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「午後十時の映画祭」80年代編②作品コメ [「午後十時の映画祭」]

昨日リストアップした、「午後十時の映画祭」(80年代編)の50本、各作品へのコメントを入れていく。五十音順で今日は「ア」行を。



『愛と哀しみのボレロ』(1981)フランス 
監督クロード・ルルーシュ 主演ニコール・ガルシア、ダニエル・オルブリフスキ

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3時間越えという上映時間はさすがに長く、ジェームズ・カーンの出てくる(多分グレン・ミラーがモデル)エピソードなど冗長なんだが、「ボレロ」の悠然たる旋律に、戦争が絡んだ様々な人生を織り込んでいく着想が、クライマックスのジョルジュ・ドンの舞踊によって結実するさまは、
「映画を見たなあ」という高揚感を残す。
「男と女」をテーマにしてきたルルーシュ監督が1974年の『マイ・ラブ』以降、「家族」に視点を向け始め、その集大成ともいえる。

収容所でガス室に送られる夫を、なす術もなく見送る妻を演じたニコール・ガルシアの表情に、見てて涙が出てきた。この当時『ギャルソン!』とか『アメリカの伯父さん』とか、ニコール・ガルシアに首ったけになってた時期がある。
DVDは一度出てたが廃版状態にあり、オークションではベラ高い値がついてる。
ボレロは圧倒的な音量で聴きたいんで、シネコンのスクリーンで再会できるといい。



『青い恋人たち』(1983)アメリカ 
監督ランダル・クレイザー 主演ピーター・ギャラガー、ダリル・ハンナ

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『青い珊瑚礁』では登場人物が未成年だったんで、肌を見せるのも限界があったと思ったのか、ランダル・クレイザー監督、今度はエーゲ海のサントリーニ島を舞台に、大人の男ひとり女ふたりによる三角関係を、脱ぎまくりで見せてる。

ダリル・ハンナのヌードも拝めるが、もうひとりの女優ヴァレリー・クィネッセンが実に魅力的なのだ。彼女は当時26才で、この映画含めて日本で紹介されてるのは3本のみ。1989年に自動車事故で亡くなってる。

昔ビデオが出てたが、ヌードシーンが多いので、輸入盤のレーザー・ディスクがよく売れた。
DVD化されてないのは、エルトン・ジョンやシカゴなどの楽曲が使われてるからか。



『アドベンチャー・ロード』(1980)オーストラリア 
監督ピーター・コリンソン 主演ウィリアム・ホールデン、リッキー・シュローダー

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後味の悪い結末をつけることにおいては当代一と、俺が当時思ってたピーター・コリンソン監督が、オーストラリアに出向いて撮ったサバイバル・ドラマ。この映画の完成直後に44才の若さで世を去ってる。
そして主演のウィリアム・ホールデンも、この当時は重度のアルコール依存症で、この1年後に酔って転倒し、そのまま息を引き取ってる。

映画は心臓病で余命も限られた老人が、オーストラリア奥地の山中にある生家を目指す途中、キャンピングカーの事故でひとり生き残った少年と出会い、過酷な旅を共にするという展開。
『チャンプ』で天才子役と謳われたリッキー・シュローダーが、むしろベテラン俳優を引っ張ってくような印象だった。
オーストラリアの景観が見れる映画は当時は珍しかったし、この監督のものとしては、後味がいいのも珍しい。
『ポセイドン・アドベンチャー』の主題歌『モーニング・アフター』で有名なモーリン・マクガヴァンが、この映画でも主題歌を歌ってた。

ビデオ・DVD化はされてない。アメリカとオーストラリアのコープロで、制作会社が何社かあるんで、権利関係が不明瞭なのか?



『アパートメント・ゼロ』(1988)イギリス 
監督マーティン・ドノヴァン 主演コリン・ファース、ハート・ボックナー

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アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで、名画座を経営してるコリン・ファースのシネフィルぶりが、なんか他人事ではない。
経営難だし、母親の入院費も工面するため、アパートの同居人を募ると、若いイケメンがやってくる。
自分の映画ウンチクにも反応してくれるんで、嬉しくなって、同居契約を結ぶ。
イケメンが他の住人と親しくしてると苛立つ。
「彼はボクだけの友達だ」
だがそのイケメンは依頼された殺しを請け負うテロリストだった。

実際80年代は軍事政権下にあったブエノスアイレスでは、絵空事ともいえない設定で、名画座も、反政府運動の集会所に使われたり、あげくにはポルノ映画館となる。名画座に出勤する時は常に背広でネクタイだったコリンが、最後には顔つきも服装も変貌してしまってる。
映画ファンなら彼の名画座にかかってる映画を、ポスターで言い当てられるだろう。難易度は高いよ。

主人公の言動の「イタい」感じを絶妙に演じるコリン・ファースは、若い頃から演技の上手さは際立ってたとわかる。
ビデオ発売のみで、DVDにはなってない。



『ウィザード』(1988)ニュージーランド・オーストラリア 
監督ヴィンセント・ウォード 主演クリス・ヘイウッド

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黒死病の蔓延した14世紀ヨーロッパの寒村で、預言者の少年が、夢のお告げの通りに、仲間を連れて、世界の裏側へと通じるとされる洞窟を掘り進めてゆく。
そして彼らが辿り着いたのは現代のニュージーランドだった。
『ロード・オブ・ザ・リング』のような体裁のファンタジーだが、少年に皮肉な運命が待ち受ける所など、ただのファンタジーにはない余韻が残る。

ヴィンセント・ウォード監督は、この後の『心の地図』や『奇跡の輝き』、DVDスルーとなった『ファイナル・ソルジャー』に至るまで、一貫して「異世界への旅」を描いてる。
俺は「NZのジョン・ブアマン」と呼んでるんだが、時空や時制を巧みに行き来させるこの映画のスケール感は、ハリウッドでデカい予算でリメイクしてみちゃどうかと思うほどだ。

緑深い森など、大自然の景観を捉えるカメラの美しさもこの監督の映画の大きな魅力だ。
ビデオは昔マイナーなメーカーから出てたが、DVDにはなってない。



『エディ・マーフィ/ロウ』(1987)アメリカ 
監督ロバート・タウンゼント 主演エディ・マーフィ

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『48時間』『ビバリーヒルズ・コップ』で披露したエディ・マーフィの「速射砲トーク」の凄さがダイレクトに伝わる、スタンダップ・コメディ・ライヴ。
冒頭に、エディが子供の頃に家族の前に初めてやった漫談を、再現フィルム風に描写し、あとはエディのステージを、ほぼ90分ノンストップでカメラに収めてる。とにかく90分しゃべり倒してるのだ。

アカデミー賞の司会で有名なジョニー・カーソンの莫大な離婚慰謝料のネタに始まり、『ロッキー』を見た直後のイタリア系の男が黒人にケンカ売るネタで爆笑させ、母親お手製のビッグマックの悲しい思い出まで、ヘタなアクション映画など蹴散らすようなスピード感に溢れたトークだ。

昔ビデオが出てたんだが、実はその字幕は、エディの繰り出すスラングや四文字言葉を訳し切れておらず、後になってフジテレビが「ミッドナイト・アートシアター」の枠で、新たに臨場感ある字幕をつけ直して放映したことがあった。「1回限り」という放映で、たまたまそれを録画してたんだが、よくこの字幕を電波に乗せられたなと、フジテレビの英断に感心した。

なのでもしスクリーンで上映するような機会があれば、是非フジテレビの字幕版でやってほしい。
DVDも出してほしいが、こういうのは大勢で見て笑えた方が絶対楽しいからね。



『エデンの園』(1980)イタリア・日本 
監督増村保造 主演ロニー・バレンテ、レオノーラ・ファニ

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このスタッフ・キャストのほとんどがイタリア人という、イタリア舞台の映画の監督が、なぜに増村保造なのかという、企画の時点からなにか不思議さを感じる日伊合作で、これはロニー・バレンテを日本で売り出そうという、そういう背景があったかもしれない。

しかし俺にしてみれば、というより男にしてみれば、共演してるレオノーラ・ファニの脱ぎっぷりの良さと、形のいいおっぱい以外、注目すべき点はない。
増村保造としても、イタリアの陽光の下では、日本の隠微なエロスを表現もできず。

以前ビデオが出てたことがあったが、DVDは出てない。
合作の場合は権利がどこにあるのか、辿るのが困難なことがある。



『オブローモフの生涯より』(1980)ソ連 
監督ミキータ・ミハルコフ 主演オレーグ・タバコフ、エレーナ・ソロヴェイ

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映画の主人公オブローモフに向かって「お前はオレか?」と呟いてしまうような、そのふがいなさが五臓六腑に染み渡る。
俺はこれから先の人生でも映画を見続けるだろうが、どんな映画に出会ったとしても、この映画は「オールタイム・ベスト10」から外れることはまずない。
俺にとってミハルコフはここまでだ。巨匠と呼ばれるようになるにつれ、弱い人間を描かなくなった今のミハルコフには縁はない。

ロシアの夏の木々のしたたる緑、草むらで読書する女の、淡い光に包まれた首筋の美しさ。オブローモフが意を決して彼女の家へと向かう、雷鳴に照らされた夜の道。
映像は芳醇で、母親の姿を遠くに見た少年が、部屋を飛び出し、草原をどこまでも駆けてゆくラストまで、こんな優しい映画はない。

DVDは出ていて、まだ廃版ではないはずだが、もう一度スクリーンで見たいのだ、どうしても。



『俺たちの明日』(1984)アメリカ 
監督ジェームズ・フォーリー 主演エイダン・クィン、ダリル・ハンナ

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『ハリポタ』を任されるまでになったクリス・コロンバスによる脚本は、不良がお嬢さんを彼氏から奪って、バイクで町を去ってくという、ベタの上にベタで塗り重ねたような展開。
だがこの映画を構成する何から何までが俺のツボにはまった。

ファスビンダーからスコセッシへと、そのカメラで作品世界に大きく貢献していた名撮影監督ミヒャエル・バルハウスが、ピッツバーグの炭鉱の町の、鉛色の空を切り取り、キム・ワイルド、インエクセス、ザ・フィクスに、ボブ・シーガーという選曲のセンス。
これがデビューとなるエイダン・クィンの暗さと、身体のシルエットの細さ。

当時昂奮して友達誘って再度見たが、その友達と後に『ストリート・オブ・ファイヤー』を見た時、
「アレよりこっちの方がいいじゃん」と言われ
「こいつは全くわかってない」
と失望したのも遠い昔のことだ。

ビデオは出たがDVDは出てない。MGMなんで、ツタヤのオンデマンドに期待できる。
できればスクリーンでラストのボブ・シーガーを聴きたいが。

2012年2月1日

今度は80年代編・この映画が観たい『午後十時の映画祭』① [「午後十時の映画祭」]

「午後十時の映画祭」

先だって、「午後十時の映画祭」で観てみたい映画、その70年代の50本をリストアップしたが、今回は80年代編。条件は同じで、現在DVDなど出ておらず、すぐに見ることが困難な作品から優先的に選んでみた。

70年代編の50本のうち、すでに何本かは、ツタヤのオンデマンドDVD販売のラインナップに上がっており、こちらのリストもそれに応じて更新している。多分この80年代編からも、ポロポロと販売が決まる作品が出てくるだろう。なにしろツタヤは米メジャー各社と3000タイトルの契約を結んだというから、目ぼしい所はDVDで見れるようになるんじゃないか?と期待してる。
一応ここのリストに上げてるのは、できればスクリーンで見たいというものだが。
各作品のコメントは後日ということで。



『午後十時の映画祭』50本(80年代編)

『愛と哀しみのボレロ』(1981)フランス 
監督クロード・ルルーシュ 主演ニコール・ガルシア、ダニエル・オルブリフスキ

『青い恋人たち』(1983)アメリカ 
監督ジョエル・ディーン 主演ピーター・ギャラガー、ダリル・ハンナ

『アドベンチャー・ロード』(1980)オーストラリア 
監督ピーター・コリンソン 主演ウィリアム・ホールデン、リッキー・シュローダー

『アパートメント・ゼロ』(1988)イギリス 
監督マーティン・ドノヴァン 主演コリン・ファース、ハート・ボックナー

『ウィザード』(1988)ニュージーランド・オーストラリア 
監督ヴィンセント・ウォード 主演クリス・ヘイウッド

『エディ・マーフィ/ロウ』(1987)アメリカ 
監督ロバート・タウンゼント 主演エディ・マーフィ

『エデンの園』(1980)イタリア・日本 
監督増村保造 主演ロニー・バレンテ、レオノーラ・ファニ

『オブローモフの生涯より』(1980)ソ連 
監督ミキータ・ミハルコフ 主演オレーグ・タバコフ、エレーナ・ソロヴェイ

『俺たちの明日』(1984)アメリカ 
監督ジェームズ・フォーリー 主演エイダン・クィン、ダリル・ハンナ

『仮面の中のアリア』(1988)ベルギー 
監督ジェラール・コルビオ 主演ホセ・ファン・ダム、フィリップ・ヴォルテール

『カリフォルニア・ドールズ』(1981)アメリカ 
監督ロバート・アルドリッチ 主演ピーター・フォーク、ローレン・ランドン

『キャル』(1984)イギリス 
監督パット・オコナー 主演ヘレン・ミレン、ジョン・リンチ

『ギャルソン!』(1983)フランス 
監督クロード・ソーテ 主演イヴ・モンタン、ニコール・ガルシア

『キリング・タイム』(1987)フランス 
監督エドゥアール・ニエルマン 脚本ジャック・オディアール 主演ベルナール・ジロドー

『恋の病い』(1987)フランス 
監督ジャック・ドレー 主演ナスターシャ・キンスキー ジャン・ユーク・アングラード

『ゴールデン・エイティーズ』(1986)フランス・ベルギー・スイス 
監督シャンタル・アケルマン 主演ミリアム・ボワイエ デルフィーヌ・セイリグ

『コンペティション』(1980)アメリカ 
監督ジョエル・オリアンスキー 主演リチャード・ドレイファス エイミー・アーヴィング

『ザ・キープ』(1984)アメリカ 
監督マイケル・マン 主演スコット・グレン、ユルゲン・プロフノウ

『ザ・クラッカー 真夜中のアウトロー』(1981)アメリカ 
監督マイケル・マン 主演ジェームズ・カーン、チューズディ・ウェルド

『砂漠のライオン』(1981)リビア 
監督ムスタファ・アッカド 主演アンソニー・クイン、オリヴァー・リード

『サンフランシスコ物語』(1980)アメリカ 
監督リチャード・ドナー 主演ジョン・サヴェージ、デヴィッド・モース

『シカゴ・コネクション 夢みて走れ』(1986)アメリカ 
監督ピーター・ハイアムズ 主演ビリー・クリスタル、グレゴリー・ハインズ

『死にゆく者への祈り』(1987)イギリス 
監督マイク・ホッジス 主演ミッキー・ローク、アラン・ベイツ

『ジャグラー ニューヨーク25時』(1980)アメリカ 
監督ロバート・バトラー 主演ジェームズ・ブローリン、クリフ・ゴーマン

『シルクウッド』(1983)アメリカ 
監督マイク・ニコルズ 主演メリル・ストリープ、カート・ラッセル

『忍冬の花のように』(1980)アメリカ 
監督ジェリー・シャッツバーグ 主演ウィリー・ネルソン、ダイアン・キャノン

『スタントマン』(1980)アメリカ 
監督リチャード・ラッシュ 主演ピーター・オトゥール、スティーヴ・レイルスバック

『タイムズスクエア』(1980)アメリカ 
監督アラン・モイル 主演トリニ・アルヴァラード、ティム・カリー

『チェンジリング』(1980)カナダ 
監督ピーター・メダック 主演ジョージ・C・スコット、メルヴィン・ダグラス

『チャンピオンズ』(1984)イギリス
監督ジョン・アーヴィン 主演ジョン・ハート、エドワード・ウッドワード

『天使の接吻』(1988)フランス 
監督ジャン・ピエール・リモザン 主演ジュリー・デルピー

『遠い声、静かな暮らし』(1988)イギリス 
監督テレンス・ディヴィス 主演ピート・ポスルスウェイト

『ドラキュリアン』(1987)アメリカ 
監督フレッド・デッカー 主演スティーヴン・マクト、トム・ムーナン

『トラブル・イン・マインド』(1986)アメリカ 
監督アラン・ルドルフ 主演クリス・クリストファーソン、キース・キャラダイン

『バーニング』(1981)アメリカ 
監督トニー・メイラム 原作ハーヴェイ・ワインスタイン

『ハイ・ロード』(1983)アメリカ 
監督ブライアン・G・ハットン 主演トム・セレック

『バウンティフルへの旅』(1985)アメリカ 
監督ピーター・マスターソン 主演ジェラルディン・ペイジ、レベッカ・デモーネイ

『パッショネイト 悪の華』(1983)アメリカ 
監督スチュアート・ローゼンバーグ 主演ミッキー・ローク、エリック・ロバーツ

『800万の死にざま』(1986)アメリカ 
監督ハル・アシュビー 主演ジェフ・ブリッジス、ロザンナ・アークエット

『フォー・フレンズ 4つの青春』(1981)アメリカ 
監督アーサー・ペン 主演グレッグ・ワッソン

『プリンス・オブ・シティ』(1981)アメリカ 
監督シドニー・ルメット 主演トリート・ウィリアムズ

『ベルリンは夜』(1985)イギリス 
監督アンソニー・ペイジ 主演ジャクリーン・ビセット、ユルゲン・プロフノウ

『炎628』(1985)ソ連 
監督エレム・クリモフ 主演アリョーシャ・クラフチェンコ

『マイ・ライバル』(1982)アメリカ 
監督ロバート・タウン 主演マリエル・ヘミングウェイ、スコット・グレン

『マルホランド・ラン 王者の道』(1981)アメリカ 
監督ノエル・ノセック 主演ハリー・ハムリン、デニス・ホッパー

『メイトワン 1920』(1987)アメリカ 
監督ジョン・セイルズ 主演クリス・クーパー、デヴィッド・ストラザーン

『夜の天使』(1986)フランス 
監督ジャン・ピエール・リモザン 主演ジャン・フィリップ・エコフェ 

『ラスト・カーチェイス』(1980)アメリカ 
監督マーティン・バーク 主演リー・メジャース

『リトル・ダーリング』(1980)アメリカ 
監督ロナルド・F・マックスウェル 主演テイタム・オニール、クリスティ・マクニコル、マット・ディロン

『ル・バル』(1983)フランス・イタリア・アルジェリア 
監督エットーレ・スコラ

2012年1月31日

追補版・『午後十時の映画祭』(70年代編) [「午後十時の映画祭」]

この映画が観たい『午後十時の映画祭』追補タイトル

映画ファンの間に大きな話題を呼んでるツタヤのDVDオンデマンド販売のタイトルだが、俺の『午前十時の映画祭』50本(70年代編)で選んだ作品の中から、4本が販売になるというんで、リストの入れ替えをしようと思う。販売されるのは
『おかしなおかしな大冒険』『激走!5000キロ』『ストレート・タイム』『狙撃者』とのこと。

いやしかしすごい時代になったもんだな。ていうかツタヤえらい!
新たに俺のリストに加えるのは以下の4本。



『怪盗軍団』(1975)イギリス 
監督ピーター・デュフェル 主演テリー・サバラス、ロバート・カルプ

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ナチスが隠した金塊を巡るミステリーとしては、1979年の『ブラス・ターゲット』が、ツタヤのオンデマンド販売が決定していて、喜んでる映画ファンも多いんだが、俺はあの映画はある一点で台無しになってる「残念」な映画と思ってる。
それはソフィア・ローレンがしゃしゃり出てくるという所だ。
このイタリアの大女優に言うのも何だが、この人は70年代になぜかアクション映画に顔を出したがるようになり、『カサンドラ・クロス』『リベンジャー』そして『ブラス・ターゲット』ときて、当時のアクション映画好きにしてみたら「またあんたか!」とゲンナリだったのだ。俺だけじゃないよ、そう思ってたのは。
特に『ブラス・ターゲット』はジョン・カサヴェテス、パトリック・マクグーハンにマックス・フォン・シドーという悶絶ものの渋いメンツが揃ってるのに、なんでそこに出てくるかなと。

だもんで、『怪盗軍団』を推すわけだ。こっちも「刑事コジャック」と「アイ・スパイ」と+ジェームズ・メイスンという、渋さでは引けを取らないメンツだし、おばさんも出てこない。

第2次大戦下のベルリンで、1台のドイツ軍のトラックが、親衛隊の服を着た男たちに強奪された。トラックには西ドイツ国立銀行に輸送する途中の、600万ドル分の金塊が積まれていた。
その行方がわからぬまま時代は現代へ。
その強奪に係ったと目される元ドイツ軍高級将校が、軍刑務所で戦犯として今も収容されてるとの情報を得て、戦時中に捕虜収容所の司令官と、捕虜の間柄だった男たちが動き出す。
その将校を脱走させ、薬により意識を混濁させる。ドイツ軍の総司令部のセットを作り、偽のヒトラー総統を登場させ、将校に戦時中と錯覚させて、金塊の在り処を聞き出す計画だった。
「ひと芝居打つ」っていうネタは楽しい。しかもその後にも「もうひと芝居打つ」展開が待ってる。
テレビ放映はされてると思うけど、ビデオ・DVD化はされてない。
ワーナーなんで、ツタヤに期待はできるけど。



『ザ・ファミリー』(1973)アメリカ 
監督リチャード・フライシャー 主演フレデリック・フォレスト、アンソニー・クイン

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まあとにかく『ゴッドファーザー』が世界中で大ヒットしたもんで、マフィア映画ブームというのが到来するわけだ、この時代。ほとんどイタリア製ではあったが。そんな中、ハリウッドが製作した1本がこれ。
フレデリック・フォレストはこの年、フランシス・コッポラ監督の『カンバーセーション…盗聴』で、ジーン・ハックマンの盗聴対象となってたが、大きな役ではないし、それがこの映画では初の主演を張るわけだから、これは大抜擢といっていいだろう。
線の細いインテリという風貌の彼を、マフィアの幹部にあてるという配役も大胆だ。頭に血がのぼったら、すぐに銃を乱射するという、ステレオタイプなマフィアではなく、流れを冷静に読む、切れ者のイメージが主人公に求められてたんだろう。
マフィアの有力な組織のボスが死んだことで、その組織の相続を巡る、三つ巴の争いの火ぶたが切られるという筋立て。
アンソニー・クインは、相続を担う組織のボス役でさすがの貫禄。ロバート・フォスターやアル・レッティエリなどキャストもいい顔が揃ってる。

リチャード・フライシャー監督の演出にも切れがある。この監督は70年代前半までは、ジャンルを問わず、見ごたえある映画を連打してたが、それ以降目に見えて力が落ちていった印象がある。
ジェリー・ゴールドスミスの音楽もまた聴きたいな。
ビデオは昔出てたが、DVDは出てない。



『さらば青春の日』(1971)アメリカ 
監督スチュアート・ハグマン 主演ジャクリーン・ビセット、マイケル・サラザン

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『おかしなおかしな大冒険』がオンデマンドDVDで見れるということになったのなら、ジャクリーン・ビセットでまだ見たことないこの作品を。
当時つきあってたマイケル・サラザンとは、1968年の『甘い暴走』に続く共演。

マイケル・サラザンは病院のインターンで子供好きの優しい性格の青年。ビセットは友達の医師の妹で、子供向けの本の編集をしてる。互いに子供好きということで気が合い、つきあうようになるが、サラザンが心を通わせてた患者の少年が亡くなり、そのショックから、病院に保管されてる興奮剤を持ち出して服用する。
それは次第に麻薬の服用へとなり、宿直をサボったせいで出産直後の双子が死に、病院をクビになる。
麻薬業者への借金も膨らんでいた。
ビセットは彼の気持ちが離れてくのを恐れ、自分もまた麻薬に手を出してしまう。とのこと。

先頃『いちご白書』がリバイバル公開されたスチュアート・ハグマン監督が、とことん麻薬でボロボロになってくカップルを見つめてるようだ。1973年にアル・パチーノが主演した『哀しみの街かど』も、同じような内容のラブストーリーだった。
ジャクリーン・ビセットがボロボロになってく姿は、あまり見たくないが、こういう役も珍しいので、貴重な映画ではある。ビデオ・DVD化はされてない。



『スーパーコップス』(1974)アメリカ 
監督ゴードン・パークス 主演ロン・リーヴマン

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「ニューヨーク市警のバットマンとロビン」と呼ばれた実在の警官コンビの活躍を描いたアクション。
これは当時一応劇場公開という形にはなってるんだが、単独で上映されたのではなかった。

1970年代には地方ではロードショーも2本立てが主流だったが、東京都内においても、新作を2本立てでかける興行形態があったのだ。メジャーな作品ではなく、配給会社が大作なんかと抱き合わせに買わされたような映画を、2本組んでそういったチェーンに流していた。
俺もどっかで見てるんだが、どこで見たのかが思い出せない。
その後テレビでやった形跡もないし、ビデオもDVDも出てない。
でも話は面白かったんだよ。

主人公の二人はニューヨーク市警の研修生で、早く犯罪捜査とか、犯人検挙とかしたいのに、交通整理みたいなことばかりやらされてる。偶然に無差別発砲犯を捕まえるが、褒められるどころか、持ち場を離れたと教官から叱責される。
頭にきた二人は、実績を積んでやろうと、勤務時間外の夜間にガンガン犯罪者の摘発を行ってく。
その行為は次第に町の話題となり、逆に研修生たちの方が仕事をしてると、刑事たちへの世間の風当たりがきつくなる。
研修も終わり、ブルックリンで最も治安の悪い地区の分署に配属されるが、そこでも刑事たちには目の仇に。だがいっこうにひるむ様子もなく、ふたりは町を牛耳る麻薬組織の兄弟検挙に猛進してく。

『ホットロック』『スローターハウス5』と、脇役で目を引くようになったロン・リーヴマンが初の主演。あの鋭い目つきと鷲っ鼻が、猪突猛進の警官キャラに合ってた。
監督は『黒いジャガー』のゴードン・パークス。黒人監督ならではというか、黒人居住地区でのロケも生々しく、「70年代ニューヨーク」の現場感が充満してた。
音楽は70年代前半が最高潮期だったジェリー・フィールディングだからして。

2012年1月24日

「午後十時の映画祭」50本⑩作品コメ [「午後十時の映画祭」]

この映画が観たい「午後十時の映画祭」50本(70年代編)のタイトルリストに沿ってのコメントも今回がラスト。
五十音順で、今日は「マ」から「ワ」まで。



『マッドボンバー』(1973)アメリカ 
監督バート・I・ゴードン 主演チャック・コナーズ、ヴィンス・エドワーズ

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バート・I・ゴードンという人は、1950年代末あたりから、チープなSFホラーなんかを量産してきた、ロジャー・コーマンの商売仇のような存在なんだが、この映画は彼のフィルモグラフィにおいて、突然変異の如く誕生したカルト的傑作だ。

連続爆弾魔の犯行の唯一の目撃者が、連続強姦魔だという、その設定だけでも尋常じゃないが、そこにチャック・コナーズとネヴィル・ブランドという、怪優ふたりを配して、もう全編何しでかすかわからんという緊張感に貫かれてる。

この映画が見たいというのには複雑な事情がある。昔は夜9時台にテレビ放映されてたもんだったが、そのバージョンは、ラストでチャック・コナーズ演じる爆弾魔が、爆弾もろとも吹っ飛ぶ場面を、肉体が粉々になる部分はカットして放映してた。
その後、たしかテイチクからビデオが出たんだが、それはアメリカのケーブルテレビ用素材を使った物で、同じようにエグい場面は全カット。
俺は「意味ねええ!」と嘆いた。

そして紀伊國屋書店から満を持してDVDが発売され、今度はそのラストシーンも収録されてた。これでめでたしめでたしならいいんだが、今度は昔テレビで見たはずの場面が入ってない。
それはネヴィル・ブランド演じる強姦魔が、車の後部座席から、前の座席の女の子に襲いかかるという場面で、後ろの座席に引っ張りこまれる時に、スカートの中のパンツが見えてた。
それで記憶に残ってるんだが、その場面がない。

俺が他の映画と記憶がごっちゃになってるのか、定かではなく、それに白黒つける意味でも、この映画のオリジナルを確認してみたいのだ。



『Mr.ビリオン』(1977)アメリカ 
監督ジョナサン・カプラン 主演テレンス・ヒル、ヴァレリー・ペリン

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アダム・サンドラー主演の『Mr.ディーズ』は、『オペラハット』のリメイクだが、この映画もプロットは拝借して作られてる。
サンフランシスコにある大手金融会社の社長が死去。遺言により、その全財産は唯一の血縁関係にある甥に譲るとあった。甥はグイドと言い、イタリアに住んでいた。
相続する条件は、20日以内にシスコに来て、サインすること。社の重役は偽の契約書にサインさせようと、イタリアを訪れるが、天真爛漫な性格のグイドのペースに乗せられ、うまく事が運ばない。

一方グイドはアメリカ行きを決意するが、飛行機で行くのではなく、先祖が辿った通りに、船や列車を使って行くとこにする。重役はならば色仕掛けと、グラマーな探偵ロジーをグイドに接触させる。だが、グイドの噂を聞きつけ、誘拐して身代金を得ようとするギャングたちも、その道筋を追ってきた。

テレンス・ヒルのことは、1974年の『ミスター・ノーボディ』が1年遅れで日本公開され、初めて知った。
人を食ったようなキャラクターが新鮮だった。それ以前から『風来坊』シリーズなどで、バッド・スペンサーと組んで、コミカルな演技を披露してたことは、後になって知る。
殺伐としたマカロニ・ウエスタンの世界に「ギャグ」を持ち込んだという意味では、カンフー映画の世界にギャグを持ち込んだジャッキー・チェンのような存在かもしれない(ちがうかもしれない)。

『オペラハット』の主人公ゲイリー・クーパーが、底抜けの御人好しで、疑うことを知らない性格というのに倣って、この映画のテレンス・ヒルも、ひたすらに善人だ。それをコミカルに演じられるから嫌味がない。
探偵ロジーを演じるヴァレリー・ペリンもキュートだし、彼女自身も気立てのいいキャラの持ち主だったんで、このコンビが危機をくぐり抜けてく展開が楽しく見てられるのだ。
いろんな乗り物での見せ場を繋げつつ、当時話題を集めた小型ジェット機「サイテーション」まで繰り出し、ジョナサン・カプラン監督の演出ぶりも快調。

ビデオもDVDも出てないが、この楽天的なアドベンチャーをまた見てみたい。

なお、テレンス・ヒルはこの映画をハリウッド進出の足がかりにするつもりでいたが、これも、その後に出たディック・リチャーズ監督の大作『外人部隊 フォスター少佐の栄光』も興行的に失敗し、イタリア映画界に戻ってしまった。



『ヤコペッティの大残酷』(1975)イタリア 
監督グァルティエロ・ヤコペッティ 主演クリストファー・ブラウン

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これはもう権利関係がわけわからん状態になってると長年言われてきたが、最近になって、PAL版のDVDが発売されたようだ。日本版をどこか出せるようになるんだろうか。
こんなことなら公開時に見とけばよかったが、当時はテレビで「ヤコペッティ」ものを放映してたんだよ。「海亀かわいそうだよねえ」とか家族で話しながら見てたりした。
なのでこの映画もおんなじモンド系ドキュメンタリーだと思い、スルーしてしまったのだ。
オッパイ見せながら機関銃持ってる、あのポスターに素直に反応して映画館に入っときゃよかった。

ボルテールの古典『カンディード』を映画化した、つまりはフィクションだったんだね。
愛した女をどこまでも追い続けて、時空まで超える旅をする青年が、行く先々で残酷な光景を目の当たりにするという物語は、なにやら楳図かずおの『イアラ』を連想させもするけど、花畑の中で、イスラエルの女兵士とアラブ人の兵士が銃撃戦を展開する場面は、昔テレビで見たことある。

スローモーションの画面に、リズ・オルトラーニ得意の甘美な旋律が被さってた。
なんかこの人の映画音楽を聴くと、デパートのお好み食堂をイメージしてしまう。
モリコーネよりもイージーリスニング感が強いんだね。

フェリーニとかパゾリーニとか、一緒くたになった感じの映画と何かに書かれてたんで、やっぱり面白そうだよね。



『夕陽の群盗』(1972)アメリカ 
監督ロバート・ベントン 主演ジェフ・ブリッジス

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1970年代の「フォトジェニック」なウエスタンの代表格といえる一作。
1865年、南北戦争は長期化し、北軍は若者を手当たり次第に徴兵していた。オハイオ州の良家の長男ドリューは、両親の手引きでミズーリへと逃れるが、途中で同じような年かさの若い強盗ジェイクに金を巻き上げられる。
その後、牧師の家で鉢合わせた二人は格闘となり、お坊ちゃんにしては根性あると、ジェイクはドリューを強盗団に引き入れ、西部へと向かう。

だが威勢はよくても、所詮少年たちばかりの強盗団に、西部の土地は甘くなかった。
強盗とはいえ、少年たちが射殺されたり、殺されて木に吊るされてたり、容赦ない描写が連続する。

いわゆる「オールド・ウエスタン」ではない、明らかにアメリカン・ニューシネマを経由してきた、と見る者に知らしめるようなタッチだ。
良家の出で、銃など触ったこともなかったドリューが、バンダナで顔を覆い、この映画の原題である
『BAD COMPANY』(悪の仲間)になってく過程を、シビアに見つめている。

その少年たちの残酷な旅と反比例するような、『ゴッド・ファーザー』の名撮影監督ゴードン・ウィリスによる、ウィスキー色の荒野の美しさ!
1978年の現代ウエスタンと呼ぶべき『カムズ・ア・ホースマン』でも、そのカメラが映画のグレードを上げていて、ビデオスルーだったのが勿体なさすぎ。

『ラスト・ショー』で一躍脚光浴びた直後のジェフ・ブリッジス、これが映画初出演のジョン・サヴェージと、みんな若いね。
監督ロバート・ベントンはこれがデビュー作。40才と遅咲きだが、それだけにクォリティは高い。

ビデオ・DVD化されてないが、アメリカでは随分前からDVDになってる。



『ロリ・マドンナ戦争』(1973)アメリカ 
監督リチャード・C・サラフィアン 主演ジェフ・ブリッジス、シーズン・ヒューブリー

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これは映画評論家・町山智浩著「トラウマ映画館」でも取り上げられてるんで、名前を聞いた人もけっこういると思うが、リチャード・C・サラフィアンという監督は、1960年代末からの5年間位に傑作を連打したのだが、『バニシング・ポイント』以外はビデオにもDVDにもなってないという、不遇すぎる扱いだ。
1971年の『荒野に生きる』を選んでもよかったが、テレビで録画したのがあるんで、こっちにした。
昔、名画座で見たきりだ。

テネシー州ノックスビルにロケしてるとデータにあるが、アパラチア山脈の麓あたりの田舎が舞台だ。
土地を巡って争う2軒の家がある。家長は片やロッド・スタイガー、片やロバート・ライアンという、いずれ劣らぬ頑固者のベテラン役者なんで、収拾もつかんだろう。
両家の子供たちは土地なんてどーでもいいと思ってるんだが、父親には逆らえない。

ロバート・ライアンから、相手の家に奪われた豚を取り返して来いと言われた長男は一計を案じ、「ロリ・マドンナ」という名の架空の結婚相手から、自分に充てた手紙を、ロッド・スタイガーの家の郵便受けに入れる。
「バス停まで迎えに来て」と書いて。
奴の息子たちが、嫌がらせのために花嫁を拉致しに行くと読んだ。
留守になった間に豚を取り返せばいい。

長男の思惑通り、隣の家の息子たちは、バスの着く時間を見計らって出て行った。
だがバス停には本当に降り立ったばかりの若い女がいた。男たちは
「お前、ロリ・マドンナだよな?」
と有無を言わさず家に連れ帰った。
つまり縁もゆかりもない、ふたつの家の争いに、通りすがりの娘が巻き込まれるという、はた迷惑この上ない話なのだ。
その後はどんどん話がこじれてきて、「トラウマ映画館」で言うところの、激安ヒルビリーたちの殺し合いへと発展してくのだ。

巻き込まれる娘を演じるシーズン・ヒューブリーは、『勝手にしやがれ』のジーン・セヴァーグ以来のベリー・ショートの美貌が衝撃的で、掃き溜めに鶴もいいとこだ。
彼女はモデル出身で、日本の化粧品のCMにも出てたことがある。
ジェフ・ブリッジスは、彼女を拉致してきた家の末っ子かなにかで、彼女を見張ってるうちに、お互い惚れ合っていくという役。この二人がまあ「さわやか」担当で、あとの男たちは殺伐としてる。
70年代の映画でよく見かけた脇役たちが顔を揃えていて、しかも激安な人間を演じてるんで、誰に視点が定まってるのか判然としない所はある。

まったく余談だが、この映画の題名が気に入ったのか、1985年に『V・マドンナ大戦争』という邦画が作られてる。

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俺も性懲りもなく見に行ってるんだが、内容は『七人の侍』と『マッド・マックス』と『エクスターミネーター』がごっちゃになったようなイメージの学園アクションで、『みゆき』でヒロイン演じてた宇沙見ゆかりが、敵の女番長となぜかブチューとキスしてる場面だけ憶えてる。

そっちもDVDになってないが、なってなくてもいい。



『別れのこだま』(1975)アメリカ 
監督ドン・テイラー 主演ジョディ・フォスター、リチャード・ハリス

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ジョディ・フォスターが13才で主演した家族ドラマ。心臓疾患の難病で長くは生きられないと悟っている少女ディアドルを、彼女らしく情緒に訴えるような演技はせず、理性を持って演じてる。
父親が劇作家という設定なんで、いくぶんセリフも文学的なひねりが加えられてたり、薄幸の少女の泣ける話を期待すると、ちょっとテイストはちがう。

1976年に日本公開されてるが、同じ年に『タクシー・ドライバー』『白い家の少女』『ダウンタウン物語』が封切られており、どれも「ふつう」の役ではないんで、一番実年齢のジョディに合った役ではある。しかし少女スターとしては凄い売れ方だったんだな。

感受性の強いディアドルは、父親と母親の間がギクシャクしてるのは、自分の病気のせいだと苦しむ。そのことに気づいた父親は、娘の限られた日々を、自分たちのわだかまりは捨てて、精一杯寄り添って過ごしていこうと決意する。
これは娘を想う父親の物語でもあり、父親を演じるリチャード・ハリスが、製作総指揮に名を連ねてることからも、こういう役をやりたかったんだろう。

エンディングには自作の歌まで流れるのだ。
「ディアドーール♪」って唄い上げちゃってるのが、こそばゆい感じもあるんだが、リチャード・ハリスは歌手としても実績がある人だ。

1968年に『マッカーサー・パーク』という7分強のドラマティックなバラードで、全米チャート2位を記録するヒットを飛ばしてる。
この曲を10年後にドナ・サマーがディスコアレンジして、今度は全米チャート1位になってる。
なんで今までビデオにもDVDにもならないのか、わからないが、リチャード・ハリスの歌がネックになってるなら、それカットしてもいいから。

これは公開時に見た人少ないと思うし、あんまり名画座にもかかってない。
俺ももう一度スクリーンで見てみたい。

2012年1月4日

「午後十時の映画祭」50本⑨作品コメ [「午後十時の映画祭」]

引き続き、この映画が観たい「午後十時の映画祭」50本(70年代編)のタイトルリストに沿ってのコメントを。
五十音順で、今日は「ナ」から「ホ」まで。



『ナイト・チャイルド』(1972)イギリス 
監督ジェームズ・ケリー、アンドレア・ビアンキ 主演マーク・レスター、ブリット・エクランド

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『小さな恋のメロディ』の純真な演技で当時の女性のハート鷲掴みにしたマーク・レスター。当時13才だった彼が、その翌年こんなエロい役を演ろうとは、とファンを若干引かせたとされるミステリー。

マドリッドに立つ白い邸宅に父親の後妻ブリット・エクランドが鍵を開けて入ってくる。父親ハーディ・クリューガーは、パリに仕事場を持ち、めったにこの家に戻らない。彼女は誰もいないと思ってたこの家に、義理の息子マーク・レスターがいたので驚く。寄宿学校が予定より早く学期休みに入ったという。
彼女は何を考えてるのか表情が伺えない、この義理の息子に不安を募らせる。
前妻が風呂で感電死したというのも、ひょっとしてと疑わせるものがあった。そしてこの邸宅に二人だけで過ごすうち、義理の息子の彼女に対する行為は次第に大胆なものになってゆく。

ブリット・エクランドは『狙撃者』と同じ年の出演だから29才だが、その色気たっぷりの身体を、ガウンの上からではあるが、撫で回したりしてるマーク・レスターがうらやましい。
背後から胸を揉んだり。「裸になれ」なんて命令してる。
ブリット・エクランドも、従う必要もないと思うんだが、その通りしちゃうのだ。

これは封切り当時には見れてないが、けっこうテレビで放映されてた。ブリット・エクランドのヌードもちゃんと映ってたんだが、実はマーク・レスターの方も、裸になってる場面が目立つ。
父親ハーディ・クリューガーとは、親子にしてはという位に熱い抱擁をして、後妻を引かせてるし
「えっ、監督そっち?」というミスリードっぷりが侮れない所だ。

ジェームズ・ケリーという監督はよく知らないが、共同監督にアンドレア・ビアンキの名がある。
この人は悪評高き『ゾンビ3』を作ったかと思えば、アンドリュー・ホワイト名義で、ポルノ映画やエロサスなんかを作ってるイタリア人だ。
「ゾンビ」と「エロ」という、「男だったらそうだよね」な仕事選びを貫いている、そんな人生を俺も送りたいもんだ。

なんか以前DVDが出てたような気がするんだが、気のせいかもしれない。



『ハメルンの笛吹き』(1971)イギリス 
監督ジャック・ドゥミー 主演ドノヴァン、ジャック・ワイルド

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『小さな恋のメロディ』でマーク・レスターと名コンビぶりを見せてたジャック・ワイルドが、やはり同じ年に出たミュージカル。これがビデオ・DVDにならないのは、ドノヴァンの楽曲の版権問題というのは明らか。

数年前たしか日仏会館で字幕のないヴァージョンの上映があったと記憶してる。
見たかったんだけどね。そんなわけでこれも未だ見れない映画の1本。
ジャック・ドゥミーのミュージカルは『ロバと王女』までリバイバル上映されてるんだから、これもお願いしたかった。

ドノヴァンは60年代後半の「フラワー・チルドレン」世代を象徴するようなシンガー・ソング・ライターだが、俺は『メロー・イエロー』とか『サンシャイン・スーパーマン』とか、代表曲しか知らない。「吟遊詩人」っぽい雰囲気は、この物語の主人公に合ってそうな気はするね。

ジャック・ワイルドは旅芸人の一座の仲間で、足の悪い絵描きを演じてるが、彼が恋してしまう町長の娘を演じてるのがキャスリン・ハリソン。
まだこの時11才という彼女は、1975年にルイ・マル監督の『ブラック・ムーン』で主役を演じる。
「不思議の国のアリス」が、少女から大人へ脱皮してくようなイメージを匂わせた、シュールな映画となってた。ヌードにもなってたような気がする。

有名な童話に、ドノヴァンがどんな楽曲をつけてたのか、ジャック・ドゥミー監督だから、その色鮮やかな映像もともに期待しつつ、スクリーンで見れる日が来ることを。



『白夜』(1971)フランス・イタリア 
監督ロベール・ブレッソン 主演ギョーム・デ・フォレ

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ロベール・ブレッソンの映画で最初に見たのがこれだった。製作から7年後の1978年に、フランス映画社の配給で、岩波ホールで上映された。
数年前に東京国際映画祭での特別企画でブレッソン監督のレトロスペクティブがあり、もう1回見たいと思い続けてたんで、また見に行った。

ブレッソンの映画は紀伊國屋書店からDVD-BOXが出てたりして、大方の作品は見れるんだが、この『白夜』と『やさしい女』は未だにビデオ・DVD化されてない。
『白夜』を最初に見た時、あの岩波ホールの座り心地の良くない座席が気にならないほど、なんか見てて気持ちよーくなってしまったのを憶えてる。眠くなる感覚とも違う。

パリ、ポンヌフ橋からセーヌ河へ身投げしようとしてる若い女性と、彼女を助けた画家志望の青年の3夜の物語。
レオス・カラックスがこの映画にインスパイアされて『ポンヌフの恋人』を作ったというが、あの演技も演出も過剰で、くたびれる映画の、どこにこの映画からインスパイアされた部分があるのか、よくわからん。
その位、過剰な演出は一切なくても、恋人との再会を待つその女性に惹かれていく青年の、いたたまれない心の内がくっきり浮かんでくる。

しかしストーリーよりもやはり映画の心地よさだ。ふたりが路上のギター弾きの演奏を聴いてる場面など、その音色に包み込まれるような感じだった。
二回目に見た時はそれほどではなかったが、とにかくあの岩波ホールでの最初の体験は忘れられない。
「こんな気持ちいい演出をする監督がいるのか」と思った。
それからブレッソンの映画をいろんな場所で追っかけて見たんだな。
でも結局これが一番好きな映画だ。



『ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実』(1972)アメリカ 
監督シドニー・J・フューリー 主演ダイアナ・ロス

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これも見てない。だって見る手立てがないんだもの。楽曲の版権絡みというのは容易に分かる。
「ブルースのレディ」と称される史上最高の女性ジャズ・シンガーであるビリー・ホリディの、その才能と表裏を成した、レイプ、貧困、売春、麻薬中毒という、壮絶な人生を描いた自伝の映画化。

ダイアナ・ロスはザ・シュープリームスを解散後、ソロになって直後の28才で、この役に挑戦してる。
ザ・シュープリームス時代の彼女は、後追いでしか知らないが、ソロになってからの『エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ』や『タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング』はラジオでよく流れてて、俺も好きな曲だった。
この映画に関しては「ビリー・ホリディの歌唱とは声の質がちがう」という批評が多かったようだが、その年のアカデミー主演女優賞の候補にはなってる。

見てないからこの映画に関しては何とも言えないが、順番として1978年の『ウィズ』と逆だったら良かったんじゃないか?なんて思う。
俺は『ウィズ』は封切りで見てるが、やはりオリジナル版『オズの魔法使い』のジュディ・ガーランドを知ってると、「ドロシー、歳いきすぎ!」と誰もが思うわな。
でも70年代には黒人の女性歌手で、映画もこなせるスターは彼女くらいしかいなかった。
今ならビヨンセでもリアーナでも、候補は何人も挙がるんだが。

ビデオ・DVD化は今まで無し。
音楽映画なんで、シネコンでリマスター版を見てみたい。



『フリービーとビーン大乱戦』(1974)アメリカ 
監督リチャード・ラッシュ 主演ジェームズ・カーン、アラン・アーキン

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昨年公開された『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事』を見てて
「これは新世紀のフリービーとビーンだな」と思った。

考えるより先に手が出る猪突猛進の刑事ジェームズ・カーンと、なにかにつけ几帳面で、相棒に振り回されるアラン・アーキンのコンビが、違法賭博の組織のボスを追って、サンフランシスコの街を混乱に落とし入れるアクション・コメディだ。
サンフランシスコ市警といえばハリー・キャラハンやフランク・ブリットという名物刑事がいるが、フリービーとビーンは、比べるのもどうかと思うほどの脱線ぶりだ。

アクション演出自体が、刑事アクションの範疇じゃなくて、なんか「トムとジェリー」でも見てるような、カトゥーン的破壊感が炸裂してる。カーチェイスのあげくに、車が宙を舞って、建物に突っ込むなんて描写も、今は珍しくないが、俺はこの映画で初めて見た気がする。
たしか老夫婦のアパートの部屋に突っ込んで、車のドア開けたフリービーとビーンがヨロヨロ降りてきて、呆然とする老夫婦に、アラン・アーキンが「すっ、すいません、すいません…」
って言いながら部屋を出てくのが可笑しかった。

あと二人が女装した男に発砲される場面があるんだが、この男が体格はゴツいんだが、顔は女性にしか見えなくて驚いた。『ナイトホークス』のスタローンの女装とはレベルがちがう。

しかしアラン・アーキンの「人に振り回される芸」は絶品だね。『あきれたあきれた大作戦』(この邦題もあきれるが)の時もピーター・フォークにさんざ振り回されてた。
実はこのジェームズ・カーンとアラン・アーキンが、2008年の『ゲット・スマート』で同じ画面に収まってた。
「フリービーとビーンが再会してる」と嬉しかった。

リチャード・ラッシュという監督は1960年代後半に「ヘルス・エンジェル」ものを何本か作っていて、今の所1994年のブルース・ウィリスが出たエロサス『薔薇の素顔』が最後だが、1970年代以降はそれを含めて4本しか撮ってないという寡作ぶりだ。
別にテレンス・マリックみたいな作家性があるわけじゃないのに、その寡作ぶりが意味不明な人。
悪夢のような映画撮影現場を描いた1980作『スタントマン』も海外ではカルト映画扱いとなってる。

『フリービーとビーン大乱戦』はビデオは出てるが、DVD化はなし。
ワーナーなのでオンデマンド販売の可能性は高い。



『ボビー・デアフィールド』(1977)アメリカ 
監督シドニー・ポラック 主演アル・パチーノ、マルト・ケラー

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アル・パチーノ主演作で俺が秘かにフェイバリットとしてる映画。なんでかというとパチーノが静かにしてるからだ。『狼たちの午後』以降、なにかにつけ、がなり立てたり、まくし立てたりという演技が目立つんで、「いい加減落ちついてくれ」と言いたくなってしまうのだ。

これはヨーロッパを転戦するF1レーサーが主人公なのだが、レースの場面より、パチーノとマルト・ケラーによるラブストーリーの側面が強く、「レース映画」をピックアップする時に、つい忘れられるという率が高い。

死と隣り合わせのレーサーの人生で、つい虚無的になってしまうパチーノが、事故に遭った仲間を見舞いがてら、スイスのサナトリウムを訪れ、そこで自分とは対照的に、一瞬一瞬を生きようとするような、マルト・ケラーと出会い、惹かれてゆく。
イタリアの有名な避暑地コモ湖から、フィレンツェ、アルプスの山々を抜けて、パリへ。ふたりのロマンスとともに、ヨーロッパの美しい景観が目を楽しませてくれる。
カメラはフランスを代表する撮影監督アンリ・ドカエによるもの。
マルト・ケラーが衝動的に熱気球に乗って、大空に舞う場面の空撮とかいいんだよねえ。

シドニー・ポラックの演出は、せかせかしてなくて、ゆったりとシートに身を任せられる感じ。
セリフも多くないんだが、パチーノとマルト・ケラーふたりの表情を寄り添うように見つめ、どんな感情が滲み出てるのか、手に取るようにわかる。役者の演技力を信頼してるんだろう。

デイヴ・グルーシンの音楽も心地よい。70年代のコンポーザーで誰を挙げるかという時に、特に70年代半ばからの10年間だと、俺はデイヴ・グルーシンに一番ハマったかも。

実際にF1のサーキットで撮影もしてるし、バジェットは大きい映画なんだろうが、派手さがないので、アル・パチーノ主演作の中でも、あまり語られないのが残念。

ビデオのみでDVD化されたことないが、もう一度スクリーンでヨーロッパのロケーションを堪能できたらいい。

2012年1月3日

「午後十時の映画祭」50本⑧作品コメ [「午後十時の映画祭」]

引き続き、この映画が観たい「午後十時の映画祭」50本(70年代編)のタイトルリストに沿ってのコメントを。
五十音順で、今日は「タ」から「ト」まで。



『ダーティハンター』(1974)アメリカ・スペイン 
監督ピーター・コリンソン 主演ピーター・フォンダ、ウィリアム・ホールデン

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「アメリカン・ニューシネマの気分」を体現するスターとして、70年代に人気を誇ったピーター・フォンダ。実はそんなに大作には出てなくて、中規模なアクション映画が多かったが、普通のストーリーでも、彼が出ることで、
「終わり方がニューシネマっぽいねえ」
なんか言われて、プラスなにかトッピングされたようなお得感を得た気になったりしたもんだ。
『ダーティ・メリー、クレイジー・ラリー』とか『怒りの山河』とか『悪魔の追跡』とかね。

いま挙げた映画にしろ、彼の監督・主演作の『さすらいのカウボーイ』にしろ、過去にビデオ・DVDになってる率は高めの人なんだが、唯一封印されたままになってるのが、この『ダーティハンター』だ。

公開時のポスターの絵柄にはピーター・フォンダの横顔の背景に星条旗があしらわれ、いかにも「ニューシネマのヒーロー」を演出するような感じだが、映画を見れば、ただの殺人マニアでしかない役柄なのだ。
たしかに人を浚ってきては、山に入り、「人間狩り」の標的とするフォンダ以下3人のハンターは、ベトナム帰還兵という設定だが、それは脚本的にとってつけたようなもんで、星条旗も関係ない。

あるカップルが拉致られるんだが、いきなり標的にされるんじゃなく、たしか最初の頃は、動物を狩りに山に入る3人の食事なんかを女性に作らせたりしてた。拉致した目的がわからないと、被害者を不安にさせる手口がイヤらしい。このあたりが、知性を感じさせるピーター・フォンダのキャスティングを納得させられる所だ。
そしてある朝いきなり、方位磁石とわずかな食料をリュックに詰めさせられ、
「30分したら追いかけるから、今から逃げろ」
と命ぜられる。その時、被害者は男たちの意図を初めて知ることになる。
フォンダの仲間のリチャード・リンチは、70年代を代表する「サイコ野郎」役者で、名前もだが、目つきも危ない。

その人間を狩る3人が、後半には姿なき男のライフルに狙われる。
狩る側から狩られる側へ、男は以前にやはり3人に拉致られてレイプされた女性の父親だった。
女性はフォンダの子供を生んだ後、自殺したという。

最後の方になってようやく姿を現す男を演じるのがウィリアム・ホールデンだ。
『コマンド戦略』以来の迷彩服だぞ。ウィリアム・ホールデンはこの後、1980年に同じピーター・コリンソン監督の『アドベンチャー・ロード』で印象的な演技を見せてた。

とにかくピーター・フォンダとしては何の共感も得られない珍しい役を演ってたわけだが、この映画ハリウッド製作ではない。スペインとアメリカのコープロとなってて、多分製作会社が倒産して、映画が債権となってるとか、どうもややこしい状態になってるらしい。
なので最初に日本に入ってきて、映画館での上映や、テレビ放映などしてた5年間は、権利が有効だったが、その後は権利者がわからなくなってるんだろう。
よくテレビの洋画劇場なんかで放映されてたのにね。



『ダブ』(1974)アメリカ 
監督チャールズ・ジャロット 主演ジョセフ・ボトムズ、デボラ・ラフィン

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高校くらいの頃までよく聴いてたラジオの番組に、文化放送の「ユア・ヒットパレード」があった。洋楽のチャート形式の番組なんだが、ビルボード誌の集計にのっとった「全米トップ40」なんかとはチャートインしてくる曲がちがうのだ。
映画音楽の主題歌なんかが、当時の流行りの洋楽に混じってベスト1を争ったりしてた。
『エマニエル夫人』のテーマなんて、何週も1位を続けてたね。

あと俳優による歌、例えばアラン・ドロンがセリフを囁いて、ダリダが唄う『甘い囁き』なんてのも大ヒットしてた。

『ダブ』の挿入歌で、リン・ポールという女性歌手が歌う『愛の潮風』もチャートに入ってたと思う。
ジョン・バリー作曲によるメインテーマがまたいいんだけどね。
昔の映画のメインテーマはユーチューブにアップされたりしてて、聴くとまざまざと映画の場面が浮かんでくる。

俺は思うんだが、近年の映画は、映画音楽の効果というものを軽視しすぎてるね。
まずメインテーマが口ずさめるような映画がほとんどない。作曲するコンポーザーに、耳に残る旋律を書くつもりがないのか、その能力がないのか。

ここ何年かで俺が好きなのは『ロード・トゥ・パーディション』のメインテーマで、あれは聴いててゾクゾクさせるような美しさがある。
作曲したトーマス・ニューマンは、1930年代から1970年の『大空港』まで、ハリウッドのあらゆるジャンルの映画音楽を手がけた、巨匠中の巨匠アルフレッド・ニューマンの息子だ。これはもう血筋だろうな。
今も世に出続けている膨大な数の新作映画は、今はいいが、20年後、30年後にすぐに題名を思い出されるだろうか?
だがその映画音楽が耳に残ってると、長い時間が経っても、音楽が映画の記憶を引っ張り出してくれるのだ。

この『ダブ』を引き合いに出すのも何だが、映画としたら名作というほどではない。
17才にして、ヨットでの単独世界一周の記録を打ち立てたロビン・リー・グレアムの自伝に即した海洋青春ドラマだ。
グレゴリー・ペックが製作を買って出たことで話題となったが、ジョセフ・ボトムズ演じるロビンが、フィジー島で出会った少女デボラ・ラフィンと、その後くっついたり、離れたりしながら旅を進めていく様子は、日本の『太平洋ひとりぼっち』の航海なんかと比べると、けっこう気楽な感じがして、偉業達成の感動は薄められてる。

だがヨットが帆を進める大海原に、ジョン・バリーの音楽が重なって、気持ちよく見てられる映画にはなってる。
スウェーデンを代表する撮影監督スヴェン・ニクヴィストのカメラも美しい。

ビデオ・DVD化は今までされてない。
こういう「海洋もの」はスクリーンで見れるといい。



『デキシー・ダンスキングス』(1974)アメリカ 
監督ジョン・G・アヴィルドセン 主演バート・レイノルズ

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この映画の日本公開に関しては逸話がある。
これはジョン・G・アヴィルドセン監督が『ロッキー』で大当たりを取る2年前に作った映画で、これともう1本、リチャード・レスター監督の1976年のコスチューム・コメディ『ローヤル・フラッシュ』の2本が、20世紀フォックス日本支社の倉庫に、公開予定もなく眠ってたのだ。
それは勿体ないと、フォックスの社員じゃなく、当時のたしか東宝東和の社員が、有志を募って、普段は名画座として営業してる「自由が丘武蔵野推理劇場」を借りて、2本立ての公開に漕ぎつけたのだ。

それが1978年のことだ。たしか冬だった。ブログで前に、この映画館で映画見て、風邪ひいたことがあると書いたが、この2本立て見た時かも知れないな。
ビデオもない時代だから、映画館で封切らなければ、見せるあてもなくなるんで、「お蔵入り」するフィルムも、メジャー映画会社の日本支社には結構あったようだ。
『ローヤル・フラッシュ』はその後レーザー・ディスクで発売されたことがあり、NHK-BSでも放映されたが、こちらの『デキシー・ダンスキングス』は俺の知るかぎり、テレビ放映もされてないし、ビデオ・DVDも出てない。

バート・レイノルズは1970年代には、レッドフォードやイーストウッドと並ぶ、いや一時期は彼ら以上の、マネー・メーキング・スターだった。
だがいま現在、彼の主演映画のDVD化率は本当に低い。不公平な位に低いのだ。
なのでこの映画じゃなくても何本も候補は挙げられるが、俺はバート・レイノルズはあんまりカッコつけてない役の方がいいと思ってる。都会の刑事を演じてるものも何本かあるが、田舎でヤンチャしてる方が伸び伸び演じてる気がするのだ。

この映画は1950年代のアメリカ南部を舞台にしてる。バートが演じてるのはW.W.と名乗るガソリンスタンド強盗だ。オールズモビルでスタンドに乗り付ける。
運転席の日除けの裏側にいろいろ小物を括りつけてあるのが面白い。
W.W.は従業員を脅して売上金を奪うが、一部を渡して
「これで警察には全部やられたと言え」
と言って去る。従業員は恩に着て警察にはテキトーな事しか言わないので、W.W.はなかなか捕まらないのだ。しかもなぜかSOS石油という一社しか狙わない。

そんなW.W.がパトカーに追われ、逃げ込んだ会場では、デキシー・ダンスキングスという、無名のカントリー・バンドが演奏してた。
W.W.はとっさに音楽プロモーターに身を偽り、彼らの中にまぎれる。
「ナッシュビルでデビューさせてやる」
と行動をともにするが、現地では売り込みに失敗。金も尽きたので、嫌がるバンド連中をガソリンスタンド強盗に巻き込んでしまう。
だが彼らの音楽や、その情熱に触れる内に、カントリーの良さに目覚めたW.W.は、ナッシュビルの舞台に彼らを立たせようと本気になってゆくのだ。

ジョン・G・アヴィルドセン監督らしい、人情味を感じさせるコメディ。
石油会社の依頼を受け、W.W.を追い詰めていく、凄腕の元警官を『ハリーとトント』のアート・カーニーが演じてるが、この男が、熱心なユダヤ教信者で、安息日の日曜には、絶対に仕事はしないと決めてるというのが、物語に効いてくるのも上手い。
バート・レイノルズの柄に合った、いい気分で見終えることができる映画だった。



『デリンジャー』(1973)アメリカ 
監督ジョン・ミリアス 主演ウォーレン・オーツ、ベン・ジョンソン

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ジョニー・デップのデリンジャーはカッコよすぎ(なので違和感)。
これが70年代映画世代のほぼ一致した感想になると思う。それはウォーレン・オーツによるジョン・デリンジャーを先に見ちゃってるからだ。

ジョン・デリンジャーは1930年代、大恐慌下のアメリカ中西部で、大胆不敵な銀行強盗を繰り返した実在のギャング。そのデリンジャーの一味に加わったのが、美男子ぶりから名がつけられたプリティ・ボーイ・フロイドだ。
『パブリック・エネミーズ』では、ジョニー・デップのデリンジャーが一番の美男子に見えるため、プリティ・ボーイ・フロイドの立場がない。
なので映画の最初にFBI捜査官メルヴィン・パービスに撃ち殺されてしまうわけだ。そこが淋しい。

この『デリンジャー』では映画の終盤、パービスによってデリンジャー一味が次々に追い詰められてゆくんだが、その中で、フロイドが一軒の民家に逃げ込む場面がある。
この役を演じてるのはスティーヴ・カナリーという役者で、ジョン・ミリアス監督作にいくつか小さい役で出てる他は、目立ったキャリアもないんだが、このプリティ・ボーイ・フロイドがよかった。

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逃げることで疲労困憊してるフロイドが、食事中の家族の皿を分けてもらう。
忘れていた「家族」の温もりに、束の間、表情から険しさが消える。
「迷惑をかけた」と言い残し、外に出て行き、捜査官たちに射殺されるのだ。
俺がこの映画で一番印象に残ってる場面だった。

この映画ではデリンジャー役のウォーレン・オーツも、追うパービス捜査官役のベン・ジョンソンも、せんべいみたいな顔してて、つまりは歯ごたえあって味もあるってことなんで、「男の映画」の見てくれとして、『パブリック・エネミーズ』よりこっちだろうと思うのだ。
そうそう、すぐブチ切れるベイビー・フェイス・ネルソンを、まだ無名だったリチャード・ドレイファスが演じたりしてる。

ジョン・ミリアス監督は、持病があってベトナムに従軍できず、そのコンプレックスが、タカ派の戦争映画の製作にどんどん傾斜してったと言われてるが、この監督デビュー作は、そういうものと無縁の、臭みのないアウトローの挽歌に仕上がってる。
いや、そうは言うものの、正直『若き勇者たち』も、あれはあれで嫌いではないんだが。

バリー・デ・ヴォーゾンによる、ギターを爪弾くような素朴な旋律のテーマ曲もいいのだ。
これもたしか昔ベストロンでビデオになったきり。DVDは出てない。
昨年WOWOWで放映されたね。



『ドーベルマン・ギャング』(1973)アメリカ 
監督バイロン・ロス・チャドナウ 主演6頭のドーベルマン犬

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『砂漠の冒険』の所でジャミー・ユイス監督について触れたが、メジャーな映画会社に属してない、名も知られてない人間が、映画作って一攫千金を当てるなんて事が、ごくたまに起こるのだ。
この映画の監督も、元はテレビドラマの編集マンで、「ドーベルマンを使った銀行強盗ってアイデアはどうか?」などと考えたんだろう。それを映画にして、当てたんだから大したもんだ。

映画の主人公は3人の銀行強盗だが、いつも最後のツメが甘くて、しくじる。
「人間は完璧にはできない」との反省から、強盗に犬を使うことを思いつく。
犬種は学習能力が高く、命令に忠実で、獰猛な性格のドーベルマンがいい。
さっそく6頭を揃えた。名前には歴代の強盗たちから頂いた。
上に書いた『デリンジャー』一味から、デリンジャー、プリティ・ボーイ・フロイド、ベイビー・フェイス・ネルソン、シェリー・ウィンターズが『血まみれギャング・ママ』で演じた、マー・バーカー、そして『俺たちに明日はない』のボニーとクライドだ。

山中の農園を借り切って犬たちを訓練。命令には犬にしか聞き取れない音を出す「犬笛」が使われた。
目をつけた銀行を入念に下見をして、広大な敷地内に、銀行と寸分たがわぬセットを組んで、シミュレーションを重ねる。このセットがよくできてる。

そして計画は決行される。銀行に入ってきた6頭のドーベルマン。
1頭が窓口に飛び乗り、行員に口に咥えたメモを受け取らせる。メモには
「5分以内に金を犬たちのバッグに詰めろ。従わないと、犬たちが全員を噛み殺す」
と書かれていた。

これ地方では『ドラゴンへの道』と2本立てで上映されてて、見てる人も多い。
その後もテレビで放映されてる。
ビデオ・DVDになってないのは、個人が作ったような映画だから、権利関係がよくわからない事になってるんじゃないか?
「見たい」という声の多い映画だが、あまり期待値は高めない方がいい。
画面とか演技とかはチープだし。「けったいだけど、ちょっとオモロい」位の心持ちで眺めてみたい。

この映画が当たったことで、監督は続編を作り、さらに3作目はメジャーな会社が買い受けたようで、名の通った俳優が出てる。どうも4作目もあるらしいんだが、1作目を見とけば十分であろうことは、2作目以降を見てない俺でもわかる。

役者ふくめて仲間うちで作ったようだが、音楽をアラン・シルヴェストリがやってるのが驚き。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を手がけた作曲家の最初の仕事だったのだ。

2012年1月2日

「午後十時の映画祭」50本⑦作品コメ [「午後十時の映画祭」]

年またぎで、この映画が観たい「午後十時の映画祭」50本(70年代編)のタイトルリストに沿ってのコメントを。
五十音順で、今日は「セ」と「ソ」を。



『1900年』(1976)イタリア・フランス・西ドイツ 
監督ベルナルト・ベルトルッチ 主演ジェラール・ドパルデュー、ロバート・デ・ニーロ

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いや新年早々こんな文章になるのは心苦しいのだが、五十音順のめぐり合わせでこうなってしまった。
この映画のことを語るとなると、避けては通れない描写があるということなのだ。

小作人からファシストに変貌するアッチラを演じるドナルド・サザーランドが、悪役の極北を見せる。
5時間16分の大長編であり、公開時は途中休憩が当然はさまれたが、その前半の最後に、家の塀に手足を縛りつけた猫に目がけて、アッチラが道路の向こう側から走りこんで、頭突き食らわして殺すという、猫好きは卒倒しそうな場面があって、イヤな感じで休憩に入るという流れになってた。

トイレを済ませ、売店でつまめる物なんかを買い込み、気を取り直して後半に臨んだ観客の前に、またしてもアッチラが。
今度はある地主の幼い息子を屋根裏部屋のような所に連れ込んでる。アッチラの女房も一緒だ。
二人してその子を犯したようだ。直接的な描写はないが、その子がズボンを履き直してる。アッチラは
「このことはお母さんに言うんじゃないぞ」
と言うと、その子の両足を持って、ブンブンと部屋の中で回り始める。女房も笑って見てる。
すると遠心力で止められなくなり、アッチラが「アーッ!」と叫ぶとともに、家具に子供の頭がガンガン打ち付けられ、その男の子は絶命する。

俺は映画館で「その場の空気が凍りつく」というのを、まさにその時に味わった。売店の食べ物も喉を通らないという感じだった。
最近の韓国映画に見られる、あくどい位の暴力描写も、ここまでではない。
ベルトルッチが地主の子と、小作人の子の係わり合いを軸に、20世紀前半の「イタリアの血の時代」をまる掴みして描こうとした野心作だが、ファシズムのおぞましさを、アッチラというキャラクターに集約させたせいで、そこだけが突出して印象に刻まれてしまうという結果に。

主演ふたり以外にもドミニク・サンダとステファニア・サンドレッリが『暗殺の森』以来の共演を果たしてたり、バート・ランカスターやスターリング・ヘイドンといった大ベテランが最初の方だけ出てくるような、極めて贅沢なキャスティングだし、ヴィットリオ・ストラーロの印象派絵画のようなカメラも凄いし、エンニオ・モリコーネの音楽も耳に残る名スコアだし、見どころ満載なはずなんだが、アッチラが持ってってしまった印象なのだ。
サザーランドは当時、町歩いてて、石投げられるなんてこと無かったんだろうか?

あと、せっかく『タクシー・ドライバー』と同じ年にデ・ニーロが出てるんだから、なんかやらかしてくれるのかと思ったが、彼は地主の息子役で、アッチラの暴虐にも目をつぶるような、煮え切らなさで、印象薄いのが残念。

なお映画は1976年作だが、日本では6年後の1982年にようやく公開が実現してる。
ビデオには一度なってるし、昔レーザーディスクで販売されてた。
多分まだフランス映画社が権利を保有してるんじゃないかと思うが。版権料高そうだしどうかな。



『センチュリアン』(1972)アメリカ 
監督リチャード・フライシャー 主演ステイシー・キーチ、ジョージ・C・スコット

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ポスターのキー・アートは、拳銃を握って突入せんとする、ジョージ・C・スコットの勇ましいショットが使われてるんで、同じフライシャー監督のものとしては『ラスト・ラン/殺しの一匹狼』の警官版の趣を勝手に想像してたんだが、一本とられた。
『チョコレート』の時のヒース・レジャーとか、『エグゼクティブ・デシジョン』のセガールとか、あんな感じですよ。見てる人はわかると思うけど。
なんで実質的な主役はステイシー・キーチでね。

これは原作が、この「午後十時」の1本に入れた『クワイヤボーイズ』と同じ、もとロス市警の巡査部長だったジョセフ・ウォンボーによるもの。
あの映画の警官たちの脱線ぶりとは対照的に、ローマ時代の「センチュリアン(百人隊)」に自分らを準えた、ロス市警の警官たちの、任務と私生活との葛藤なんかをシビアに見つめた辛口のドラマだ。

ステイシー・キーチは警察学校での訓練を終えて、ロサンゼルスでも犯罪が多発する地域に配属された新米警官。同期の警官にエリック・エストラーダがいる。後に『白バイ野郎ジョン&パンチ』で白バイ警官になる布石が打たれてたね。

新米警官がジョージ・C・スコット演じるベテラン巡査に教えを請いながら、事件の現場の場数を踏んでく展開は、アメリカ伝統の「師弟」ものだが、ステイシー・キーチという役者がそもそも辛気臭い表情をしてるんで、明朗な展開にはなるはずもないのだ。
また行く先々で災難に遭うんだよ彼は。映画の終わりのセリフが
「やっとわかりかけてたとこだったのに…」
みたいな感じだったし。

この内容の映画をポリス・アクションのように売ろうとした、当時の配給会社の苦労も偲ばれるってもんだが、こういう渋い警察ドラマが最近見られないのが淋しいね。
数年前にDVDスルーで出た、エドワード・ノートンとコリン・ファレルが共演した『プライド・アンド・グローリー』は警察官一家を描いて、70年代のテイストを意識したような演出だったけど。映画館で見たかった。
この『センチュリアン』もビデオ・DVD化はされてない。
コロンビア映画なんで、オンデマンドの可能性はあるかな。



『狙撃者』(1971)イギリス 
監督マイク・ホッジス 主演マイケル・ケイン、ブリット・エクランド

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マイケル・ケインという役者の魅力はガキにはわかりにくいんじゃないか?俺も最初の頃は、あのウェーブかかった七三分けの髪型が嫌味ったらしく見えたし、なんか睫毛が目立ってゲイっぽい感じもあるし、突き放した物言いも、冷たい性格なんじゃないかと思ったし。
しかし彼の映画を何本も見てくうちに、段々わかってくるんである。
スルメのような役者といっていい。

この『狙撃者』は封切りの時には、俺はまだ映画館通いなんかしてない頃だし、テレビの深夜に初めて見て、そのカッコよさにブッ飛んだものだ。

公開時のポスターのデザインがひどいね。だってド真ん中でスコープ銃をかまえてるのがマイケル・ケインじゃないんだから。「誰だよこれ」って。
マイケル・ケインはその下の部分に、ライフル持って歩いてる、ラストの方の場面写真が小さめに貼られてるだけ。
しかもカラーじゃなくて2色刷り。日本でのこの役者の扱われ方がわかるね。

映画はオープニングのロイ・バッドの音楽からしてクールだ。これは随分後になって、日本のクラブミュージックのシーンでサンプリングで使われたりして、時ならぬ注目を浴びたりしたけど。
スタローンによるリメイク版『追撃者』でもアレンジして使われてた。

あのリメイク版は、やはり別もんと考えた方がいい。
マイケル・ケインは律儀だから、特別出演したりしてるが、なにしろ主役の殺し屋ジョン・カーターの複雑な人間性が面白みだったのに、スタローンが演じると、そこがすっぽり抜け落ちてる。
なぜ『狙撃者』がカルト化してるのかという事への理解が、根本的に欠けてるんだもの。
筋立てだけ再生しても意味ないのだ。

もう恐ろしく芸暦の長いマイケル・ケインだが、この『狙撃者』の時が38才。本人としても勢いに乗ってる時期で、裏切った女がトランクに入ったままの車が、海に沈んでいくのを眉ひとつ動かさずに見てる場面の、冷酷な色気とでも呼びたい風情は、アメリカ人の役者には出せない性質のものだろう。
女に優しいんだか冷たいんだかよくわからん感じだし、兄を殺した組織の人間への復讐も徹底してる。

ブリット・エクランドが、カーターと情を通じるボスの妻を演じていて、ヌードも拝めるんだが、出番が少ない。あの頃の彼女は可愛いかった。
カーターを助ける、凄腕の女性ドライバーが出てくるんだが、演じるジェラルディン・モファットは、他の映画では見たことない。でも彼女がカッコいいのだ。

2000年に公開された『ギャングスター・ナンバー1』というイギリス映画があったけど、丁度1960年代末のスウィンギン・ロンドンを舞台にしてたことと、ポール・ベタニーのニューロティックな役作りなんかが、どっかしら『狙撃者』の線を狙ってるかなと感じたりした。ちょっとサイコすぎたけどね。

『追撃者』が公開された時に、オリジナル版もDVD出るかなと期待したが無しのつぶて。
今に至るまで、ビデオも何も出てない。
MGM作品なんで、『組織』がオンデマンドで買えるようになったということは、ツタヤに期待していいのかな?



『空飛ぶ十字剣』(1977)台湾 
監督チャン・メイ・チュン 主演パイ・イン

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俺の3D映画初体験はこの『空飛ぶ十字剣』だった。当時のメガネは紙製で赤と青のセロハン貼っただけというシロモノだったが、それでも帰りがけには回収されてしまったのだ。
だがなかなかの飛び出し感が得られたように記憶する。というのも一々立体感が得られるようにアクションを演出してるからで、長い槍とかをビヨーンとカメラに近づけたり、あざとさ満点であった。
でもそれでいいのだ。3D映画は見世物なんだから。

ベストみたいになってる金属製の刃織物を、バッと脱いで腕をグルングルン回すと、いつの間にか風車の羽根のような形状の十字剣に早がわり、その先端が飛び出してくるわけだ。カッチョいい!と思って見てた。これを使うのが正義の味方側ではなく、敵の大将だったんだが。

その大将を演ってたパイ・イン(白鷹)は、後になってから見たキン・フー監督の『残酷ドラゴン・血斗!竜門の宿』『侠女』などの常連俳優なのだと知った。
どの映画でも一番の武術の使い手を演じてたから、この映画でも強いわけだ。

これは3Dを売りにしてたが、たしか年齢制限があったように思う。
武侠映画なんで、残酷な描写も含まれてるのだ。
俺が憶えてるのは、パイ・インは小指に鉄の爪サックをつけてて、意にそわぬ人間を捕らえると、真ん中がくり貫かれた木の板を、その頭にはめる。そして爪をグイと即頭部に突き立てると、そのまま一気に円を描くように頭蓋骨を切断。むきだしとなった脳みそを、その爪でえぐって食べるという…

いや新春早々またこんなことを書いてしまった。しかし当時の青少年としては軽いトラウマとなるような描写だったな。
その場面はさすがに3Dではなかったが、全体的には「飛び出してたよねえ」と満足できるものではあった。
なので、あれから40年近くもたって、他のテクノロジーは格段に進歩を遂げてるのに、『タイタンの戦い』を見ても『インモータルズ』を見ても、同じ実写でやってるのに、全然その飛び出し感に進歩が見られないのはどういうこった?赤青セロハンに負けてるぞ。

40年前の3Dでもこれだけ飛び出してたんだぞ、という所を見せてやるためにも、ひとつリバイバルお願いします。

2012年1月1日

「午後十時の映画祭」50本⑥作品コメ [「午後十時の映画祭」]

引き続き、この映画が観たい「午後十時の映画祭」50本(70年代編)のタイトルリストに沿ってのコメントを。
五十音順で、今日は「シ」と「ス」を。



『幸福の旅路』(1977)アメリカ 
監督ジェレミー・ポール・ケイガン 主演ヘンリー・ウィンクラー、サリー・フィールド

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これも70年代アメリカ映画の特徴のひとつである「ベトナム帰還兵」ものの一作。
帰還後、戦争の心の傷から、社会復帰もままならず、陸軍病院に入院してる青年ジャックが、戦地で
「国に帰ったらミミズの養殖をやろう」
と誓い合った戦友との約束を果たすため、カリフォルニアを目指して旅に出る。
病院の仲間からカンパされた旅費と、養殖の元となるミミズを入れた箱を抱えて、バスターミナルに着くと、結婚間近で自分を見つめなおそうと、旅に出ようとしてるキャロルと知り合う。

ロードムービーなんで、当然いろんな事件やエピソードで物語が運ばれていくわけだが、ジャックを演じるのはヘンリー・ウィンクラー。いかにも気のいい兄ちゃんという風情で、タレ目と大きな口が人なつこさを感じさせる。
ロン・ハワード監督のラブコメ『ラブINニューヨーク』でも好演してた。彼はアダム・サンドラーにとってはヒーローらしく、アダムの『ウォーターボーイ』や『もしも昨日が選べたら』に呼ばれてる。

キャロルを演じるサリー・フィールドは、これと同じ年の『トランザム7000』の2本が一番キュートでいいと思う。演技派を意識し始めてからの彼女は、俺にはつまらない。
二人が旅の途中で出会う、ジャックの戦友のひとりをハリソン・フォードが演じてる。『スター・ウォーズ』のまさに前夜で、この頃は「役者が駄目なら大工に戻ればいい」と思ってたそうだ。

脚本のジム・カラヴァトソスは実際にベトナム従軍経験があり、後の1987年に、戦場での過酷な体験をもとに綴った『ハンバーガー・ヒル』の脚本で大きな注目を集める。

俺はこの『幸福の旅路』は封切りの時見てるが、ほとんど話題にならなかったんで、後にテレビ放映されたのを見た人が多いようだ。
ビデオ・DVD化されてないのは、楽曲使用権の問題かもしれない。
エンディングに当時人気のあったプログレ系バンド、カンサスの『伝承』が使われたりしてるからだ。
地味ではあるけど真摯に作られた映画だと思う。



『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973)アメリカ 
監督ノーマン・ジュイソン 主演テッド・ニーリー、カール・アンダーソン

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今頃になって『オペラ座の怪人』にすっかりヤラれてしまってる俺だが、この映画が公開された頃のことはよく憶えてる。作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーの名を知らしめた舞台劇の映画化で、公開前からラジオでは挿入歌の『ジーザス・クライスト・スーパースター』や、イヴォンヌ・エリマンの歌う『私はイエスがわからない』がさかんに流れていて、クラスの中でも、大人びた趣味や思考を持った奴がしきりに反応してた。

イエス・キリストの最後の7日間をミュージカル仕立てにしてること、イエスを欠点もある人間的なキャラに描いてること、ユダがなぜイエスを裏切ることになったのか、その経緯にも独自の解釈がなされていて、単なるミュージカル大作じゃないのだという空気が感じられた。
なので当時の大人の間ではどうだったか知らないが、俺ら思春期のガキとしては、これを見とくことが進んでるってことだという、妙な認識があったのだ。

ノーマン・ジュイソンという監督は時代を読むというか、機を見るに敏なところがあって、1967年の『夜の大捜査線』では黒人の刑事が、南部人の人種差別に鉄槌をくだすような場面を描いたり、ローラーゲームが流行れば、アレンジして『ローラーボール』を作ったり。
この『ジーザス・クライスト・スーパースター』の作品世界も、1960年代後半からのカウンター・カルチャーに呼応するような内容を持っていて、衆目を集めるのは間違いなしと睨んでただろう。

だがそんなジュイソン監督の作品群を今見直すと、演出自体は古めかしさが目立ってしまっている。
役者の存在に助けられてる部分も大きい。この映画も演出的には所々かったるい部分があるんだが、楽曲のよさと、ユダを演じるカール・アンダーソンの、歌唱の迫力などでカバーされてる感じもあるね。

これもNHK-BSでは放映されてるのに、ビデオ・DVDは楽曲使用権がネックで発売できず。
JASRACもいいかげん何とか考えろよ。
それはともかく、一度シネコンのいい音響で、デジタルリマスター版で上映してもらいたい。



『シンジケート』(1973)アメリカ 
監督マイケル・ウィナー 主演チャールズ・ブロンソン

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ブロンソンは1968年のドロンと共演した『さらば友よ』あたりから主演作が引きも切らなくなるが、意外にも刑事役はこれが初めてなんだね。マックイーンやイーストウッドを横目に「俺も乗り遅れちゃいかん」ということだったのか、背広もビシッと決めてダンディに登場するが、やり方は無茶。
「まず撃て、それから尋問しろ」って、さすがブロンソンだよ。

ユダヤ系、アイルランド系、そしてイタリア系のマフィア同士の血で血を洗う争いに、「ウェクストン」と呼ばれる、ベトナム帰還兵で構成された殺人部隊が絡んで、その中に男ブロンソンが飛び込んでいくという、ほんと人が死にまくり。
その後の「デスウィッシュ」シリーズのエスカレートぶりを暗示するようなマイケル・ウィナーの演出ではある。

この映画は当時相当な規模で宣伝が打たれていて、ブロンソン主演作としても、都内最大キャパの有楽座で公開されてるんで、このあたりがブロンソン最盛時だったかな。

イタリアの大物プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが前年の『バラキ』とこの翌年の『狼よさらば』で、ブロンソン主演作を連続製作してるが、アメリカ映画のバイオレンス描写がえげつなくなってきたのも、このあたりからだね。
1980年代に、キャノン・プロでアクション映画を量産したメナハム・ゴーランはイスラエル人だが、キャノンの映画も血生臭ささでは際立ってた。
その後を受けるようにカロルコ・プロを設立し、スタローンやシュワルツェネッガーの映画を量産したマリオ・カサールはレバノン人。
特にポール・ヴァーホーベンの『氷の微笑』などは殺人描写がキツかった。
アメリカ映画の暴力描写をエスカレートさせてるのは、外国人プロデューサーたちではないかと、俺は思ってる。

それはともかく名画座でもさんざ上映され、テレビでもよくやってた、この『シンジケート』がなんでパタリと見れなくなったのか?
ビデオもDVDも出てない。音楽絡みじゃなさそうだし、ディノのところで何か揉めてるのか?

音楽は『狙撃者』のロイ・バット。メインテーマのシンセがテルミンみたいに「ヒヨヨヨヨーン」って響くのは時代を感じるが、まあそれも味だね。



『スカイエース』(1976)イギリス 
監督ジャック・ゴールド 主演マルコム・マクダウェル、ピーター・ファース

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第1次世界大戦の、イギリス空軍の戦闘機パイロットたちを描いた戦争映画。ちょうど今年2011年に、ドイツの撃墜王マンフレート・フォン・リヒトフォーヘンを主役にした『レッド・バロン』が公開された。テーマ曲もカッコよくて、俺は映画館に2回見に行った。
この『スカイエース』の年代設定は1917年で、リヒトフォーヘンはこの年の7月に頭部に重症を負い、4ヶ月近く実戦から離れてる。この映画にはレッド・バロンは出てこなかったと思うので、その期間の話か、別の戦線だったのか。

イギリス映画で空軍が主役となるのは、1969年の『空軍大戦略』が代表格だろう。あちらの映画は第2次大戦の空の戦いを、晴れがましく描いたような、オールスター・キャストの大作だったが、こちらは戦闘機パイロットたちの葛藤や、酒や女に明け暮れるような地上の生活ぶりなんかを描写していて、戦意高揚な感じではない。
だが空中戦ではイギリス空軍の名機を呼ばれるSE5を中心に、ソッピーズやブラックバーンの雄姿を見れるし、もちろん戦う相手はドイツの誇るアルバトロス編隊だ。

あのマルコム・マクダウェルが操縦桿を握るというんで、後の『ブルー・サンダー』みたいな、サイコな感じかと思いきや、航空隊を率いるエースパイロットという、なんだまともな役じゃないかと、拍子抜けするやら、ホッとするやら、複雑な心境で見てたのを憶えてる。
冒頭の新人パイロットたちの入隊式での演説とかカッコいいんだもの。

物語の中心にいるのは、その新米のピーター・ファースだ。彼は『ダニエルとマリア』『エクウス』など、繊細な若者を演じさせたら、当時のイギリスでは随一みたいなポジションにいたが、この映画では、戦場の現実にショックを受けつつも、任務を重ねながら戦闘機乗りとして成長していく姿を好演してる。
そのピーター・ファースを精神的にもサポートするベテラン・パイロットにクリストファー・プラマー。彼は『空軍大戦略』にも出てるんだね。2度の世界大戦の空で戦ったわけだ。

今年公開された『レッド・バロン』ではドイツ側から、そしてこの『スカイエース』ではイギリス側から、一つの空の戦いを双方から見れるわけだから、これが映画の良さだよね。
DVDは以前パイオニアLDCから出てたんだけど、当然廃盤となってる。



『ストレート・タイム』(1978)アメリカ 
監督ウール・グロスバード 主演ダスティン・ホフマン、テレサ・ラッセル

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公開当時に見てるが、その時はこういうド直球な犯罪者の役はダスティン・ホフマンには合わないと感じた。
いろんな役になりきるカメレオン俳優ではあるが、自分から暴力を振るうというイメージがないからだ。なので無理して演じてるんじゃないか、と思ったのだ。
だが後年見直してみて、それは違うということに気づいた。

原作は『こんな獰猛な野獣はいない』という題名で、作者のエドワード・バンカーは自身、刑務所を出たり入ったりを繰り返してきた経歴の持ち主。ちなみに映画にもちらほら顔を出していて、『レザボア・ドッグス』ではMr.ブルー役で最初の方に出てくる。
つまり自身を投影したような、犯罪の世界に生きるしかないような男を描いている。
そういう男をハリウッドの俳優という職業で生きてる人間が演じて、どの位のリアリティが出せるのか。その人物造形に、ダスティン・ホフマンの鬼の演技力が、絶対必要だったのだ。
似合う似合わないの問題じゃなかった。

刑務所を仮釈放で出てきた男が、保護監察官のもとに出向き、職探しをするが、犯罪歴を理由に断られ、前科仲間を頼ることとなり、また負のスパイラルに入り込む。
文字にするだけなら至極単純な道筋でしかないんだが、カメラは常にホフマンの表情やしぐさを追ってるので、そういう道筋を辿るしかないということが、ほとほとリアルに納得させられてしまう。
犯罪者の役を、犯罪者が似合う役者が演じるという、タイプキャストでは掴み得ないような機微まで、こういう人が演じると伝わってくるということだ。

ウール・グロスバードという監督は、見てくれのいい画面を作ろうとはせず、俳優の持ち味を引き出そうと、辛抱強く待つような演出をする人だ。なのでこの監督の映画では脇役が光る。
この映画では一緒に銀行を襲う仲間のハリー・ディーン・スタントンがいいし、ホフマンが職安で知り合うテレサ・ラッセル。彼女はこれが2作目で21才の時の出演だが、やさぐれた世界の人間たちに囲まれて、その清新な瞳が印象的だった。

それと、この映画はいかにも70年代の、アメリカの犯罪映画の空気というか、「美学」とかいうものとは無縁の、ささくれた感じが俺なんかにはたまらないのだ。
ビデオにはなってるが、DVD化はされてない。


そんなわけで今年も終わりだ。訪問してくれた方には感謝を。

では、よいお年を。

2011年12月31日

「午後十時の映画祭」50本⑤作品コメ [「午後十時の映画祭」]

引き続き、この映画が観たい「午後十時の映画祭」50本(70年代編)のタイトルリストに沿ってのコメントを。
五十音順で、今日は「サ」の4作。



『最後の脱出』(1971)アメリカ 
監督コーネル・ワイルド 主演ナイジェル・ダヴェンポート、リン・フレデリック

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1970年代は「公害」の時代でもあった。俺は晴れた日には、喉がヒリヒリしたりする「光化学スモッグ・チャイルド」の世代なのだ。
この映画は、人口爆発や環境汚染など、70年代に噴出してきた「このまま世界はどうなっちまうのか?」という、未来への懐疑的な気分を、ストーリーに練りこんだデストピアSFだ。

環境汚染により、穀物が育たなくなり、飢饉が世界中を覆い尽くし始めた近未来。ロンドンに住む建築家の家族が、家を捨て、夫の兄が営む北イングランドの農場を車で目指すが、すでに秩序が失なわれ、市民は暴徒と化しており、それは凄絶なサバイバルの旅となる。

コーネル・ワイルド監督は、先日WOWOWで放映されてた1966年の監督作『裸のジャングル』でも、白人の冒険家がアフリカで部族に捕まり、裸の身ひとつで逃げ延びるゲームを強制されるというサバイバル劇を描いていた。そういうシチュエーション萌えがあるんだろうね本人の中に。

この『最後の脱出』では道中で、「フン族」を名乗るバイカー軍団が襲撃してくるんだが、娘役のリン・フレデリックがレイプされたり、銃撃戦となったりで、後の『マッドマックス2』を思わせるような殺伐感が充満してる。
建築家なんだけどアイパッチで敵と戦うナイジェル・ダヴェンポートと同様、『マッドマックス2』のメル・ギブソンも片目塞がってた。
そういや『裸のジャングル』の展開も、『アポカリプト』を思わせるし、コーネル・ワイルドとメル・ギブソンはどっかで繋がるものがあるかもな。

この映画はガキの頃にテレビで見たきりで、コーネル・ワイルドの映画は1975年の監督・主演作『シャーク・トレジャー』を公開時に見てる。『ジョーズ』大ヒットにあやかる便乗映画の1本という印象だったが、彼のそれまでの映画の作風なんかを知って見てたら、また別の面白さを発見できてたかも知れない。

これもビデオ・DVDの販売履歴はないが、向こうのワーナーのアーカイヴ・コレクションに入ってるんで、日本でもオンデマンド販売の可能性はあるね。



『サイレント・パートナー』(1978)カナダ 
監督ダリル・デューク 主演エリオット・グールド、クリストファー・プラマー

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トロントの銀行の出納係のエリオット・グールドが、閉店後のフロアに
「銃を持ってる。金を全部入れろ」
と書かれたメモを拾う。クリスマスも近い翌日、デパートで募金を募るサンタの掲げる看板の文字が、あのメモの筆跡と同じだと気づく。
「サンタが強盗に来るのか?」
勘が働いた出納係の予想通り、サンタは窓口で彼に同じ文面のメモをみせた。
出納係は強盗を予想して、警備員に伝えることはしてなかった。彼はサンタ強盗の言われるまま、金を袋につめた。警報装置が作動し、強盗は逃げ去る。

そしてその日のニュースでは、銀行強盗が入り、5万ドルが奪われたとの報道。出納係もインタビューされてる。
強盗はニュースを見ながら
「こいつにしてやられた」と思っていた。
袋には5万ドルの半分ほどしか入ってなかったからだ。
そこから出納係のエリオット・グールドと、サンタ強盗クリストファー・プラマーの、互いに相手の悪事を暴露できない「沈黙の共犯者」同士の攻防が始まる。

飄々として人を煙に巻くようなキャラで売ってきたエリオット・グールドが、好きな同僚の女性も口説けず、熱帯魚が趣味という独身男の、人生を変えるような一か八かの大勝負に出る様子を、いくぶんシリアスに演じてる。
対してクリストファー・プラマーがキレすぎてヤバい。あのフォン・トラップ大佐が、サンタどころか女装やSM趣味まで見せるという、コスプレ大会の様相で、しかも後半に残忍さが増してくるんで、「出納係だいじょぶか?」とハラハラするね。

クライマックスの金の受け渡し場面に至るまで、攻守入れ替わる「騙しあい」ぶりから目が離せない。
エリオット・グールドの同僚をスザンナ・ヨークが演じてる。
ジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンが音楽を担当してるのも凄いが、これは彼がカナダ出身ということで、何らかの繋がりがあったんだろう。
昔ベストロンからビデオが出てたが、DVDにはなってない。



『砂漠の冒険』(1970)イギリス 
監督ジャミー・ユイス 主演ワイナンド・ユイス

砂漠の冒険.jpg

今の子供たちはどうなのかわからないが、俺らの学生時代には、年に1度、映画を見に行くという「視聴覚教育」の一環の行事があったのだ。
この監督の1974年作『ビューティフル・ピープル/ゆかいな仲間』という動物ドキュメンタリーを、俺は映画館でクラスメイトたちと見てる。熟した果実を食べて、サルや象が酔っ払って、千鳥足になったりする、動物たちを人間の行為に見立てて眺めるという視点がウケて、当時ヒットした映画だ。

そして俺らよりちょっと年長の子供たちが、同じように学校などで見させられて、その内容がトラウマになってると、いろんな所に書かれてるのが、この『砂漠の冒険』だ。
俺は見てなくて、ちょっと前に、横浜の黄金町にあるミニシアターの「シネマジャック」で、会員限定で1回のみの上映会をやってたんだが、俺は会員じゃなかったし、当日会員に入れば見れたかも知れないんだが、ぐずぐずしてる内に終わってた。16ミリで上映したようだ。
1970年代当時から映画の16ミリフィルムと映写機のレンタルというのはあって、学校での上映も行われてたわけだ。

砂漠でのサバイサルといえば『飛べ!フェニックス』や、ジェニー・アガターが幼い弟を連れてオーストラリアの砂漠をさまよう『美しき冒険旅行』なんかがあるが、この映画も、軽飛行機の墜落によって、アフリカの砂漠地帯に取り残された、8才の少年と飼い犬のサバイバルを描いてる。
監督の実の息子に演じさせてるんだが、執拗に追ってくるハイエナの恐怖とか、サソリに足を刺されて意識不明に陥ったりとか、少年の身には過酷すぎるという場面が連続するようで、当時これを見させられた子供たちも、いたたまれなくなったようだ。

このジャミー・ユイス監督は、一貫して南アフリカをベースに映画を作り続けていて、1981年には『ミラクルワールド/ブッシュマン』で日本でも大ヒットを飛ばすことになる。
メジャーな映画会社に属することもなく、アフリカという地の利を生かした企画を立て、「見世物としての」映画の面白さを追求してきた点では、映画館にギミックを施して客を驚かすなんてことをやってた、ウィリアム・キャッスルと通じるものを感じるね。
1996年に死去してるけど、相当稼いだろうし、映画人生としては楽しかったんじゃないかな。

ビデオ・DVDは今まで出てない。



『さらば愛しき女よ』(1975)アメリカ 
監督ディック・リチャーズ 主演ロバート・ミッチャム、シャーロット・ランプリング

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レイモンド・チャンドラー原作の探偵フィリップ・マーロウの世界観を、時代色も含め、完璧に再現してやろうという野心がこもった映画。
下手すると何かのパロディじゃないか?と思われかねないアプローチなんだが、この主人公に血肉を通わせたのがロバート・ミッチャムという役者の起用だろう。

キメキメにカッコいい役者ではなく、この稼業にくたびれた感じが漂いつつも、長年ハリウッドで主役を張ってきたスターの風格がある。1940年代の着こなしも、板についてる。
この映画は彼が主役を演じたことで成功が約束されたと言っていいのだ。
そして相手役にはシャーロット・ランプリング。彼女はまさにローレン・バコールの再来という雰囲気だった。

1970代の半ばにかけてアメリカ映画界では「懐古調」ブームが起こっていた。
1920年代から40年代あたりまでの、クラシカルなファッションに身を包んだ役者たちの、ゴージャスなムードが売りになってて、『華麗なるギャツビー』『チャイナタウン』『イナゴの日』『名犬ウォン・トン・トン』、クラーク・ゲイブルとキャロル・ロンバートのカップルを描いた『面影』『おかしなレディキラー』から、ジョディ・フォスターほか十代の「子役」たちにギャングや情婦を演じさせた『ダウンタウン物語』まで。
この『さらば愛しき女よ』は、そんな中でも『チャイナタウン』と並ぶ成果を上げた一作だと思う。

この成功に気をよくして、製作者は1978年に再びロバート・ミッチャムに探偵マーロウを演じさせる『大いなる眠り』を作る。
これはボギー&バコールの『三つ数えろ』のリメイクともなるんだが、舞台を現代のロンドンに置き換え、クラシカルなムードは無くなる。
共演するイギリスの俳優陣も多彩だが、マイケル・ウィナーの演出が「なまくら」で盛り上がらない。
ジェリー・フィールディングの音楽だけが印象に残る結果に。
日本未公開でビデオスルーになったのも致し方なし。

『さらば愛しき女よ』の方はビデオは出てたが、まだDVDにはなってない。
ジョン・A・アロンゾによる、レトロムードたっぷりのカメラをもう一度スクリーンで堪能したい。

2011年12月30日

「午後十時の映画祭」50本④作品コメ [「午後十時の映画祭」]

引き続き、この映画が観たい「午後十時の映画祭」50本(70年代編)のタイトルリストに沿ってのコメントを。
五十音順で、今日は「キ」から「コ」まで。



『恐怖の報酬』(1977)アメリカ 
監督ウィリアム・フリードキン 主演ロイ・シャイダー

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『フレンチ・コネクション』でアカデミー賞を、『エクソシスト』で興行的大成功を、この2連打で名監督としての「地位」も「金」も手に入れたウィリアム・フリードキンが、次にブチ上げたのが、心臓破りサスペンスの傑作として映画史に輝く、1952年のフランス映画『恐怖の報酬』のハリウッド・リメイクだった。

さすがに無謀という声で占められたが「誰がどう言おうが俺がやるって言ってんだよ!」と、怖いもの知らずの状態にあったフリードキン監督にとって、結果この映画の製作はコッポラの『地獄の黙示録』やフランケンハイマーの『グラン・プリ』と同様に、自身に激しい消耗をもたらすことになる。
本作で精力使いすぎて、1985年の『LA大捜査線 狼たちの街』で復調遂げるまで、スランプが続く。
もっとも一旦復調してからもまた下降するんだが。

プロットはほとんど変えてない。舞台も同じ南米だが、オリジナル版より、さらにジャングルに分け入っての見せ場を作っている。あと山賊に襲われるというのも、オリジナルには無かったんじゃないか?
ガキの頃にテレビでオリジナル版を見たが、油だまりでトラックが車輪をとられ、イヴ・モンタンの相棒のシャルル・ヴァネルがそれを直そうと、車輪に足を踏まれる場面。
ここがトラウマになる位おっかなかった憶えがあって、このリメイク版ではその場面に匹敵するような、心臓バクバク場面を用意してた。

キー・アートにもなってる、ニトロ満載のトラックが、今にも崩れ落ちそうな吊り橋を、車体を傾けながら、ジリジリと進んでいく見せ場だ。
ここはさすがにフリードキンの演出力で、映画館で、座席の肘たてを握りしめながら見てた。
ロイ・シャイダーも悪くはないんだが、イヴ・モンタンに比べ、表情に乏しい感がある。
それとフランス版のシャルル・ヴァネルに匹敵する演者がいないんで、キャスト的には物足りない。

タンジェリン・ドリームによる、無機質でミニマムなシンセサイザーの旋律が、緊張感を持続させる効果を生んでいる。
前作『エクソシスト』で、マイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』の使用が大当たりしたことで、フリードキンは今回もシンセで行こうと思ったんだろう。ちなみに当時マイク・オールドフィールドは自作を「あんな内容の映画に使われたのは心外」とコメントしてるが、それで名が売れたってことはあるしねえ。

この『恐怖の報酬』は日本公開版は92分と随分タイトに刈り込まれてて、121分の全米公開版が後にビデオ化されてた。DVD化はされてない。
一説にはさらに長いディレクターズ・カット版が存在するらしい。
まあそれでもアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督のオリジナル版の149分に比べれば、かなり短い。
ニトロ積んで走り出すまでの人間関係の描写に時間を割いてるオリジナル版と比べ、本題に入るのが早いのは、せっかちなフリードキン監督らしい。



『きんぽうげ』(1970)イギリス 
監督ロバート・エリス・ミラー 主演ジェーン・アッシャー、リー・テイラー=ヤング

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ロバート・エリス・ミラーという監督は、1968年に、『スウィート・ノベンバー』のオリジナル版である『今宵かぎりの恋』と、ソンドラ・ロックのはかない美しさに胸撃ち抜かれた『愛すれど心さびしく』を撮り、そしてこの『きんぽうげ』と、ありきたりでない設定のラブストーリーを連打した人。

『きんぽうげ』の原題は『THE BUTTERCUP CHAIN』
つまり「きんぽうげの輪のように、切れやすく、もろい関係」を指している。
双子の姉妹が同じ日、同じ時刻に出産を迎え、兄妹のように育てられた男女が主人公という設定から、これも普通じゃない。
その二人に、やがて互いの彼氏彼女が加わっての共同生活が始まるという筋立て。

きんぽうげ咲き乱れる花畑でのピクニックで4人が出会う場面など、淡く美しい画面は、イギリス映画界きっての撮影監督ダグラス・スローカムによるもの。

まあ、まずはジェーン・アッシャーがね、可愛いとしか言いようがない。
フェミニンなウェーヴがかかった髪形といい、恋には奥手でハニカミやさんという、おいおい『早春』と真逆だぞ役柄が。
もう一人の女の子が、俺はジュディ・バウカーだと思ってたが、リー・テイラー=ヤングだった。
彼女は1969年の『悪女のたわむれ』で共演したライアン・オニールと結婚してたことがあるね。長いストレートヘアが魅力だった。

昔テレビで放映されたのを見たきりで、もう細部もほとんど憶えてないのだ。
なんかきれいだったなあ、という漠然とした印象が残ってる。
ビデオもDVDも出たことないね。



『クワイヤボーイズ』(1977)アメリカ 
監督ロバート・アルドリッチ 主演チャールズ・ダーニング、ペリー・キング

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当初このリストには『グリニッチ・ビレッジの青春』を入れてたんだが、普通にDVDが出てることが判明。この映画に入れ替える。

「男騒ぎの映画」一筋のアルドリッチ監督作では、ある意味最もヤバい内容なのだ。
ロサンゼルス警察のある分署の警官たちの無軌道ぶりが、コメディタッチで描かれてるんだが、『ポリス・アカデミー』みたいな、完全なギャグ映画ってわけじゃなく、幾分マジに作ってあるんで、逆に始末が悪い。
アルドリッチ的には『特攻大作戦』の警官版をやろうとしたのかも知れないが、警官だからね、いみじくも。

これ日本公開前の試写会の段階で配られてたチラシは、図柄の中心に、制服着たペリー・キングが、娼婦といい感じになってる場面写真が使われてて、これはまずいだろうと、公開時には図柄が変えられてたんだよね。

若い婦警さんの部屋に忍びこんだ警官2人の場面もヒドかったね。彼女がシャワーから上がって、バスローブ羽織ってガラステーブルに腰掛ける。バスローブの裾は広げた状態になってて、つまり「直接」座ってるわけだが、なにか気配を感じて腰を上げると、テーブルの下からガラスに顔ひっつけた男が!っていう…。
そうかと思えば、ビルの屋上で「自殺する!」って叫んでる黒人の女の子がいて、警官が説得するのかと思うと、「そんなに死にたきゃ、さっさと飛び降りろ!」
でもってホントに飛び降りちゃう。ビルから下見て「あーあ」みたいな…。

酔っ払った上に、ベトナムの体験がフラッシュバックして、錯乱状態になった警官が、助けようとした少年を撃ち殺してしまったり。内容が笑ってすまされるもんじゃないんだね。
後半はその警官たちが一致団結するなんて場面もあるけど、遅いよ!って言いたくなる。
なもんで名匠アルドリッチでありながら、ほぼ封印状態となってる。

ビデオはひょっとしたら一度位は出てるかも知れないが、DVDは出てない。
テレビで放映された記憶もない。
『ロッキー』の義兄バート・ヤングとか、無名時代のジェームズ・ウッズとか、キャスティングは賑やかなんで、もう一度見てみたい気持ちではある。



『刑事キャレラ 10+1の追撃』(1972)フランス 
監督フィリップ・ラブロ 主演ジャン・ルイ・トランティニャン、ドミニク・サンダ

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1970年代を代表する美女といえば、ジャクリーン・ビセットと並んで、ドミニク・サンダをはずしては語れない。
あの陶器の人形のような、男を寄せ付けない硬質な美しさには、ため息が出るばかり。
つい先日、ずっとビデオ・DVD化されてなかった1971年作『悲しみの青春』がようやくDVD化されたんで、そうなるとこれあたりかなと選んでみた。

その大人びた美しさから、実年齢より上に思われる彼女だが、この『刑事キャレラ 10+1の追撃』ではまだ21才という若さだ。過去の時代を舞台にした映画が続いていたドミニクだが、この現代劇では、70年代モードを着こなしていて、そこがまた魅力となってる。

ドミニクだけでなく、この映画には、『青い体験』シリーズで、当時の青少年の股間を熱くさせたラウラ・アントネッリも、26才の若さで出てるのだ。
他にもドロンの『ビッグガン』では組織の人間にズタズタに暴行受けて哀れだったカルラ・グラヴィーナも出てるし、フランス映画らしく、刑事のまわりは女だらけだ。
そんなハーレム状態もうらやましい、ジャン・ルイ・トランティニャン演じる刑事キャレラだが、潔癖症で手洗いを欠かさないというのが『名探偵モンク』みたい。

この年は『ダーティハリー』が公開されてるが、偶然にも、両方の映画とも、最初にスコープ付のライフルによって、プールで人が射殺される場面がある。刑事のキャラは随分ちがうけどね。
音楽はエンニオ・モリコーネだ。

なお「刑事キャレラ」シリーズはもう1本、1977年に『刑事キャレラ 血の絆』が作られていて、監督はクロード・シャブロル、キャレラを演じたのはドナルド・サザーランドだった。
エド・マクベインによる原作は、舞台はアメリカでキャレラも勿論アメリカ人の刑事だが、なぜかフランス人が惹かれるキャラなんだね。

この映画は2本とも昔ビデオになってて、DVD化はされてない。
贅沢を言えば「2本立て」で見れたりすると良いなあ。



『激走!5000キロ』(1976)アメリカ 
監督チャック・ベイル 主演マイケル・サラザン

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交通法規無視の大陸横断レースといえば、『キャノンボール』シリーズが日本では大ヒットしたが、この手の映画が好きな人間には、この『激走!5000キロ』の方が面白いという声が多い。
この映画の方が4年早く作られてるのだ。

『キャノンボール』が当時流行りのスーパーカーを揃えたものの、スターを何人も出したため、均等に見せ場を作る事に腐心して、レースそのものは散漫になってしまってた。
こっちはスターなんか出てないし、クルマが主役となってる。
このニューヨークからロスを目指す公道レースの優勝者が手にするのが、巨大な「ガムボール・マシーン」というのもよかった。金じゃないんだね。
「ガムボーーーール!」って合言葉だったな。

俺は昔からいわゆるスーパーカーの「ガジェット感」が好きじゃなかったんで、この映画でエントリーする名車の方を眺めてるのが楽しい。
主役のマイケル・サラザンが乗るコブラ427がまず渋いね。深いブルーの車体だったと思う。マイケル・サラザンのライバルとなるのが、ひたすら女好きのイタリアンという、絵に描いたようなキャラのラウル・ジュリア。
この役者よかったのにねえ。早死にが惜しまれる。彼が乗るのはフェラーリ・デイトナ・スパイダー。
70年代以降の映画には度々ロケされる、ロスの水のほとんどない運河みたいなとこ。あそこがクライマックスのレース場面になってた。

『ビッグ・ウェンズディ』のゲイリー・ビジーも、スタントマンという役で、たしかシボレー・カマロに乗ってた。
ひとりカワサキのバイクで参戦するヒゲのおっさんがいて、多分セリフは一言もなかったと思うが、コメディリリーフとして、映画にもオチをつけてた。
60年代後半から、何本か主演作もあったマイケル・サラザンだが、この映画が日本の映画館でかかる最後の主演作となった。



『ゴールド』(1974)イギリス 
監督ピーター・ハント 主演ロジャー・ムーア、スザンナ・ヨーク

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ロジャー・ムーアが「3代目007」に抜擢された翌年に主演した陰謀サスペンス。
南アフリカの金鉱を舞台にしてること、その金鉱を壊滅させることで、世界の金相場の暴騰を促し、利益を得ようとする国際シンジケートの謀略の規模の大きさなど、題材とロケーションの目新しさが特徴で、クライマックスは、地底湖から奔流のように噴出す水による坑道内大パニックが描かれる。
なので当時は『ポセイドン・アドベンチャー』が大ヒット飛ばした後ということもあり、パニック映画の売り方をされてたが、基本はアリステア・マクリーンの冒険小説の映画化のような構造をしてる。

ジェームズ・ボンドの、洗練されたヒーローのイメージとは違い、鉱山技師という役を、泥まみれになって演じてるロジャー・ムーアの奮闘ぶりがいい。

この映画は過去にビデオもDVDにもなってるんだが、今手に入るDVDは、画面がトリミングされており、大掛かりなパニックシーンは、やはりオリジナルのシネマスコープで見たいのだ。

ピーター・ハント監督とは2年後の『冒険野郎』でも再びタッグを組んでるが、本作の出来が上だ。
今年1月に世を去ってしまったスザンナ・ヨークが、ムーアと恋に落ちる人妻を演じてる。
33才の女ざかりの彼女を見て追悼したい。
エルマー・バーンスタインのメインテーマもなかなかよかったんだよな。



『コンラック先生』(1974)アメリカ 
監督マーティン・リット 主演ジョン・ヴォイト

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近年は「アンジェリーナ・ジョリーのお父さん」として認知され、慇懃な、あるいはアクの強い敵役が主な役所となってるジョン・ヴォイトだが、若い頃からの彼を知ってる映画ファンにとっては、「善良さを感じさせるナイーヴな青年」のイメージが強い。
その集大成がアカデミー主演男優賞を受賞した1978年の『帰郷』で、そのイメージを自ら払拭したのが1985年の『暴走機関車』の脱走犯役だった。

この『コンラック先生』では、アメリカ南部サウスキャロライナ州にある島に赴任してきた白人教師の奮闘を演じている。なにせこの島の子供は全員黒人で、1969年の世界でも、まだ「地球は平べったい」と思いこんでるのだ。
それは自らも黒人でありながら、黒人を見下すような態度を取る、女性校長の保守的すぎる教育のせいで、生徒たちは体罰に怯え、無気力な表情をしていた。

白人教師はコンロイという名だが、子供たちは発音できず「コンラック先生」と呼ぶのだった。コンロイは子供たちにベートーヴェンを聴かせるなど、まずは情操教育を試み、島に住む黒人たちの意識にも影響を与えていく。だがその行動を、当然快く思わない人々もいるのだった。

『ミス・ブロディの青春』『いまを生きる』『モナリザ・スマイル』など、保守的な空気に新風を吹き込むという教師の物語に連なる一作で、若いジョン・ヴォイトの持ち味が発揮されてる。
原作者パット・コンロイによる自伝的小説の映画化で、この人の小説は、他にも『パパ』『影の私刑』『サウスキャロライナ 愛と追憶の彼方』とよく映画化されてる。

監督のマーティン・リットは1972年にも『サウンダー』で、南部に生きる黒人の厳しさを描いてる。
この監督の映画には体制や権力への反逆心が、一貫して流れている。そういうテーマを持ちながらも、この映画では南部の島の、豊かな景観の中で、教師と子供たちが心を通わせていく様子を、伸びやかな筆致で描いていて、アメリカ版『二十四の瞳』の趣もある。
ジョン・ヴォイトは口をすぼめた表情なんかは、やっぱりアンジェリーナの父親だなと思うね。

ビデオは昔出てたが、DVD化はされてない。

2011年12月29日

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