧に言わせて、首の骨を折る。
カタリーナの女友達の場合は、歯にドリルを当てるという、『マラソン・マン』のオリヴィエの技を踏襲。だが同じ女性ということで、それ以上エグいことはせず、「これで静かに死ねる」と、大量のモルヒネを注射する。
カタリーナと長く音信も途絶えてる父親がスペインで養豚業を営んでるんだが、必要な情報を取ると、その場で頭を撃ち抜く。
ホテル・スプレンディドで、ついにカタリーナたちと顔を合わせることになるんだが、丁度ホテルでマジック大会が開かれるんで、大勢のマジシャンが居合わせてる。
ヘレンはそんなことおかまいなしに撃つんで、マジシャン二人巻き添え死。
逃げる3人を追ってさらに撃つんで、顔を出したホテルの清掃係の女の子、頭に銃弾受けて巻き添え死。
いや殺すねしかし。

結局3人には逃げられてしまい、カーヴァーはヘレンを見限る決断を下す。死人が多く出て騒ぎが広まり、ヘレンも色々知りすぎた。
カーヴァーは、ヘレンの車に爆弾をしかけるが、ヘレンはそれを察知していた。
ここからジャネット・マクティアの後半戦の殺しが始まるよ。

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まず爆弾を仕掛けたカーヴァーの手下を殺す。カーヴァーはヘレンに代わる殺し屋を雇っていた。スコットランド訛りがきついショーンという名の殺し屋は、3人と赤ん坊が逃げ込んだホテルを急襲。カタリーナたち3人に銃を向け、殺す前にカタリーナにフェラを強要する。
だが向かいの建物の窓から、ショーンのうしろ頭に照準を合わせてるヘレン。亜音速弾という特殊な弾丸を撃ち込まれたショーンの頭は、スイカのように破裂する。

それまで3人の命を執拗に狙ってたヘレンが、なぜ自分たちを助けたのか?だが真意はともかく、今はヘレンの言う通りに動くしかない。
ヘレンは3人を一番安全そうな場所に匿うことにした。イギリスの田舎町にある彼女の母親の家だ。
ヘレンは家の戸を叩く前に、カタリーナたちに念を押した。

「私がタバコを吸うことと、殺し屋であることは内緒だからね」


ジャネット・マクティアが悪役から一転、ヒロインを助けに回る役どころになって、それでも撃ちまくり、殺しまくりは変わらないんで、もうとにかく彼女のための映画といってもいいね。

男装で演じた『アルバート・ノッブス』で、アカデミー助演女優賞の候補に上がった彼女は、なにか自分の役者としての方向性を見つけたのかもしれない。それまでは180センチを超えるという、女性としては目立って大柄であることが、コンプレックスになってた部分があったんじゃないか。
今回の役でも、何か吹っ切ったような感じを受ける。

ヒロインのカタリーナを演じるのは、スペインのフェロモン女優パス・ベガなんだが、やはり食われちゃってるね。
映画全体としても、アンドリューとジュリアンという若い二人の場面はコミカルな演出が施されてるんだが、マクティアが殺しまくるもんで、どういうテイストにしたいのか、ちぐはぐ感が拭えない。
この若い二人の役者がキャラが弱すぎるということもある。

監督のジョン・ストックウェル自身も、俳優時代は、今いちキャラの弱い青春スターだったしな。
監督になってからは『ブルー・クラッシュ』『イン・トゥ・ザ・ブルー』『ブラッド・パラダイス』といった、「オーシャンかつリゾート」なロケーションを好んで撮ってる。

この映画もアドリア海を中心に、ヨーロッパ各地をそれほど意味もなく転々とロケして回ってるんだが、やっぱり観光気分もあるのかな。
俺のようなマクティア・ウォッチャーでもない限り、あまり印象には残らん映画だろう。

2012年3月18日

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タン・ウェイとシアトルの秋 [映画ラ行]

『レイトオータム』

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ヒューマントラストシネマ渋谷の一番小さなスクリーンで上映してた。女性客ばかりで補助席まで出てたぞ。なんで大きなスクリーンに移さないかな。彼女たちのお目当てだろうヒョンビンのことは、韓流に明るくない俺は全く知らない。

タン・ウェイ目当てに来た俺はアウェイ状態だったが、そのタン・ウェイにしたって、俺は『ラスト、コーション』も実は見てない。「激しい性愛シーンが」みたいなことが宣伝されてたんで、「ああ、これはかったるいかもな」とスルーしてたのだ。
いや、しかしいいなタン・ウェイ。

この映画は役柄上、メイクも素に近い感じで、髪はひっつめ、ほとんど笑うこともなく、伏し目がちでいることが多い。俺は彼女を見てて、誰かに似てるなあ、とずっと考えてた。アジアの女優を見ると、大抵日本の女優の誰それに似てたりするんだが、女優ではなかった。

ZARDの坂井泉水に似てるのだ雰囲気が。ZARDのアルバム・ジャケットみたいなポーズで写ってるスチルがパンフに載ってる。イメージが繋がってすっきりした。

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中国の女優と韓国の男優によるドラマだが、舞台はアメリカだ。
冒頭、閑静な住宅街を、放心状態でふらついてる女。タン・ウェイ演じるアンナは、この時、夫の暴力から身を守ろうと反撃し、夫を死なせてしまってた。

それから7年間、アンナはアメリカの女子刑務所に収監されていた。シアトルに住む母親の訃報が届き、模範囚の彼女は、葬儀のため、72時間の外出許可を受けることに。携帯を持たされ、常に居場所の確認が義務づけられた。

シアトル行きのバスに乗り込むと、発車寸前にアジア人の若い男が駆け込んできた。同じアジア系のアンナの顔を見つけ、バス代の持ち合わせがないので貸してほしいと、英語で頼んできた。アンナは逡巡したが、結局お金を貸すことに。
「お金を返すまで、これを預かってて」
と腕時計を渡されるが、アンナには迷惑なだけだった。
若い男はフンという名の韓国人だった。彼は中年女性などを顧客に持つ「エスコート・サービス」をしてたが、暗黒街のボスの妻と関係を持ったことから、追われる身となっていたのだ。
中国人のアンナと韓国人のフンは、互いの国の言葉はわからず、バスの車内ではフンが英語で一方的に話しかけるだけ。相手にしないまま、シアトルで二人は別れる。

アンナは結婚以来帰ってなかったシアトルの家に迎えられた。集まった親族たちは、彼女をねぎらってはいるが、身内から罪人が出たという思いは、互いの間に埋めようもない距離を生んでいる。保釈金を払ってくれた兄は、アンナに家の売却同意書へのサインを求める。

アンナは外の空気を吸うために裏庭に出ると、隣の家の住人と顔が合う。
妻子と遊んでた男が、アンナの方にやってくる。
「変わらないな」
「私は変わったわ。知ってるでしょ?」
ワンジンはアンナの兄の友人で、アンナの初恋の相手だった。アンナが結婚した後、夫に暴力を振るわれるようになり、ワンジンはアンナに駆け落ちしようと言っていた。だがワンジンは踏ん切りがつかず、そのことをアンナの夫に知られてしまった。
ワンジンは刑務所に面会に行くこともなく、別の女性と家庭を持ってたのだ。

アンナはその日は親族たちから離れ、シアトルの町のホテルに部屋をとった。美容室へ行き、化粧をして、おしゃれな服を買って、町を歩いた。
だが携帯が鳴り、自分が囚人であるという現実に引き戻された。服は捨て、髪も元に戻した。
そして町中で偶然見かけたフンに声をかけた。
アンナは英語で言った
「私を抱きたい?」


72時間の猶予しかない女と、いつ捕まるかもわからない身の男。互いの秘密を隠しながら、シアトルの町をデートして歩く二人。閉園した遊園地に二人が潜り込む場面がある。
遊具を解体中のスタッフの男と、彼の恋人らしい女が言い合うのを、物陰から眺めてるアンナとフン。
聞こえてはいない男と女の会話の内容を、二人で推測してみる。そんな遊びをする内、笑顔ひとつ見せなかったアンナの表情が和らぐ。

この場面は映画のフィルムをビュー・ファインダーで見てるような演出がされており、洒落てる。
そのデートのさ中、アンナは、自分の境遇や今までのいきさつを、中国語でフンに話す。フンは彼女の表情を覗いながら、相槌を打ってる。それはひとり言のようでもあったが、アンナは心中を吐露することで、スッと気持ちが軽くなるようでもあった。

葬儀の日、不意にフンが現れ、ワンジンは不審な目を向ける。その場でアンナはワンジンに対する憤りをぶつけ、アンナの72時間の外出は終わりに近づいていた。
バス乗り場でアンナを見送るフン。だがバスが発車して、アンナが目を上げると、そこにはフンが。
「もう一度、自己紹介し直そう」
シアトルから戻るバスの中で、二人は饒舌だった。

行きにも立ち寄った休憩所で、二人はバスを降りた。さびれた湖のほとりに佇み、フンはアンナを引き寄せて、口づけした。
アンナを抱きしめ
「君が出所したら、この場所で会おう」
その表情は何かを覚悟してるようでもあった。


1966年の『晩秋』という韓国映画がオリジナルだそうで、その映画は現在フィルムが失われてるんだそうだ。
1972年の斉藤耕一監督作『約束』は、そのストーリーを日本に置き換えたもの。アンナにあたる役を岸恵子が演じ、フンにあたる役を萩原健一が演じてた。これは昔NHKで放映時に見た記憶がある。
ショーケンはこの映画のフンとちがい、すでに窃盗か何かの罪で警察に追われてるという設定だったと思う。
バスではなく電車の中だったな。ショーケンの演技が今でいうと浅野忠信のような「芝居がかってないセリフ回し」の元祖のような感じで、当時はそこが面白かった。

この映画のヒョンビンは、韓国の男優の例にもれず長身で、ショーケンのような強い個性はない。
表情に柔らか味があるから、女性が心を許しやすい感じはするね。ということは役には合ってるってことだ。
俺はタン・ウェイのちょっとした表情の変化なんかに見とれてたから、退屈することはなかったけど、ちょっと淡々と進みすぎるきらいはあった。
あとエピローグの場面も、リフレイン以上の意味合いが伝わってこない。
悪くないんだけど、なにか一味足りないように思う。

2012年2月27日

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おてもやんロボより吉高由里子の投げキッス [映画ラ行]

『ロボジー』

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二足歩行ロボットが完成できず、苦し紛れに、中におじいちゃんに入ってもらう、そのワンアイデアで引っ張ってくだけの展開なんで、中盤あたりは、エピソードを薄く引き延ばしてる感が出ちゃってる気もするが、命を預かってる仕事でそのおちゃらけはどうよ?と思わなくもなかった前作『ハッピーフライト』よりは、俺は違和感覚えずに楽しめた。

矢口史靖監督がパンフのインタビューで語ってるけど、たしかにアメリカ映画なんかでは、「人間の形をした」ロボットという設定がほとんどで、それはサイボーグとか、レプリカントとか、ヒューマノイドとか、いろんな呼ばれ方してきたけど、日本では「ガンダム」に代表されるように、「人間がロボットの中に入る」設定が目立つ。
この国民性の違いを考えてみるのも面白いかも。

アメリカでは例えばディズニーにしても、動物にしゃべらせたり、つまりは性格も擬人化させる表現が主流で、ロボットにもそれが適応されてる。見た目やしぐさに人間らしさが求められるんだね。ピクサーの『ウォーリー』も、キャタピラーのついた、いかにも道具のような形状のロボットにも、人間のような表情を見てとらせようという演出がなされてる。
対して日本人というのは、形状がどんなであれ、「モノ」に対しての愛着を、人間的な感情を投影して表すような所がある。白物家電などに「人の名前」がつけられたりする。

日本人は神を持たない「無神論者」のように海外では思われてるが、初詣でには行くし、折に触れ、神様に祈願したり、信心深いのだ、それなりに。
八百万の神と言って「この世のすべてに神様が宿っている」という感覚に違和感がない。
なので「機械」というのも、無機物ではなく、長く使っていると、あたかも気の置けない間柄にでもなったかのように、ちょっと不具合が出たりすると
「今日は機嫌が悪いね」
なんて話しかけてしまったりする。多分、外国人からすれば、全く不合理な光景なんだろうが、日本人はそれをハタで見てても、不自然に思わない。


この映画で社長にロボットを作れと言われてるのが、「白物家電」メーカーの閑職にある若い社員たちというのが、上手い設定だと思った。
洗濯機にしろ、冷蔵庫にしろ、オーブンレンジなどの調理機器にしろ、日本製の物は、至れり尽くせりな機能満載で、それこそロボットのような働きをする。駆動音の静かさ一つとっても、「白物家電」において、日本は世界のトップにあると思う。

アメリカでのロボット開発は、まずその用途が軍事であることが多い。『アイアン・マン』のスターク社のような、民間の軍事用ロボット開発企業が実際に数多く存在する。深夜テレビで紹介され話題を集めた四足歩行ロボの「BIG DOG」も軍事用のプロトタイプだった。
軍事用というのは歓迎したくない話だが、それに限らず、ロボットは医療や工業用を始め、「人の役に立つ」ために作られる物だ。

だがこの映画で「木村電気」の社員たちが「開発」したロボットは、「おてもやん」が踊れますって程度で、予定外の行動として、人助けしてしまうけど、何ができるってわけでもないのが前提のものだ。
その実はハリボテのロボットの中に、一人暮らしの孤独な老人が入ってるというのがいい。
ミッキー・カーチス改め五十嵐信次郎が演じる73才の老人は、リタイヤ後は何もすることがなく、家族とも疎遠になり、たまに「シルバー人材センター」に顔を出すも、居心地はよくない。
映画の最初の方で、その日常が描かれるが、何もせずボーッと1日をやり過ごす様子が淋しい。

こういう老人が増えていることはニュースでも流されてるし、ではなぜそういうことになってるのか?
それは社会が、人間を「役に立つ、立たない」という価値で計る構造になってるからだ。
定年までの間は会社で働いていて、そのことは「社会への貢献」とみなされてる。
本来なら長い年月働いて定年を迎えれば、
「長い事社会に貢献していただき有難うございました。あとはゆっくりご自分の人生を満喫してください」と、その労働を周りがねぎらって、残りの人生を気にかけてあげる、そうなるべき所なんだろうが、退職金払って、年金与えて、あとは勝手に余生を送れば?という扱いとなる。

「働ける間は役に立つ存在」というだけの見られ方。
先進国よりも、発展途上国と呼ばれる国々の方が、高齢者に対する敬いの気持ちが強いと感じるのは、そういう国々に暮す人々の価値観が、「役に立つ、立たない」で計られてないということなんだろう。老人も家族や近所の人たちに見守られて、楽しく暮らしてるように見える。

この映画の73才の老人・鈴木は、ロボットに扮してる内に、ちょっと調子に乗ってく部分はあるが、人生に久々の張り合いを感じてもいる。
役に立たないロボットでもいいのだ。
少なくともこの老人の人生を、活き活きとさせる役には立ってるんだから。

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映画の内容よりも、感じたことをつらつらと書いてしまったが、矢口監督の映画だから、細かい笑いもちりばめ、新年早々に見るには丁度いい。
それから矢口監督は、女優の溌剌とした魅力を引き出すことにかけては定評があるんで、この映画の吉高由里子も文句なく可愛い。
スクーターからの投げキッスは必殺級だね。


あとこれは『ロボジー』とは関係ないけど、俺はこの映画をTOHOシネマズで見たんだが、東宝映画の予告編をやるよね。この時流れてたのは『逆転裁判』『荒川アンダー・ザ・ブリッジ』『ライアー・ゲーム』の続編に『僕等がいた』と、およそ十代向けの作品ばかり。
東宝といえば日本の映画会社で一番に儲かってる、というか一人勝ちしてる会社なんだから、その儲けの中から、まあ4本に1本位でもいいから、大人の観客向けの、シリアスな映画も作っちゃもらえないかな。40代50代以上で、いい役者もたくさんいるんだし、そういう人たちの活躍の場がもっと与えられてもいいと思う。

『午前十時の映画祭』という好企画が、年輩の観客を増やす一助になったのと同様に、見たいと思わせる映画を作れば、大人ももっと映画館に通うようになるよ。

2012年1月20日

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ホリフィールドの戦いを思い出すロボット映画 [映画ラ行]

『リアル・スティール』

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『REAL STEEL』という題名を、『REAL DEAL』のもじりだとすぐに気づくのはボクシングファンだろう。元世界ヘビー級チャンピオンの、イベンダー・ホリフィールドのニックネームがREAL DEAL(真の男)だったのだ。
ホリフィールドは元々はヘビー級より一回り体格の軽いクルーザー級を制したチャンピオンだった。だがそれに飽き足らず、体重無制限のへビー級に、筋力トレーニングでビルドアップさせた体で打って出た。
そして一度はヘビー級のベルトをも巻くことになるが、実は彼がチャンプとなった1990年代前半というのは、ヘビー級最強のマイク・タイソンが、傷害罪で監獄に入ってた時期だった。そしてもう一人の強敵リディック・ボウとは3度に渡る死闘の末、1勝2敗と負け越した。
ホリフィールドは「真の男」の名にふさわしいのか?その評価にも陰りが見えていた。

タイソンは1995年にリングに復帰、間もなくWBA・WBC二団体のヘビー級チャンピオンを奪取した。4年のブランクなどないかのように、タイソンはやはり最強だと印象づけた。
そして1996年11月、ホリフィールドは、タイソンの持つWBAのベルトに挑戦することとなる。ほとんど誰もがタイソン有利を予想した。

ゴングが鳴り、タイソンはあの殺人ハンマーのような右を振ってくる。その時ホリフィールドは、そのモーションに合わせるように、自分も体を踏み込んでいった。そんなことをするボクサーはいない。誰もがタイソンの右が来ると思うと、体が引けてしまってたから。
ホリフィールドはそれでは勝てないと知っていた。あの右に合わせたクロスを狙うしか勝機はない。だから何度も何度も怯むことなく、タイソンに向かって踏み込んでいった。

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この試合をWOWOWの中継で見てたが「おっそろしいまでの勇気だな」と武者震いがした。
そして6Rに、ホリフィールドの拳がタイソンを捉え、タイソンは吹っ飛ぶように尻餅をついた。試合はその後11Rで決着がついた。ホリフィールドの攻勢に、タイソンがたまらず横を向いてしまったのだ。もうタイソンに戦意は残ってなかった。
この試合で、ホリフィールドは、誰もが認めるREAL DEAL(真の男)となった。

この格闘ロボット映画で、最強のチャンプのゼウスに真っ向挑みかかるATOMの姿は、まさにあの試合のホリフィールドのようだった。映画のリング中継のアナウンスで「ゼウスに怯まなかった初めての相手です!」と言ってる。


映画の中のボクシングシーンのコーディネイトを請け負ってるのが、こちらも5階級制覇の伝説のチャンプ、シュガー・レイ・レナードというのも嬉しい。
クライマックスの試合でゼウスがATOMをロープにつめて、速射砲のようなパンチを浴びせる場面があるが、あのパンチはレナード自身が得意としてたものだ。あれをラウンドの終盤、2分半あたりから繰り出すと、会場が一気に盛り上がる。レナードは観客を魅了する術も心得たチャンプだった。

ゼウスに打たせるだけ打たせて、我慢してディフェンスして、パワー切れを待つという戦法は、モハメッド・アリが、1974年の「キンシャサの奇跡」と語り伝えられる、ジョージ・フォアマンとの一戦でとった戦法の再現だ。


ダメな父親が子供に支えられ再生を目指すというのは、『チャンプ』や『オーバー・ザ・トップ』などと同じで、テーマも筋立てもシンプルなもの。だがベタではあるが、ベタベタではない。つまりベタついた情緒に訴えかけすぎな、この手の映画の臭みをうまく抑えてある。

それに大きく貢献してるのが、11才の少年ダコタ・コヨだろう。
前に挙げた2作や、擬似的な父子ものといえる『パーフェクト・ワールド』なんかにも通じるんだが、子役が健気で「いい子」すぎるのだ。涙を誘おうという意図が透けて見えてしまう。
このダコタ・コヨ演じるマックスは、鼻っ柱も強いし、頑固だし、現代(いま)の子のドライさもあって、それが映画にテンポを与えてると思う。
彼とロボットのATOMがダンスの練習をしてるとことか、あの微笑ましさは只事じゃないな。はっきり言って、ヒュー・ジャックマンが霞んでる。

ロボットと少年の相性のよさというのもあるんだろう。俺がガキの頃、夢中になってた『鉄人28号』とか、『マグマ大使』とか、『ジャイアント・ロボ』とか、みんなロボットのそばにいるのは少年だった。
このATOMはその中で、造形としては、ちょうど今公開されてる『ミッション・インポッシブル ゴースト・プロトコル』で、初の実写に挑んだブラッド・バード監督が手がけた傑作アニメ『アイアン・ジャイアント』のロボットを思わせる。古めかしいけど愛嬌感じるあたりが。


一箇所、ちょっと肩透かしに思えたのは、試合前の控え室でATOMが鏡に映った自分をじっと眺めてる場面。あれがなんか伏線になるのかと思ったが、なにもなかったこと。まあATOMは言葉はわかるが、ロボットなんで感情はないだろうし。眺めてて何を思ったということもないんだろうが。結構意味深に長いカットだったからね。

だがそれも瑣末なことだ。一度は自分の夢のために、息子を捨てたような父親失格なチャーリーが、ATOMとの一心同体の戦いを通して、息子マックスにとってのREAL DEAL(真の男)になるまでを、胸熱くしながら見守ってればいいんだから。

2011年12月20日

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ライアン・ゴズリング腹筋割れ男くん [映画ラ行]

『ラブ・アゲイン』

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ここんとこラブコメ批判を繰り広げてる俺だが、このラブコメはいい。登場人物が実にうまく物語に組み込まれていて、無駄キャラというのがいない。

有名な「ケビン・ベーコン指数」というのがある。ケビン・ベーコンと共演したことがある俳優を「1次」、その俳優と共演した俳優を「2次」という風につなげていくと、「3次」か「4次」の時点で、あらゆる俳優がケビン・ベーコンにつながるという法則だ。つまりその位、彼が主役・脇役問わず、いろんな映画に出まくってるということなんだが、この映画にそのケビン・ベーコンが出てるのが、物語上の非常に巧妙なヒントになってる。

キャスティングは中々に豪華。物語の中心となる夫婦にスティーヴ・カレルとジュリアン・ムーア。その外枠を注目の若手ふたりが囲む。
全米大ヒットの学園コメディ『EASY-A』は『小悪魔はなぜモテる?』という題名でDVDスルーになってしまったが、来年には、オスカー候補の呼び声高いドラマ『ヘルプ 心がつなぐストーリー』や、新生シリーズの口火を切る『アメージング・スパイダーマン』など、話題作目白押しの23才エマ・ストーンと、イメージ一新で挑んだアクション演技も評判の、来年3月公開作『ドライヴ』や、ジョージ・クルーニー監督・主演作『アイズ・オブ・マーチ』など、演技派の筆頭に上げられるライアン・ゴズリング。
さらにその外枠をケビン・ベーコンとマリサ・トメイのベテランが囲んでる。


子供をベビーシッターに頼んで、夫婦でディナー。デザートを頼もうという段になり、夫のキャルは妻のエミリーから、だしぬけに離婚を切り出された。妻が働く会社の同僚リンハーゲンと浮気してるという。
妻が運転する帰りの車の中でも、呆然としたままのキャル。告白を続ける妻を横目に、助手席のドアを開け、路上に転げ落ちる。初恋の相手との一途な愛を貫く結婚生活、子供たちにも慕われ、手入れの行き届いた庭のあるマイホームに、仕事も順風満帆、そんな人生と一緒に転げ落ちた気分だった。

離婚に応じ、家を出たキャルは、仕事帰りに、以前は立ち寄ることもなかった、独身男女の出会いの場となるバーのカウンター席でくだを巻く。
毎晩のように女の子をお持ち帰りしてるプレイボーイのジェイコブが、キャルを手招きしてる。
「俺はあんたと見ず知らずの他人だが、あんたの名前も知ってるし、奥さんの浮気相手の名前も知ってる。なぜだと思う?」
「あんたはこの2日間、カウンターでひとりで叫び散らしてるからだ」
そりゃ悪かったねと席を立とうとするキャルを制して
「奥さんが浮気したのは、あんたに男を感じなくなったからだ」
グサリと核心を突かれるキャル。そして自分に任せれば、奥さんが離婚を後悔するような男に仕立て直してやるという。キャルは「勝手にしろ」という気分でその提案を呑んで、後日、指定されたショッピングモールに行く。

どこに行くにもスニーカー履きのキャルに、ジェイコブは
「あんた学生か?さもなきゃスティーヴ・ジョブスか?」
「どっちでもないんなら、スニーカーを履く資格はない」
と、靴を捨てられる。マジックテープの財布もジェイコブの表情を歪ませる。
そしてスローガンのような一言を唱えさせる
「GAPで満足するな!」
キャルはクレカを取り上げられ、上から下までコーディネイトされる。25年間サイズの合ってないスーツを着てたことにも気づかされた。

こうして見た目だけは生まれ変わったようなキャルは、ジェイコブから「お持ち帰り」の指南を受け、バーで実践に臨む。最初にゲットしたのは、バーに来てるのに断酒中だという女性教師だった。キャルが昔、妻に言った口説き文句が効いたのだ。

キャルの変化は13才の息子ロビーも感じていた。そのロビーはロビーで、恋に悩んでいた。彼は家に来るベビーシッターのジェシカにぞっこんだった。彼女は17才で、弟のようにしか見られてない。だがオナニーしてるとこは見られた。それでもめげずに
「君を思ってしてるんだ」
と言ってジェシカをドン引きさせたりしてる。
ロビーは父親のキャルに、ジェシカのことを話した。
「彼女は僕のソウルメイトなんだ」と。
「そう思うなら諦めるな」と言われ、
「だったらパパもママのことを諦めるなよ」
と言い返され、キャルには言葉もなかった。

だがややこしい事にそのジェシカは、実はロビーの父親キャルを、秘かに想っていたのだ。
彼女は年上ばかりと付き合ってる同級生に
「親ほども年の離れた相手から、子供扱いされないためにはどうすればいい?」
同級生の答えは
「素っ裸の写真を送りつけてやるのよ」
そのジェシカの決意の行動が、思わぬ騒動に発展してゆく。

キャルを見栄えのいい男に仕立て直してやったジェイコブには、ひとり忘れられない女の子がいた。その子はバーで口説いた子たちの中で唯一、なびかなかったのだ。口説きテクを見透かされてる感じだった。彼女はハンナと名乗ってた。そのハンナとの再びの出会いは劇的なものになった。ジェイコブは初めて自分が真剣に恋に落ちる予感がした。

一方、離婚後、顔を合わす機会もなかったキャルとエミリーは、息子ロビーの中学校の保護者面談で、久々に顔を合わせた。身だしなみに気をつかったキャルを、エミリーは素直に賞賛した。
順番を待つ間、キャルは
「自分がふがいなかった、離婚の危機と戦うべきだった」
と訥々と語った。エミリーの目にも涙が溢れていた。


コメディ演技はお手の物のスティーヴ・カレルが、今回は派手なリアクションを抑えて、自分磨きを止めてしまった中年男の冴えない感じを、自然に滲ませる好演を見せる。
繊細な役を得意としてきたライアン・ゴズリングのチャラ男ぶりも楽しい。彼が思いっきり割れた腹筋なんかを披露してるせいなのか、今回はケビン・ベーコンの「脱ぎグセ」は封印され、彼としては大人しい役だね。
エマ・ストーンよりむしろ目立ってたのが、息子ロビーが恋するジェシカを演じる新人女優のアナリー・ティプトン。
目と口が大きくて、テンパった時の表情が可笑しい。この先、個性を伸ばしていけそうな女優だと思った。
マリサ・トメイに関しては、ひと言「最高」しかない。
この映画一番のスペクタクルは彼女が生み出しているからだ。

とにかく後半部分はサプライズの連続なんで、伏線を確認したくてもう一度見たくなってしまう。
平凡な邦題より『クレイジー、ステューピッド、ラブ』の原題のままでよかったんじゃないか?

2011年12月9日

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違和感あるラブコメ③『ラブ・アクチュアリー』 [映画ラ行]

違和感あるラブコメ

『ラブ・アクチュアリー』

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映画の最初と終わりに、イギリスのヒースロー空港の到着ロビーで、人々が抱擁しあう様子が収められ、日本公開時の宣伝コピーには
「それはあなたの物語」とあるが、そうじゃないよな、これはイギリスの白人のための物語だよ。
主要な登場人物で、キーラ・ナイトレイの結婚相手になるキウェテル・イジョフォーが黒人、コリン・ファースが見初めるルシア・モニスがポルトガル人の他はみんな白人。

俺もヒースロー空港の入管審査で2時間以上並んだことあるけど、あそこは種々雑多な民族で溢れてた。
インドやパキスタンの人たちが目立ったな。
なのでこの映画の、白人たちばかりの愛のエピソードを並べられて、空港に集う世界中の人々誰しもに当てはまる話と括られても、それは大きく出過ぎでしょ。

それにエピソードがヘテロセクシャル限定でね、ゲイもレズビアンも無視されてる。
「クリスマス映画だから、そのあたりは無難な感じで」
と製作者は言い訳するかもしれんが、それにしちゃ、ポルノ映画のスタンドイン(カメラ位置を決めるための代役)を担当する男女のエピソードとか、女優はオッパイ見せちゃってるし、無難に家族では見れないぞ。
ポルノ映画にスタンドイン使うって話も聞いたことないけどな。

キーラ・ナイトレイのエピソードは、結婚式でビデオを回してる新郎の親友がいて、キーラは以前から自分に対して素っ気ない態度の親友に、自分は嫌われてるのかと真意を尋ねると、その親友の回したビデオにはキーラの顔ばかりが写ってたというもので、新郎の親友がキーラのことを想い続けてたことがわかる。
この場面はキーラ・ナイトレイの表情が生かされてて、悪くはないんだが、むしろ新郎の顔ばかり写ってたという方がサプライズ感が出たと思うが。ゲイネタNGってことなんだろ。


この映画は登場人物がみんなどっかしらで繋がってるという設定になってるが、映画の撮影現場のケータリングをやってる若い男のエピソードはひどい。
女とヤリたいんだが全くモテない。そこで「アメリカに行けばイギリス男はモテまくり」と聞いて、荷物まとめてウィスコンシン州に移住を決意。
なんでウィスコンシンなのか知らんが、たぶん田舎の方がモテると聞いたんだろう。

空港からバーに直行し、カウンターで酒を注文すると、そのアクセントに隣の女が即反応。そこに『24』に出てたエリシャ・カスバートも現れ、
「この娘は特にイギリス男にぞっこんよ」とか言うことで、
「ホテル決まってないなら、私たちの家に泊まらない?」
となり、楽しく5Pしましたって、これのどこがクリスマス映画なんだよ!
オチもなにもないぞ。その若い男がジュード・ロウみたいなんだったら未だしも、ブサイクな奴だし、あり得んわ。
映画は135分もあるが、この男と、ポルノ撮影カップルのエピソードを削れば、120分位には収まったはず。

リーアム・ニーソンが妻に先立たれ、後に残った義理の息子の初恋を応援しながら、絆を深めるエピソードは、『アバウト・ア・ボーイ』の短縮版みたいなもんで、どうということもない。
その『アバウト・ア・ボーイ』で好演してたヒュー・グラントはなんとイギリス首相の役。
このエピソードはファンタジーとして楽しめるし、このジャンルはお手の物のヒュー・グラントなんで、安心して見てられる。
首脳会議でイギリスにやってくる合衆国大統領が、ビリー・ボブ・ソーントンというのも凄いジョークだが、その合衆国大統領の傲慢さを、首相会見の席でやりこめる場面は、イギリス人には気持ちいいだろうが、日本人には関係ないね。

恋人を弟に寝取られたスリラー小説家を演じるのは、『英国王のスピーチ』でついにオスカー俳優となったコリン・ファース。がっくりきたまま、執筆のため滞在したポルトガルの別荘で、家政婦のポルトガル人女性に惚れてしまう。後ろ髪引かれる思いで、一旦はイギリスに戻るが、踵を返して彼女の住む家へ。
彼女が夜間働いているというレストランを訪れる。その店は吹き抜けの2階構造になっており、下から呼びかけると、彼女は階段の踊り場まで下りて、小説家が必死で憶えたポルトガル語のプロポーズの言葉を聞く。
ここは「ロミオとジュリエット」の場面を模していて上手い。いつも演じすぎないコリン・ファースの良さは、出番の短いオムニバス物でも十分に伝わる。

精神に問題があって施設に入れられてる弟の世話で、結婚できないでいるローラ・リニーのエピソード。
こういうジャンルの映画に彼女が出るのも珍しいんだが、これは彼女が、家族の問題を抱えた役柄をよく演じてきたというキャリアに基づいてのものだろう。
一方で同じデザイン事務所の年下のイケメンに恋してて、初めて彼を家に呼ぶくだりとか、こんな乙女チックな演技させられてるのも他では見れないんで、貴重といえば貴重。

そのローラ・リニーが働いてるデザイン事務所を経営してるのがアラン・リックマン。彼と映画でのつながりが深いエマ・トンプソンが、危機を迎えた夫婦を演じるエピソード。ここがひっかかる。
子供もいるし、夫婦としては刺激を失ってる。そんなアラン・リックマンは、会社の若い女性社員と頻繁に視線を交わす。大きな目で色目を使われるが、それは彼の方も誘いに乗るような素振りでいるからだ。
クリスマスの買い物に行くと社を出ると、その彼女から電話で
「私にもなにかプレゼントを」と。
「文房具的なものかい?」などととぼけると
「もっとキラキラしたもの」

一緒に買い物する妻の目を盗んで買った高価なネックレス。妻のエマ・トンプソンはそれを夫のポケットに見つけ「いつも素っ気ない態度でごめん」
などと書いてあるから、てっきり自分への贈り物と思う。
クリスマスの夜、家族でプレゼントを見せ合う場で、夫から渡されたのは、同じような大きさの箱に入ったジョニ・ミッチェルのCDだった。
「君はファンだったろ?」と。

浮気を悟った瞬間のエマ・トンプソンの演技はさすがに見せるが、そのネックレスを、結局アラン・リックマンが会社の彼女に渡したのかどうか、そこには触れてないし、妻にネックレスの件を問いつめられ
「僕がどうかしてた」と謝ったことで、夫婦も丸く収まるクリスマスみたいになってるが、会社の彼女はポツンとひとり家で過ごしてる。

「夫婦の仲を裂くような女にクリスマスはやってこない」ってことなのか。


でもこの映画の「それぞれの人生の幸せを描く」意図に反してないか、それって。
いや別にリア充が幸せを確認するために見るような映画があったって、それはかまわんけど、クリスマスってのは、なるだけ多くの人が幸せに過ごせますように、って願いがこめられたイベントだろう?
だったら何らかの事情で、淋しいクリスマスを迎えなくちゃいけない男女に
「幸せを掴めるチャンスはきっと来るって」
と肩を叩いてくれるような、そういう映画であってほしいと思うが。
というかラブコメの美点てのは、そういう所にこそあるんだよ。

ラブアクチュアリービルナイ.jpg

いろいろ文句ならべたが、俺がこの映画見に行ったのは、ビル・ナイが『スティル・クレイジー』と同じような、年食ったロックシンガーを演じてるのを見たかったから。
本人も言ってたが、あのクソみたいなクリスマス・ソングは最高だったよ。

2011年12月5日

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ウッディそっくりジェイク・ギレンホール [映画ラ行]

『ラブ&ドラッグ』

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ファイザー製薬のセールスマンが主人公だ。ファイザー製薬といえばバイアグラだ。医学部を中退したことで、親の望んだ医者の道は閉ざされ、町のオーディオショップで働くジェイミー。
女性を落とすテクは半端じゃなく、店長の彼女に手を出して、その店も追われる。そして次に就職したのがファイザー製薬だった。まだバイアグラは開発前だ。

ピッツバーグの総合病院に新薬のセールスに出向くが、ライバル製薬会社のセールスマンは、元海兵隊の手強い男。その男とつながりが強い医師のナイト博士の了承がないと、薬は使ってもらえない。
得意の手管で受付け嬢から攻略の糸口を探ったりするが、その過程で、若年性のパーキンソン病を患う、マギーという女性と知り合う。知り合うと言っても、インターンに扮装したジェイミーに、診察中にオッパイを見られたことに怒った彼女が殴りかかったんだが。

マギーはジェイミーがインターンなんかじゃないことを見通してた。だがジェイミーのことを面白いと思ったマギーは、知り合ったのも早々にベッドに誘う。マギーはジェイミーをチャラ男だと思ったのだ。チャラ男なら、セックスだけで、その先の恋愛関係には進まないで済む。
恋人という関係になれば、互いの人生に介入せざるを得ない。パーキンソン病というのは、今の時点でも完治しない病だ。大量の薬を服用することで進行を多少遅らせることはできるが、できるのはそれだけだ。

マギーは自分とつきあうことになる相手は、そのことを引き受けなければならなくなるし、それが負担に感じるような素振りに気づくのも辛い。
支えになってもらうということは、50:50の関係が築けないということでもある。
そういった葛藤が、彼女を恋愛から遠のかせているのだ。
だがジェイミーの方は、自分を見透かされるようなマギーの洞察力や、彼女の中にある繊細さにどんどん惹かれていく。

セールスも冴えないジェイミーに吉報が耳に入る。男性の勃起不全に劇的な効果を発揮する新薬を、ファイザーが開発したらしい。
「これは売れる!」と直感したジェイミーは、上司を説得し、サンプルを大量に手にして、医者や、中年女性の集まる場で配りまくった。堅牢な砦を誇ったナイト博士も、サンプルと交換に、ライバル会社との契約の打ち切りに了承した。
バイアグラという薬の噂は瞬く間に全米に広がり、ジェイミーは優秀なセールスマンしか出席できない、シカゴでの研修会に呼ばれる。ジェイミーは気分転換も兼ねて、マギーをその旅に誘う。

製薬会社が開くパーティ会場で、手を震わせながら飲み物のグラスをつかむマギーに
「あなた第1段階ね?」
と、中年女性が声をかける。
彼女もパーキンソン患者だった。その女性はマギーにチラシを手渡し、
「よかったら覗いてみて」と。
マギーは会場を抜け出し、チラシに書かれた場所を訪れると、そこではパーキンソン病と戦う患者たちが、その苦労を笑い飛ばすようなトークで場内を大いに湧かせていた。

マギーはすっかり高揚した気分でジェイミーに言った。
「私だけじゃないんだ!」
「すごくすっきりした、もう悩むことなんてない」
「愛してるわ、ジェイミー!」
今まで決して口にしなかった言葉だ。
ジェイミーの顔にはとまどいがあった。同じ会場でジェイミーは年配の男性から声をかけられてたのだ。
男性の妻はパーキンソン病を発症して随分になると言う。病状としては第4段階だと。
「君の彼女がパーキンソンを発症してるんなら、早めに別れた方がいい」
「病状が進めば、君のこともわからなくなるんだ」
「彼女が彼女でなくなるんだよ」

ジェイミーはその日から、パーキンソン病に効果のある治療法を求めて、マギーを連れ、全米を方々走り回る。
だが思うような成果もなく、疲れとストレスから、マギーは、もうこれ以上私の人生に干渉しなくていいと、別れを切り出す。ジェイミーに説得できる自信はもうなかった。


俺の知り合いにパーキンソン病を患ってる人がいるんで、この病気の厄介さは認識してる。劇中で、マギーの手に震えがきたり、不意に足が思うように動かなくなったりという、特有の症状の描写はリアルだった。
ただ手足だけではなく、パーキンソン病というのは、脳の伝達物質が影響を受ける病気なんで、身体全身の機能に不都合が現れてくるのだ。言葉をしゃべること、発声にも支障が出てくる。
マギーは映画の最後まで、結構早口で淀みなくしゃべってたけど、実際はしゃべり方も、遅くなったり、言葉がすっと出なかったりするものなので、そのあたりも表現してくれてるとよかった。

難病との葛藤を抱えるマギーを、深刻に演じすぎないアン・ハサウェイはいいね。彼女がダイレクトに感情の機微を表して、グッと心を掴まれるような場面があるのに対し、ジェイミー役のジェイク・ギレンホールがね。演技どうこうじゃなく、顔が人工的に見えてしょうがない。

『ミッション:8ミニッツ』の時は、短髪で無精ひげなんか生やしてたから、そんなに気にならなかったが、この映画はセールスマンなんで、髪をきっちり分けて、ひげも手入れしてたりするせいで、なんか『トイ・ストーリー』のウッディに見えちゃうんだよ。あの眉毛のつけてる感とかね。

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それと今回は前半は売るために何でもするぞという、植木等の「無責任男」なみのテンション高いコメディ演技なんかさせられてるし、下ネタもバンバン入るしで、芸風とそぐわない無理矢理感も、ルックスの不自然さを強調させてしまってるのか。

前半のコメディ演技から、終わりの方はすっかりシリアスになるんだが、最後の方のマギーへのセリフも、いいこと言ってるんだけど、正直ジェイク以外の役者だったら、もっとジンときたかもなと、思ってしまった。
まあ俺がウッディに見えちゃってるからなんで、ジェイク・ギレンホール本人に責任はないけど。

ジェイミーの両親にジョージ・シーガルとジル・クレイバーグが扮していた。二人とも、70年代に主役を張ってたスターだ。74年の『電子頭脳人間』以来の共演だね。

でもジルはこの映画が遺作となってしまった。もう長いこと白血病と闘病してたという。RIP。

2011年12月1日

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最後にわかる「リメンバー・ミー」 [映画ラ行]

『リメンバー・ミー』

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不意打ちを食らうような結末に「ああ、これはやられたなあ…」と
エンドロールが流れる間、座席で腕組んでうつむいてた。
ロバート・パティンソンは日本じゃスターにはなれないと配給会社は思ってるのか、これだけ出来栄えもいい映画なのに、都内ではシネマート新宿1館のみの上映。

この映画館は今後も、今や『ラスト・サムライ』など大作専門となったエドワード・ズウィック監督が、久々に『きのうの夜は…』のようなロマコメを手がけ、ジェイク・ギレンホールとアン・ハサウェイの共演ぶりも楽しみな『ラブ&ドラッグ』
ケヴィン・スペイシー、コリン・ファレル(すごいヅラ!)ジェニファー・アニストンの3人が、ハラスメント上司を怪演する『モンスター上司』
スティーヴ・カレル主演で、ライアン・ゴズリングとエマ・ストーンという、若手最注目株が脇を固める『ラブ・アゲイン』など、
まあどれも邦題がちょっととは思うが、いわゆるシネコンからはじかれた、米メジャーのハリウッド映画を単独封切りしていくようだ。

ロバートパティンソンは『トワイライト』シリーズのファンの女の子からは「キャーッ」って感じなんだろうが、顔の造作がいちいち大袈裟だからな、日本人の胃袋じゃ消化しにくいルックスだろう。
この先どういうキャリアを歩んでいくかわからないが、ギョロ目大好きなヘルツォーク監督から仕事に呼ばれたりするかも。
俺は、最近のクセのない若手の役者ばかりの中で、この顔の濃さは貴重と思ってる。


映画は兄の自殺を受け入れられず、
「人生に意味なんてあるのか」
ともう6年間もうじうじと時をやり過ごしてる青年と、子供の頃、目の前で暴漢に母親を撃ち殺され、
「人生には突然、死が訪れる」
という思いから、食事でも好物は真っ先に食べるような習慣がついたエミリー・デ・レイヴンの出会いと、その後を中心に描いていく。

この出会いは偶然ではなく、エミリーにとっては「フェアじゃない恋愛」となり、事実を告げられれば、そりゃあ怒るし、彼を許さないのだが、それでも戻ってくるのは、ロバートの家族の描写にも目配せがなされているからだ。
妻の死後「警官なのに家族を守れなかった」という自責の念から、娘につい過干渉となる父親との二人暮らしを続けてきたエミリーには、ロバートの家族たちに招き入れられて過ごす時間は、温もりと寛ぎを感じられるものだったろう。

映画ではロバートの年の離れた妹がキーパーソンになってる。この11才の少女は、天才的な絵の才能を認められながら、心は冴えない。
母親と離婚した弁護士の父親は、朝は車で学校へ送ってくれるが、絵のことに関心を持ってくれないし、展覧会に絵が飾られても見に来てくれない。
自分はもう愛されてないんじゃないかと思ってる。

教室ではノートに絵を描くことに夢中になって、先生の授業が頭に入らず、同級生の女の子たちから「変人」とハブられてる。
ロバートはこの妹のことを、自分のことより気にかけていて、兄の死にも、妹の才能にも関心を示す様子のない父親に反発してる。

妹を演じたルビー・ジェリンズという少女がすばらしい。例えばダコタ・ファニングとか
『リトル・ミス・サンシャイン』の子とか、演技が達者で愛嬌もあるという、そういうアピール感を感じさせない、11才の女の子がそこにポンという感じのふつうさなのだ。
同級生とうまく交流できないというあたりは、軽度のアスペルガー症候群かも知れないし、登場人物の中でも、一番複雑な性格づけがされている役なのに、それが前面に表れない。
でもロバートに「こいつは俺が最後まで味方になってやるんだ」と思わせる、そんな切なさは小さな肩から漂ってる。

その妹を気遣うロバートの心根を知ってるからこそ、エミリーはロバートの嘘を許した。
父親と諍いとなり家を出たエミリーが、そっとドアを開け、台所で洗い物をしてる父親に声をかける場面もいい。
「そんなにフライパンをごしごし洗っちゃだめよ。テフロン加工されてるんだから」
「ああ、そうか…」
どんな役でも巧いが、特に愛情の伝え方の苦手な不器用な父親を演らせると絶品のクリス・クーパー。
エミリー・デ・レイヴンはこのベテランとの二人芝居の場面でも、気負いがなく、長く生活を共にする親子の空気が自然に感じられた。

一方のロバートの父親に、007退任後はいろんな役を楽しんでる感じのピアース・ブロズナン。
『蜘蛛女』の強烈な悪女レナ・オリンが、涙もろい母親役に。
その他、映画の冒頭、地下鉄の駅で暴漢に殺されるエミリーの母親にマーサ・プリンプトン。
『旅立ちの時』でリヴァー・フェニックスと恋をした少女もこういう歳に。

名のあるベテランたちによって、二人の周辺の人々が生きる世界を含めた、視野の広いドラマが出来上がった。だからこそ、あの結末が効いてくる。

「リメンバー・ミー」という題名の意味が、ストンと心におちるようになってるのだ。

2011年9月20日

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